稲妻に首刈られしか地蔵尊    今泉 而云

稲妻に首刈られしか地蔵尊    今泉 而云 『この一句』  以前、句友何人かが集まって数年がかりで「逆回り奥の細道吟行」をやったことがある。「奥の細道」大団円の大垣をスタート地点とし、深川をゴールとする“へそ曲がり奥の細道”である。その何回目だかに白河関を訪れた折、昼なお暗い山林にこの句のような石の仏さんを沢山見て、一瞬得も言われぬ悽愴の念を抱いた。芭蕉の頃は大切に祀られていたであろう観音菩薩、地蔵菩薩などが、木々や雑草の生い茂る山中に、腕がもげたり首が落ちたりした姿でほったらかしになっていた。白河関跡からさほど離れてはいないのだが、観光ルートから外れて訪れる人も稀になり、地元もついついそのままに、といったところらしい。  風雪に曝され、痛めつけられた石像は寂しい感じがすると同時に、凄みがある。この句の地蔵さんは何処のものか分からないが、やはりそうした雰囲気がうかがえる。  稲妻がぱっと光った一瞬、作者は首無し地蔵を見たのだ。有るべき筈の首が無い地蔵が、闇中の閃光に浮かんだ。その驚きを、「稲妻に首を刈られてしまったのか」と詠んだのである。舞台効果満点の句である。 (水 19.11.06.)

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薄目開け犬のまた寝て今朝の冬  嵐田 双歩

薄目開け犬のまた寝て今朝の冬  嵐田 双歩 『おかめはちもく』  初冬の朝、庭先で丸くなっている犬の様子を詠む。日差しを感じたのか、小鳥の声を聞いたのか、薄目を開けて様子をうかがい、また目を閉じて眠りに入ってしまった。外界に敏感な子犬ではなく、多少のことに動じない老犬のイメージが湧いてくる。 誰もが見たことのありそうな光景だが、それを上手に句に仕立てた作者の観察眼に感心する。ちょっとぐーたらな犬の姿と、寝床から離れ難くなる冬の朝の気分に共感した人が多く、句会でも高点を得た。  ただ合評会では「犬のまた寝て」の語調が落ち着かないとの指摘があった。作者は薄目を開けた主語を早く示したくて、この語順にしたと推察されるが、結果的に犬が埋没する格好となっている。「薄目開けまた寝る犬や今朝の冬」との案も示された。確かに語調が良くなり、主役の犬と季語が近接して、初冬の庭先の光景がくっきりと浮かび上がってくる。 (迷 19.11.05.)

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秋の蝶ベンチに白き杖二本    横井 定利

秋の蝶ベンチに白き杖二本    横井 定利 『この一句』  言うまでもないが、白杖は視覚障碍者の用いる杖である。ベンチに白い杖が二本。すなわち目の悪いお二人がベンチに座っているのだ。介助者がいるのかどうか。一人で外へ出られる方が二人、偶然に公園で出会って、というケースも考えられよう。ともかく二人の脇には一本ずつの白杖がある、という風景が詠まれている。  そこに秋の蝶がひらひらと飛んできた。夏とは違って飛び方に力強さがない。ベンチのお二人はもちろん蝶に気が付かない。ここが一句の眼目である。蝶があたかも人に慕い寄ってくる、というようなことがある。この時も、二人の目の前に飛んできていて、髪のあたりに止まろうとしているのだが・・・。  傍観者、つまり作者は「ほら、蝶が・・・」と言おうとして口を噤んだ。声を掛けてはいけない、というほどのことはない。注意するほどのことでもない。それがどうしたの? それもまた俳句なのだ、と私は思う。 (恂19.11.04.)

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毎年の田舎の便り富有柿    深田 森太郎

毎年の田舎の便り富有柿    深田 森太郎 『この一句』  「富有」は丸くてやや扁平で300グラムにもなる、まさに柿の王者。これが毎年田舎から送られてくると、「ああいよいよ冬だなあ」と思う。それにつけてもご無沙汰のしっぱなしで、みんな元気にしてるかなあなどと思いを馳せ、柿の実の色づく田舎の空を懐かしんでいる。一見何と言う事の無い句のようだが、「富有柿」が効いている。「あの富有柿だ」と頷く作者の表情が浮かんで来るし、そこから想念が広がる。ほのぼのとした気分の漂う句である。  柿は元来渋いものなのだが、突然変異で甘柿が生まれた。その代表が奈良県の御所柿で、これが日本の甘柿の元祖になった。全国各地に御所柿が植えられ、文政3年(1820年)岐阜県南西部の瑞穂市居倉で飛び切り甘く実も大きい御所柿が発見された。この枝を継木して増やしていったのが「富有」である。  大きさだけなら百目柿とか蜂屋柿などがあるが、残念ながら渋柿だ。こんなに立派な甘柿は珍しいと、富有柿は幕末明治期に欧州各地に移植されたが、どうにか育って実をつけても渋い。やはり富有は日本でなければダメということになったのだろう、分類学上の品種名はDiospyros kaki Fuyu と付けられた。 (水 19.11.03.)

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ゆく秋に袖も通さぬワンピース  大平 睦子

ゆく秋に袖も通さぬワンピース  大平 睦子 『おかめはちもく』  肌寒さを感じるようになって、洋服の入れ替えをしているところであろう。夏物のよそ行きのワンピースが出て来た。「とうとう一度も着なかったわねえ」なんて、一張羅を拡げながら呟いている。出番を与えてやれなかったドレスを慰める気持も込めている。  ワンピースというのは上衣とスカートが一繋がりになった婦人服で、one piece dressを省略した和製英語である。だからワンピースは本来は春夏秋冬全ての季節のドレスに当てはまるのだが、日本ではなんとなく薄手の生地の夏向きの洋服の感じがある。歳末や新年のよそゆきはわざわざ「冬のワンピース」なんて言ったりする。  それはともかく、この句は、一度も袖を通さずに冬を迎えてしまう夏服を材料に、「行く秋」の感じを実に上手く表している。しかし、「ゆく秋に」の「に」がどうであろうか。「ゆく秋に袖も通さぬ・・」とずるずるつながってしまい、句意がぼやけてしまう。ここは「や」という大きな切字の助けを借りて、「ゆく秋や袖も通さぬワンピース」とした方が良いのではなかろうか。 (水 19.11.01.)

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