月面を歩いた記憶あるような  向井 ゆり

月面を歩いた記憶あるような  向井 ゆり 『この一句』  この句を読んだ時、こんな詠み方もあるんだと驚きを覚えた。また、俳句はまぎれもなく定型詩であると改めて感じた。「作った」とか、「嘘だ」とかいう選評があったが、その通りだろうと思う。〈あの海〉を「海」とか、「ラ・メール」と発語した時、〈あの海〉は〈作った海〉、〈嘘の海〉になり、ほんとうの〈あの海〉から離れる。それが〈言葉の海〉の宿命であり、〈詩の海〉の始まりだろう。そして、一般的な〈あの海〉ではなく、作者の固有の〈あの海〉に近づこうとする。つくづく人間はややこしい生き物、妄想のかたまりみたいなものだ。  自句自解を求められた作者は、小学生の頃アームストロング船長の月面着陸を見て、記憶に焼きついてしまい、それ以来月を見るとこんな感じがすると説明した。おそらく「記憶あるような」という措辞は作者の奥床しさがそう表現させたものだろう。実際の気分は「記憶あり」ではないかと勝手に想像する。人が錯覚と呼びそうな、そんな「記憶」は筆者にもある。でもこうして結語し、詩にするのはたやすいことではないと思う。感性のみずみずしさのなせる技だと思う。 (可 19.09.27.)

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