柿すべて鳥の餌となり里老いる  岩田 三代

柿すべて鳥の餌となり里老いる  岩田 三代 『この一句』  初夏の柿の木、「柿若葉(かきわかば)」の瑞々しさは、道端でつい脚を止めて見上げてしまうほど、魅力的だ。晩秋の柿の木にも朱、紅、黄の入り混じった「柿紅葉(かきもみじ)」がある。実りの方にも目が行く。落葉してすっかり裸になった木々に色づいた実が陽を浴びて輝くさまは感動的である。  この句が言い切っているように、暮の秋に実をたくさん残したまま立っている柿の木の庭が増えた。長野県上田市の農耕地帯に移住して最初の年に、農協スーパーで干し柿用のタコ糸を買い、吊し柿に挑戦した。しかし最初の一年で止めた。細かい作業が面倒で、出来も上手くない。甘柿だったので、採って食べることだけになった。  毎年、決まって吊し柿の作業をしていた近所の老婦人もいつの間にか止めた。高齢で根気がなくなったのだろうか。こうして近所を見まわしてみると、晩秋の裸木に鈴なりの柿という景色が目立ってきた。そのうちに烏に突かれた残骸がぶらさがり、木枯らしに揺れる寂しいシーンになる。句の言う「里老いる」の世界である。 (て 19.10.31.)

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なぜここへビルの谷間に秋の蝶  政本 理恵

なぜここへビルの谷間に秋の蝶  政本 理恵 『季のことば』  「蝶」とだけ言えば春の季語であり、大型で色彩鮮やかな「揚羽蝶」は夏の季語となる。そして八月以降の蝶は「秋の蝶」と詠まねばならない。しかし、実際には蝶は夏から秋に活発に飛び回り繁殖活動をする。そして冬になってもまだ生きていて、ごく少数だが、枯葉の下に潜り込んで越冬する頑張り屋もいる。  ことに、子孫維持に最後まで励もうと頑張る秋の蝶は印象的だ。この句のようにビル街にまで飛んで来ることがある。回りはきらきら輝きながらも冷たい石の建物、それがどこまで昇っても尽きない高みにまで聳えている。足元はこれまた冷たい石畳。まばらな街路樹とその下の植え込みはせせこましくて、何とも頼りない。もともと蝶々が飛んで来るような場所ではないのだ。  「どうしてこんなところに飛んで来たの」と作者は蝶に語りかける。毎日毎日仕事に追い掛けられるような気持で暮らす身にとっては、突然現れた蝶に何とも言えない癒しを与えられた。「どうもありがとう」と思いながら、「ところで、あなたはこれからどうするの」とつぶやく。(水 19.10.30.)

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行く秋や鉛筆で書く紙の音    鈴木 好夫

行く秋や鉛筆で書く紙の音    鈴木 好夫 『この一句』  作者は医者。若かりしころ、フランス政府給費留学生としてパリ大学に学んだ。しかし、その給費額はあまりに少なく、極貧生活を強いられた。なぜこの世に貧乏が存在するのか、何度も自問したという。研究室から宿舎に帰ると、ノート整理や文献にあたる夜なべ仕事が残っている。ボールペンが普及する前なので筆記具は当然鉛筆だ。文献にアンダーラインを引いたり、ノートに書き写したり。秋の夜は長い。静寂の中、シャリシャリ、ザリザリ、鉛筆の芯が紙に触れる音だけが室内に響く。「貧乏ではあったけど、意外と充足した音でした」。遠くを懐かしむように、作者はそう語ってくれた。  この句を読んだとき、よくこんな微細なところを詠んだものだと感心した。なんて繊細な感受性を持った人なのだろう、とも。言われてみれば、入学試験や入社試験のときは鉛筆の音が会場に満ちていたな、と遙か昔に想いを馳せた。  最近、鉛筆で書くときの筆記音を聴くことは少なくなった。そもそも字を書く機会が減った。そのかわり、キーボードを叩く音が主流になってしまった。スマホの場合は無音だ。この句の味が理解されなくなる日はそう遠くない。 (双 19.10.29.)

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奈良に嫁し今年もつくる柿のジャム 大下綾子

奈良に嫁し今年もつくる柿のジャム 大下綾子 『季のことば』  「ジャム」という、季語にあってもいいような言葉だが、ない。梅、林檎、苺、梨、葡萄、柿となんでもジャムになり、手作りならそれぞれ季節感もある。柿ジャムは砂糖を控えても実に甘く美味そうだ。  作者は「柿」の兼題にジャムを持ってきた。奈良といえば名高い御所柿の産地でもある。ましてや、子規の「柿食えば…」を思わずにはいられない。雰囲気十分の句になった。  ところがわれらが句会は、東京近辺在住の方々ばかりだから、「奈良に嫁し」というフレーズにこだわりがある人がいた。そんな人句会にいないよな、と言えばその通りなのだが、柿好きの筆者は「柿のジャム」に食指が動いて選んだ。  この句の主人公は作者自身ではなく、作者の友人らしいと後で分かった。世になりすましの句というのがある。男が女のふりをする類で、あとで分かって顰蹙を買う場面もあるが、この句など何の問題もないだろう。 (葉 19.10.28.)

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菊人形大坂なおみの高島田    中沢 豆乳

菊人形大坂なおみの高島田    中沢 豆乳 『この一句』  最初は「ほんとかな?」と思ったが、花嫁衣裳の大坂なおみを想像して思わず笑い、ほっこりした気分になった。いつも目にするパワフルなテニスウエア姿と、文金高島田の花嫁姿とのギャップにおかしみを感じ、それが菊人形という伝統的な日本文化で表現されていることに嬉しい気持ちになったのであろう。  菊人形展は全国の公園、遊園地で盛んに開かれていたが、レジャーの多様化で近年は減っている。福島県二本松市と福井県越前市のものが有名で、作者も実家のある二本松で大阪なおみを目にしたという。  実際のなおみ人形は振袖姿でテニスラケットを持っており、「高島田の部分はちょっと脚色した」とのこと。高島田という純日本的なものを取り合わせることで、大坂選手が日本国籍を選択し、東京五輪に日本代表として出場する決断をしたというニュースが想起される。いわば巧まざる時事句であり、この句に最高点を与えた日経俳句会のニューズセンスもさすがと言える。 (迷 19.10.27.)

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母からの荷物の隅に柿二つ    向井 ゆり

母からの荷物の隅に柿二つ    向井 ゆり 『この一句』  母からの荷物に何か入っていた、という内容の句はわりとよくあると思うが、この句は柿二つが効いている。「いかにもありそう。一つでも三つでもない柿二つ。母の思い」と三代さんが評したように、母親は荷物の空いたスペースに何でも入れる。柿のほかにも林檎や梨などの果物、薩摩芋や南瓜などの野菜、餅に缶詰などなど。ありがたいやら、面倒臭いやら。母にしてみれば、いつまでたっても子供は子供なのだ。  最近のことではなく、昔の想い出かもしれない。親元を離れ、独り暮らしを始めた学生時代か。社会人になって、ようやく勤務先の環境に少し慣れ始めたころか。帰宅すると、アパートの部屋の前に荷物があった。「これから寒くなるから、膝掛け編んだよ」。母の手紙とともに毛糸の編み物が送られてきた。隅っこに柿が二つ。似たようなシーンは、地方出身者なら一度は経験があるだろう。  作者の実家は、今度の台風の被害を受けた。幸い両親は近くの親戚の家に避難して無事だったが、電車も道路も不通となり、被害の様子を見に行きたくても近づけない状況がしばらく続いた。庭の柿はすべて落下したという。 (双 19.10.26.)

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柿食ひて悪ガキのやうな父の笑み 流合研士郎

柿食ひて悪ガキのやうな父の笑み 流合研士郎 『この一句』  柿を食べた父親が「悪ガキのやうな」笑みを洩らすとは、どういう情景なのだろう。いい年をしていつまでもガキ大将気分の抜けないお父さんが、勢い良く柿にかぶりついて大笑いという情景であろうか。それとも、かなり高齢で固いものを噛むのが苦手になっている父親が、好物の柿を食べて悪ガキに還ったような笑みを浮かべたという場面であろうか。  このあたりがよく分からなかったのか、句会では「よく分からない」というつぶやきが聞こえた。まさにその通り。今になって読み返してみてもどちらの句解が正しいのか判定できない。句を素直に詠めば「悪ガキ気分を残したオヤジ」の方に軍配が上がるのだろうが、もう柿を噛むのもようやっとの老いた父親が、今生の思い出として柿の味を楽しんでいるという見方も捨てがたい。  こんな風に、別々の受け取られ方をしてしまうことがあるのが、わずか17音しか無い世界最短の詩形の俳句の宿命である。しかし逆にまた、いろいろに解釈される「広がり」を持つところに俳句の面白さがあるのだということも言える。 (水 19.10.25.)

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異国語の飛び交ふ村の吊し柿   加藤 明生

異国語の飛び交ふ村の吊し柿   加藤 明生 『季のことば』  柿は縄文時代から日本人に親しまれた果物で、関連する季語も多い。大事な食糧源だったため、甘柿、渋柿、熟柿、干柿、吊し柿、富有柿、次郎柿といった柿の種類や味が季語になり、さらに柿若葉、柿の花、柿紅葉、柿落葉など多彩だ。柿の木の変化と実の生り具合を、大事に見つめてきた日本人の暮しが生んだ季語といえる。  掲句は「異国語の飛び交ふ」現代の農村を描く。技能実習生の名目で、農漁業や工場の現場に外国人を受け入れるようになって久しい。担い手不足に悩む農家はこの制度に頼り、全国で2万5千人の外国人が農業に従事しているという。待遇面など問題点もあるが、村によっては、技能実習生なしには経営が成り立たないのが現実だ。  「飛び交ふ村」とう措辞で、ひとり二人ではない外国人が働いている様子が分かる。そこに吊し柿という古来の季語を配する。柿すだれの下がる長閑な村の情景と、外国人に頼らざるを得ない現実との落差が心に残る。句会で高点を得たのもうなずける。 (迷 19.10.24.)

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灯台の真夜の呼吸や鳥渡る    今泉 而云

灯台の真夜の呼吸や鳥渡る    今泉 而云 『この一句』  なんと静謐な、また神神しさを湛えた句なのだろう。描写されているのは、深夜、灯台が明滅している空を鳥が渡って行く風景である。月は出ているのか、星月夜なのか定かではない。だが、真夜中の灯台の点滅を「呼吸」と捉えたことで、それが渡り鳥の羽の動き、星の瞬きや波の音などの大自然の営みに通じ、大らかな生命賛歌となった。  ところで、作者はどこにいるのだろうか。灯台を見下ろす山の上、灯台を見上げる海の上、あるいは灯台の下の公園など。場所によって見える光景は違ってくる。沖を行く船の上だとすれば、鴨や白鳥の群れが頭上を通り、光を投げ掛ける灯台の方へ…となる。絵に描けば、鳥が大きく、灯台は小さくというシュールな構図になるかもしれない。  さらに肝心の、渡り鳥。先程、鴨や白鳥と書いたが、他に鶴などもいる。渡り鳥は何だったのか。様々な想像をしていると、鶴がヒマラヤを越える映像が頭に浮かんだ。もうひとつの疑問、この灯台はどこなのか。知床、能登、壱岐…。光源は松明が赤色の電球になり、いまやLEDに。そう、日本では灯台守は姿を消したのだとか。 (光 19.10.23.)

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乱舞するイナゴ飛び交う千枚田   渡辺 信

乱舞するイナゴ飛び交う千枚田   渡辺 信 『おかめはちもく』  北から南まで日本列島は山が切れ目なく連なっているから、東側も西側も海から山へとせり上がる地形になっている。さして広くない平地を耕し尽くせば畑も田もせり上がって行かざるを得ない。こうして段々畑や棚田(千枚田)が独特の景色を作ることになる。  しかし、棚田を耕作する方は大変だ。田一枚が狭すぎるし、傾斜地でもあることから農機が使えない。全て昔ながらの人力に頼らざるを得ない上に、観光名所になったり、環境保護の指定などを受けて、農薬の使用が制限されてしまう。イナゴにとっては天国で、自由奔放飛び回っている。  そんな情景を詠んだ素晴らしい句なのだが、「乱舞する」と冒頭に置いて、中七に「飛び交う」と来ては、あまりにもうるさい。これを何とかすればいい句になる。  大群のイナゴを見て、「一体全体何万匹いるんだろ」と驚く。その気分を込めて、「乱舞するイナゴの数や千枚田」としてはいかがであろう。 (水 19.10.22.)

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