いつの日か人も滅ぶや冬の月  高橋ヲブラダ

いつの日か人も滅ぶや冬の月  高橋ヲブラダ 『合評会から』(日経俳句会) 三代 恐竜が滅んだように人もいつかは、というスケールの大きい句です。 反平 この間満月を見た。この句で、あんな風になるのかなと思った。スケールの大きな句だ。 水牛 チバニアンに行き七十万年前の地層を見て色々感じたが、合わせて考えさせられ共感した。 十三妹 人類はもちろん、必ず地球は滅亡すると固く信じています。           *       *       *  冬の月は澄んだ大気の中で刃のように輝き、青白い光を地表に投げかける。静かな夜に荒涼たる月を眺めていると、作者ならずとも宇宙の成り立ちや地球の行く末に意識が向かう。大気と水に恵まれ生命を育んできた地球は、傲慢な人間の営みによって汚され、人類は温暖化や核の脅威を止められず滅亡の淵に立っている。  作者は月が地球上の生物の盛衰を見詰めてきたことに思いを馳せ、「いつの日か人も滅ぶ」と詠じる。切れ字の「や」に深い諦念と、そうなってほしくない気持のせめぎ合いを感じる。冬の月が季語にとどまらない意味合い、大きさで迫ってくる。 (迷 19.11.29.)

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裾上げて女三代七五三      杉山 三薬

裾上げて女三代七五三      杉山 三薬 『合評会から』(日経俳句会) 豆乳 「裾上げて」がよく分からなかったが、ほのぼの溌剌とした感じがした。 博明 元気でたくましくて、何かいい感じです。 雅史 「裾上げて」階段を上がっているのか。祖母、母、娘の喜びが伝わる。三回続く「ん」、四つ並んだ漢数字も面白い。 明生 雨が降っているのか、母、娘、孫の三人が裾をたくし上げてお宮参りをしている。おかしくもあり、勇壮でもある。 芳之 ますます元気な女性三世代。 定利 母、自分、子の三代か。今の時代高い着物買わないで、これでいい。           *     *     *  「裾上げて」は裾を持ち上げているのか、あるいはお下がりの着物を、三歳児なので裾を縫い上げたのか。どちらとも取れる。作者によると、奥さんの着物をお嬢さんが着て、今回、孫娘が着るに当たって裾上げしたのだという。まあそれはともかく、この七五三のお参りは女三代勢揃いであろう。ほのぼのとした感じが伝わって来る。運転手兼カメラマンのオジイチャンの句である。 (水 19.11.28.)

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短日やありふれた日のまた過ぎて 片野 涸魚

短日やありふれた日のまた過ぎて 片野 涸魚 『合評会から』(酔吟会) てる夫 その通りですねぇ。我々年寄りの共通句ではないでしょうか。 青水 年寄り句かぁ。いいこと言うなぁ。確かにこの句は、詠む方も味わう方も、ある程度の年をとっていないと、面白さや良さがわかりませんねぇ。若い人にはわからんでしょう。 操 この頃はあっという間に一日がたってしまいます。大したことしてないのに。毎日まいにち、そんな感じです。共感しました。          *       *       *  いつの間にか酔吟会最長老の米寿になってしまった涸魚さん、すこぶる元気に、俳句も囲碁も近隣散歩にも励んでいらっしゃる。しかしその毎日が「ありふれた日」だと感じて居られるようだ。  八面六臂の大活躍をなさった昔を思い出すにつれ、「ありふれた日の過ぎゆくことよ」と感慨に耽るのは無理も無い。しかしそう自得することが、精神の若さを保つ所以であろう。これこそ「ありふれた日もまた可し」とする、悠々自適の境地ではなかろうか。 (水 19.11.27.)

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日みぢかもの食ふ音はわれの音  金田 青水

日みぢかもの食ふ音はわれの音  金田 青水 『合評会から』(酔吟会) 光迷 沢庵でしょうか。ぽりぽりと噛む音を黄昏の中で聴いている…。寂しさが募ります。齢のせいか悲しさも加わる。日短の寂しさを象徴していると思います。 而云 よっぽど静かなんでしょうね。誰もいない日短の黄昏時。自分が発する音は内耳からも聞こえるんですよ。よくこんなことに気が付いた。面白い句です。 誰か 高級な補聴器はどんな音でも拾ってしまうらしいですよ。 反平 かわいそうに、寂しい野郎だなぁ。 三薬 「日みぢか」の後に「も」があるので、「日みぢかも」と読んでしまいそうです。上五が字足らずなんですね。 誰か 「ひ-みぢか」と伸ばして読むんでしょう。           *     *     *  なんとも遣る瀬ない気分にさせられる一句である。これが、高齢化社会の実態なのかもしれない。孤独死という言葉も思い浮かんだ。ともあれ、これは作者の自画像ではなく、社会時評として受け止めたい。いまの時代、結婚せず、一人暮らしを謳歌する人が多いのだとか。だけどやはり、食事は大勢で楽しく賑やかにがいい。体も心も温まるには、おでんやしゃぶしゃぶなど、鍋物が…。 (光 19.11.26.)

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一合の米を炊く日や木の葉髪   植村 博明

一合の米を炊く日や木の葉髪   植村 博明 『季のことば』  木の葉髪とは「木の葉が散るように抜ける髪の毛、さらには抜け毛が多くなって薄くなった頭のこと」(水牛歳時記)。抜け毛が落葉とともに意識されることから、初冬の季語となる。ちょっとユーモラスで、物悲しさを感じさせる季語である。  苦労で若くして髪が抜けることもあるが、木の葉髪を意識するのは、やはり年寄である。平均年齢の高い日経俳句会だけに、この兼題に対し自分の頭髪と来し方を振り返る句が並んだ。 掲句は「一合の米を炊く」わが身を詠む。育ち盛りの子供がいた頃は毎日一升近く炊いていたが、夫婦二人になったら二合がせいぜい。妻に先立たれた身では日に一合で間に合う。そんな変化が読み取れる。 「炊く日や」との詠嘆からは、そんな日が来るとは思っていなかった作者の、現実を受け止め独り暮しに慣れようとする姿が浮かんでくる。木の葉髪の季語と作者の思いが響き合い、しみじみとした哀感が募る。 (迷 19.11.25.)

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令和の世託す平和をコスモスに  富永 秀明

令和の世託す平和をコスモスに  富永 秀明 『季のことば』  当欄を主宰するNPO双牛舎は、「俳句振興」の一環として、上智大学法学部同窓会の「俳句講座」を請け持っている。掲句はその今年度の秋季講座に出された一句、「生れて初めて俳句を作った」というお三方の中の一人の作である。コスモスは兼題の一つであった。  この花のイメージは新時代・令和に実によく似合っている。新天皇は即位のお言葉の中で何度も「国際社会の平和」「人類の福祉と繁栄」を訴えておられた。「コスモス」は「宇宙」や「秩序」を意味する。俳句講座が行われたのは「即位」より二週間前のことだったが、天皇家の人々によって受け継がれてきた「平和」への思いは、「コスモス」へとごく自然に繋がって行く。  中南米の原産で、新大陸発見後に世界中に広がり、日本には明治年代にイタリア人の美術教師ラグーザによってもたらされた。その繁殖力の強さ、清楚な美しさはまさに「世界の平和」を希求する人類の願いに通じるではないか。講座中、句中の「託す」は「祈る」くらいが適切か、と考えていた。しかし読み直しているうちに考えが変わってきた。コスモスに平和を託すべし! (恂 19.11.24)

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納税のお礼にどんと切干来    谷川 水馬

納税のお礼にどんと切干来    谷川 水馬 『この一句』  「ふるさと納税制度」を詠んだ句である。総務省のホームページに、「今は都会に住んでいても、自分を育んでくれた『ふるさと』に、自分の意思で、いくらかでも納税できる制度があっても良いのではないか」という問題提起から始まったとある。実態がこの文言と大きくかけ離れているのは周知の通りである。筆者も海産物のお礼目当てに寄付したことがある。島根、高知、鹿児島の市町村で、「自分を育んでくれた」大阪ではなかった。送られて来た干物や鰻は美味しく頂戴したが、なんだか面倒くさくて一年でやめた。この句は切干の返礼を目当てに寄付したという話である。ネットで調べてみると、北海道や宮崎などのいくつかの市町村で、切干の返礼品が並んでいた、  この句が作者の実体験にもとづくものなのかどうかよくわからないが、「切干」という兼題に、「ふるさと納税」に思い至るというのは極めてユニーク。いつも類句類想を排して、出来るだけ新しい素材を詠もうと努力されているこの作者らしい。現代の世相を切りとったいい句だと思う。おまけに「どんと」の三文字がいい味を出していて、読む者をくすっと笑わせる。 (可 19.11.23.)

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権禰宜が写真撮ります七五三   堤 てる夫

権禰宜が写真撮ります七五三   堤 てる夫 『季のことば』  子供の健やかな成長を祝い、神社にお参りする「七五三」。傍題に「七五三祝(しめいわい)」や「千歳飴」がある。11月15日が近付くと、どの神社も着物や袴姿で着飾った子供たちで境内は賑やかだ。付き添いのパパママも爺婆も晴れがましそうな笑顔笑顔。真に平和な光景だ。  掲句、字画の多い見慣れない漢字「権禰宜」が目を引く。「ごんねぎ」と読むのだろうと見当はつくが、詳しくは分からない。調べると、神社の職階には一般的に宮司、禰宜、権禰宜があり(宮司の下に権宮司を置く所も)、禰宜は宮司の補佐役、権禰宜は一般職。権禰宜以上が神職で巫女さんは含まれないそうだ。  作者は、七歳を迎えるお孫さんの七五三のお祝いで、その子の氏神にお供した。孫の女の子が神殿に上がり、神主さんから祝詞をいただいているシーンを神職らしき人が写真を撮っていた。多分、そういうサービスなのだろう。後で、撮影してくれた人に名詞をもらったら、「権禰宜」と記されていたという。そこで一句が整った。権禰宜が「写真を撮ります」と孫を写してくれた事実を、素直に詠んで、臨場感溢れる佳句となった。 (双 19.11.21.)

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七五三シングルママの凛々しくて 田中 白山

七五三シングルママの凛々しくて 田中 白山 『この一句』  この一句を目にした時、ある女性の姿が浮かんだ。なぜ母一人子一人の家庭になったのか、その事情はつまびらかにしない。ただ、女の子が「医者になりたい」と進路を口にした時、編集者の母親は「うちには私立大学の医学部に進学させるだけの蓄えはない」ときっぱり答えた。子供はその言葉にうなずいたものの、あきらめず、夢を叶えた。  どうしたのか。お伽噺のように足長おじさんが出現したわけではない。自力で、夢を現にする道を探したのだ。入学金や授業料が不要なばかりか、月々、また期末の手当てが支給されるところ、防衛医科大学校を目指したのである。それは、今様に言えば凛々しい、古い言葉では逞しい母親と、その遺伝子を受け継いだ子供らしい挑戦だった。  最近、家族の形態も人々の生き方も多様化している。女性の社会進出は加速し、見た目ではなく、生き方が凛々しい女性が増えているのも確かだろう。ちなみに、この女の子は防衛医大を卒業し、結婚、出産をしたとか。となれば、早晩、七五三の時を迎える。それはともかく、男であれ女であれ、知恵を凝らし、力を尽くす姿は美しい。 (光 19.11.20.)

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耳うとき身にも沁みるや初時雨  山口斗詩子

耳うとき身にも沁みるや初時雨  山口斗詩子 『季のことば』  耳うときという表現にちょっと立ち止まった。「うとい」では関心や関係が薄い、不案内だという意味がすぐ浮かぶ。辞書を引いてみた。目や耳の機能が十分に働かないとも意味すると分かった。それはさておき季語「時雨」である。由来、季語は情緒・詩情があり句作りの発想を広げる機能を持っている。時雨などもいつの時代から使われるようになったのか勉強不足で知らないが、なんとも情緒豊かな語彙のうちの一つである。「時雨する」と形容動詞として使っている薄田泣菫の詩もあった。それに「初」を付ければ詩情満点になる。  初時雨は冬の始まりを告げる気象上の現象のみならず、心の内を響かせる季語だ。この句の作者はもちろん老年のご婦人だが、詩情を詠んだものではない。耳の機能に自信を失くされているのだろう。自宅の部屋にいて窓を見れば雨。降ったり止んだりするが、ややもすれば耳には届かない。それでも冬に向かう厳しさだけは感じ取れる。「初」がことに身に沁みるという、作者の心情を表した佳句だと思う。 (葉 19.11.19.)

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