枝豆やあぐらの父の笑ひ顔   池村 実千代

枝豆やあぐらの父の笑ひ顔   池村 実千代 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 「あぐらの父」がいいですねえ。死んだオヤジを思い出します。 三代 私も「あぐらの父」です。枝豆を食べながらナイターなんか見ながら笑っているんですね。 好夫 素晴らしいなあ。世界の平和の元じゃないか(笑)。 木葉 ほのぼのとした光景が見えて気持ちが良い。 荻野 「あぐら」が印象的で、父親の姿勢を表している。 博明 「枝豆」「あぐら」「笑ひ声」とどれをとってもお父さんのイメージ。 明生 酒好きなお父さんが家族や仲間と談笑している様子が伝わってきます。 阿猿 ぱっと景が浮かび、懐かしくなる句。お酒やビールに直接言及していないのもいい。        *      *       *  昭和の父の香りが漂い、ほのぼのとした雰囲気が郷愁を誘ったのか、この句会の最高点を獲得した。この句には、温かな家庭で大事に育てられたと推察される作者が居る。茹でたての枝豆の湯気に幸せがふくらむようだ。 (双 19.10.08.)

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納骨を済ませし座敷秋の声    中村 迷哲

納骨を済ませし座敷秋の声    中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 好夫 納骨を済ませて家に帰ってきて、ほっとした情景がよく出ている。 ゆり 知り合いが年末にお母さんを亡くした。ゴールデンウイークに会った時、まだ納骨をしていないのと話したのを思い出しました。 百子 ほっとしたのでしょう。そんな時に秋の風が吹いてきた。作者には故人の声が聞こえたのではないでしょうか。        *       *       *  死者は七日目に三途の川を渡って彼の世の入口あたりをさ迷い、以後七日ごとに閻魔の庁の取り調べを受け、四十九日目に彼の世で住むべき場所が決められる。どうぞ故人を極楽浄土に住まわせて下さいと、親族や縁者一同法要を行い、尊いお経を上げて仏様に祈る。そして、遺骨を墓石の下や納骨堂に安置して「忌明け」。これが今日の“葬式仏教”の一般的な流れである。  作者は故人の家を、葬儀後何ヶ月かたってまた弔問した。納骨を済ませた座敷は、骨壺を中心に飾られていた祭壇が片付けられ、すっかり広くなってさやさやと秋の風が吹き通っていた。寂しいような、きっぱりとしたような気持になる。 (水 19.10.07.)

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福島の新米届き塩むすび     石丸 雅博

福島の新米届き塩むすび     石丸 雅博 『季のことば』  季節を感じるものは身の回りに何十と存在しているが、「新米」と言われると、対抗するだけのものがない。松茸は値段からして手が出せない。秋刀魚は週に一回食卓に上がれば御の字で、それも今年は不漁だという。目を転じて秋風の気配を探ろうにも、窓は閉め切っていて、まだエアコンが動いている有様である。  そこに福島から新米が届いたのだ。今はボール箱入りの宅配便で、かつての麻袋入りと違って持ちにくく、十キロ程度でも運ぶのに難渋する。作者によると、奥さんの母親の実家から毎年三十㌔も送ってくるのだという。送り元の遥かさ、三十㌔という重量感。秋の味覚はいま、そこに存在す、と言いたくなる。  それを炊き上げ、塩結びにするのだという。何のおかずも要らない。海苔も巻かなくていい。ぎゅっと丸く結べば、それだけでいい。手に取れば、炊き上がって間もない温もり、いや熱々さが伝わってくる。合評会でこんな声が聞えて来た。「福島の新米は放射能ゼロですよ、と多くの人に伝えたい」。 (恂 19.10.06.)

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枝豆やころり忘るる検診日    金田 青水

枝豆やころり忘るる検診日    金田 青水 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 私は検診日を忘れた夢を見た。本当かどうか別にして、面白いなと思いました。 二堂 枝豆が美味いからつい食べ過ぎた。検診日があるのに、という句でしょう。 明生 枝豆を肴に仲間と飲み、あまりの楽しさに検診日を忘れてしまった。 水牛 私は毎回こうなんです(笑)。ガンマGTPとか医者に言われてもよく分からない人間ですから、しょっちゅうこういう失敗をします。自分のことを言われた気がして・・。実に面白い句だ。 昌魚 背景にお酒があるんですよ。あ、いけない、控えなければならないのにという。           *       *       * 一読して思わずニヤリとする愉快な句である。健康診断や人間ドックの前日は、夜9時以降は飲食を控えるように指導される。しかし酒席の楽しさに時を忘れ、「しまった」と後悔した人も少なくないだろう。 作者は検診前日に、旬の枝豆を肴に一杯飲んだのだろう。気の合う友人と一緒だったと解したい。好物の枝豆に酒がすすみ、話も盛り上がった。気が付けば12時近い。「ころり」の表現にその夜の楽しさが浮かんでくる。 (迷 19.10.04.)

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献立は決めず枝豆まず籠へ    星川 水兎

献立は決めず枝豆まず籠へ    星川 水兎 『この一句』  主婦にとって毎日の食事作りは大仕事であり、重荷と感じている人が多いようだ。献立を考えるだけで疲れてしまうらしい。特に亭主が退職して濡れ落葉と化してべったり家に居るようになると、益々大変だ。現役時代は朝食を掻っ込むや否やそそくさと家を飛び出し、夜も食べるかどうか分からない。「棚に目刺がござりやす」じゃないが、何か適当に拵えて置けばいい。ところが亭主が一日中在宅となるとそうはいかない。我が家の山の神は「人間どうして毎日三度々々食事しなけりゃいけないのかしら」とぶつくさ言っている。  しかし、この作者は大らかに呑気に構えている。スーパーの中をぶらついてる内に何か考えつくでしょうと、取り敢えずは枝豆の袋を買物籠に放り込んだというのである。  この呼吸が実にいい。このようにとんとんと運ぶのが、俳諧味をもたらす所以である。しかし、とんとんと進み過ぎて、献立の方は結局「今夜は出来合いのお惣菜と枝豆にしちゃいましょ」ということになりはせぬか。それがちょっと気に掛かる。 (水 19.10.03.)

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夜食にも一行詩ありこども食堂  野田 冷峰

夜食にも一行詩ありこども食堂  野田 冷峰 『この一句』  「こども食堂」とは、貧困をはじめ様々な理由で満足な食事が摂れない子供たちに、地域住民などが無料または低価格で食事を提供する地域交流の場のこと。2012年に都内の八百屋さんが始めたといわれ、自然発生的に広がり、今や全国に3700カ所にものぼるという。個人の自宅を使ったこぢんまりとしたものから、公民館などで大勢を集める食堂まで規模は様々だ。  作者が関わっているのは、個人宅を使ったささやかな「こども食堂」。近所の広場で遊ぶ子に、母親の帰りが遅い何人かが居残っているのを見かねた住民が自宅に子供たちを呼んで、作者とともに夕食を囲んだのが始まりという。作者は、5月の句会でも「まんぷくのこども食堂竹の秋」と詠み、好評だった。掲句は9月の別の句会で話題になった作品。「夜食にも一行詩あり」の意味は、「一緒に食事をしていると子供たちはいろんな話をしてくれる。その内容をかいつまんで言うと、まるで一行詩のように思えた」ということのようだ。  作者はこのほど、生い立ちを綴ったエッセーや珠玉の260句をまとめた『独耕』という句文集をNPO法人双牛舎から上梓した。熱くて優しい人柄が滲み出ている本だ。こころ優しい作者には、当事者にしか作れない「こども食堂」の俳句をこれからも作り続けて欲しい。 (双 19.10.02.)

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秋雲へ浅間のけぶり紛れゆく   河村 有弘

秋雲へ浅間のけぶり紛れゆく   河村 有弘 『合評会から』(三四郎句会) 久敬 浅間山の噴火の煙と秋の雲。その対比ぶりが面白い。 照芳 兼題「秋の雲」は難しかったが、この句は浅間山の煙を配して、なるほど、と思わせる。 正義 山の煙と秋の雲。いい風景だが、やや歌謡曲調かな。「けぶり」がいいね。 賢一 浅間山の噴煙と秋の雲を上手く料理している。 而云 季語より浅間の煙の方が主役かな。もちろん、こういう詠み方もあるが。      *         *         *  長野新幹線で高崎を過ぎてほどなく、右手に浅間山が現れる。まことに大きい山だ。しばらく眺めていて「そうか、もう信州に入っているのだ」と気付く。東海道新幹線で関西へ行くときはいつも「富士山、見えるかな」と思うが、浅間の場合は必ず見える。それだけ近いところを通っているのだろう。  噴煙の見える時もある。横に棚引くこともあるが、この句の場合はもくもくと真上に昇って行ったのだ。やがて噴煙は秋雲に紛れていったという。季語の秋雲より噴煙の方が句の主役になっている、と思ったが、そうではなかった。雲に紛れたあたりから、噴煙は秋の雲になって行ったのである。 (恂 19.10.01.)

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