毬栗の青きを拾ふ無言館     高井 百子

毬栗の青きを拾ふ無言館     高井 百子 『この一句』  無言館は戦没画学生の絵を集めた美術館で、長野県上田市の郊外に建つ。コンクリート造りの白い建物の周りはクヌギや栗林が広がっている。  美術評論家の窪島誠一郎氏が画家の野見山暁治氏と全国の遺族を訪ね歩き、集めた作品を公開している。館内には豊かな才能を持ちながら戦陣に倒れた画学生の作品が並ぶ。戦争に引き裂かれた運命と無念さが胸に迫ってくる。  句会の吟行で秋に訪れたことがあるが、落葉が足元を埋め、栗の毬や団栗が拾う人もなく落ちていた。掲句は志半ばで散った画学生と、足元の青き毬栗を重ね合わせる。やや付きすぎとも見えるが、「青きを拾ふ」との措辞に、画学生の無念を受け止める作者の優しい気持ちが伝わってくる。  作者は数年前に首都圏から上田に移住し、塩田平の自然を愛でながら句作に励んでいる。案内役も含め無言館に何度も通い、季節の移り変わりを見詰めてきた作者だから詠める秀句といえる。 (迷 19.09.21.)

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寂寥の八十路に響く秋の声   深田 森太郎

寂寥の八十路に響く秋の声   深田 森太郎 『おかめはちもく』  「八十路の方に秋にはどんなことを考えるか聞いてみたくなる句です」(てる夫)、「人生百年時代とはいえ、八十路は思うところが多々ある年代。秋の声が身に沁みます」(操)と、句会では共感を寄せる向きが多かった。しかし、「寂寥の」と決めつけてしまうような詠み方に異を唱える声も多かったのである。  八十代ともなれば、身体のあちこちに不具合を生じている人も多い。連れ合いを亡くした人も少なくない。寂寥感に押しひしがれる状況も理解出来る。しかし、その一方で、孫娘とおつかつの女性と仲良くなって結婚すると息巻く元気溌剌の老青年も居る。  また、この句は「寂寥」と「八十路に響く」と「秋の声」で、表現上も重複感があり過ぎるという声もある。  大勢は「よく分かる句」と賛成多数なのだから、問題は詠み方ということになる。要は「寂寥の」という上五を何かに置き換えればいいのだ。取りあえず、「たどり来し」を考えたが、他にもいろいろありそうだ。作者は皆で考える格好の材料を提供してくれた。 (水 19.09.20.)

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転校の子の朝顔も持ち帰る    向井 ゆり

転校の子の朝顔も持ち帰る    向井 ゆり 『おかめはちもく』  朝顔は発芽率が高く成長が早いため、生育観察に向いている。小学生の低学年は一学期の始めに種をまき、水をやって観察日記をつける。夏休み前の終業式の際に、宿題と一緒に自宅に持ち帰り、世話をする。  「朝顔の鉢抱いて来る下校の子」(番町喜楽会・的中)の句を思い出すが、掲句は転校生の朝顔である。句会では持ち帰ったのは誰か、で議論となった。転校でいなくなった子の鉢を、友人が二つ持ち帰ったと解釈した人。転校する子自身が図画や習字と一緒に持ち帰ったと読んだ人に分かれた。  「子の朝顔」の助詞「の」をどう解釈するかで違ってくる。主語を表すと見るか、所有者と見るかによって、登場人物・場面が変わる。  作者によれば「転校の子が残していった鉢を別の親が持ち帰った」とのこと。より分かりやすい表現はないか頭をひねってみた。「転校の子の朝顔も抱き帰る」、「転校の子の朝顔もわが庭に」――さてどうであろうか。 (迷 19.09.19.)

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陽の欠けら拾ふ川面の秋の風   久保田 操

陽の欠けら拾ふ川面の秋の風   久保田 操 『合評会から』(日経俳句会) 鷹洋 「陽の欠けら」と「秋の風」がとてもミートしている。 好夫 「陽の欠けら」の意味がよく分からないが、川面の景がいい。 昌魚 「陽の欠けら」がいい。それを拾うなんて私には出来ないとてもいい表現だ。 弥生 私も「陽の欠けら」が効果的で、もう夏ではないという表現になっている。 迷哲 「陽の欠けら」で夏のギラギラした日差しが和らいだ様子を、また夕方にそれが反射している水辺の雰囲気を詠んでいていい。 明生 「陽の欠けら」と表現した点が上手だなと思いました。しかも秋の風が拾っていると言うのですから、ただただ感心しました。          *       *       *  この句を選んだ人は一様に「陽の欠けら」という措辞を褒めた。川面にキラキラと反射する夕陽をそう表現したのだろう。吹き抜ける秋風が心地よさそうな舞台設定だ。(双 19.09.18.)

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朝顔の蔓しなやかに天を向き   政本 理恵

朝顔の蔓しなやかに天を向き   政本 理恵 『季のことば』  朝顔が支柱に沿って、上へ上へと蔓を伸ばしている様子を詠んだ素直な写生句である。  朝顔は奈良時代に遣唐使がその実を薬として持ち帰ったとされ、古くから日本人に愛されてきた。江戸時代には武士や町人に栽培ブームが起き、品種改良によって花の大きさや形の変化を競った。  開花期は7月から11月だが、最盛期は新暦8月で秋の季語となる。旧字の蕣や漢名の牽牛花でも詠まれる。青や紫、赤色の花を明け方に咲かせ、昼には凋む。  掲句は朝顔の蔓に目を向け、その成長ぶりを「しなやかに天を向き」と表現する。緑の若い蔓が身を柔らかく曲げ、空へ伸びて行く様子が目に浮かぶ。朝顔は日照時間が短くなると開花する短日花で、蔓は支えがあれば、上方へどんどん伸びる。成長期には一晩で10センチ以上伸びる時もあるという。「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という加賀千代女の有名な句も、現実の写生句かも知れない。  日経俳句会に今春加入した作者は、句歴は浅いながら女性らしいきめ細かい観察眼と「しなやかな」感性があり、今後が期待される。 (迷 19.09.17.)

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転勤の度に子の増え秋の雲    田中 白山

転勤の度に子の増え秋の雲     田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会) 而云 昔の白黒映画の一場面のような感じですね。転勤の度に、ですか。そういうこともありそうです。二十年ぐらいたってから、何度かの転勤を思い起こしているのでしょう。 双歩 「鱗雲」では数が多いかな? ウイットでいただきました(笑)。 木葉 鰯雲かな、羊雲かな、「秋の雲」が子供の数の多さを連想させます。「秋の雲」を見上げて、いろいろ思い起こしているのでしょう。しみじみした句だと思います。 白山(作者) 子供が三人います。振り返ればそれぞれ生まれた場所が違う…。秋の雲を見上げながら、ちょっと感慨にふけってみました。         *     *     *  昔のモノクロ映画なら、と考えた。この主人公は笠智衆ではない。池部良、志村喬、岡田英次などを思い描いた末に、やはり森繁久弥だな、と決定した。ただし社長ものの森繁ではない。真面目風で、どこか可笑しい。いつもニコニコしていて、ちょっと頑固かもしれない。しかし森繁よりは髪の毛が薄く・・・。アレ、誰かに似ている、と思ったら、作者の顔が浮かんで来た。(恂 19.09.16.)

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AIとゲノムの未来原爆忌    前島 幻水

AIとゲノムの未来原爆忌     前島 幻水 『この一句』  時代の先端を不安な面持ちで見詰める視線に心惹かれた。AIは進化し人間の頭脳を超えるのも時間の問題かもしれない。ゲノム技術はサイボーグを登場させるだろう。いずれロボットがロボットを生み続ける事態も。そのとき人間はどうすればいいのだろうか。この一句は、その極めて重い問題を提起している。  科学技術は人々を苦役から解放し、社会に富と安らぎをもたらすはずだった。だが、身の回りを見渡せば、ITあるいはAIの発展が格差社会を生み出した、という見方も否定できまい。忙しさは増したものの、見返りはその何分の一かに過ぎず、なのだから。「働き方の改革を」は上から目線、持てる者の勝手な言い分という見方にも一理ある。  原子爆弾は、科学技術が人間に反逆した顕著な例だ。これに対して「要は使い方だ。人間の賢さを信じよ」という声が出るかもしれない。だが、その虚妄ぶりは、フクシマの原発事故でつまびらかになった。句の中の「未来」の一語に「道を誤らないで」という切なる願いを感じ取ったが、現実には、環境問題ひとつみても道は険しそうだ。(光 19.09.15.)

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聴診器秋風の中振りまわし    鈴木 好夫

聴診器秋風の中振りまわし     鈴木 好夫 『この一句』  推察の通りお医者さんの手になる句である。合評会でちょっとした議論を巻き起こした句でもある。曰く、秋風が吹き始めてきて、お医者が聴診器を振り回すとはどういうことか。まず患者に危ないではないか。そもそもシンボルとも言える聴診器を振り回すことなどあるのか、などなど。作者答えて、患者に当てる部分を軽く回しただけと。なるほど、それくらいならあり得るなと一同得心したしだい。それでは、暇を持て余すあまりそうしたのか、それとも忙し過ぎて聴診器がフル稼働の盛夏の状態を戯画化したのか。筆者もそこを推し量ったところである。 酷暑のこの夏、患者は冷房の効いている我が家から離れられず、したがってお医者は暇を持て余す。逆に熱中症流行りで急患続出、目の回るほどの忙しさ、その夏が過ぎ去ってやれやれと・・・。どちらとしても、お医者が聴診器を振り回す場面なんて、実に俳諧味溢れユニークな句になったものだ。句会に様々な職業の人々が集まって来ることによって、おのずと知らない世界の雰囲気に浸れるもののようだ。(葉 19.09.13.)

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いまごろは黄菅に埋まる尾瀬ヶ原  井上庄一郎

いまごろは黄菅に埋まる尾瀬ヶ原     井上 庄一郎 『季のことば』  黄菅(キスゲ)は夕菅(ユウスゲ)の別名でユリ科の多年草。7、8月ころの夕刻、草原などにラッパ状の黄色い花を咲かせ、翌朝しぼむ。風情あふれる花だが、鹿の食害や宅地開発などで、植生が脅かされているとも聞く。自然が豊富な尾瀬には、まだまだ可憐な黄菅がたくさん咲くのだろう。  山男で鳴らした作者は、関東一円の山は熟知している。もちろん、尾瀬には何度も足を運んだに違いない。仮に想像してみよう。ある夏の盛り、作者は下界の酷暑をよそに爽やかな秋風を頬に受けながら、尾瀬ヶ原を歩いていた。陽が西へ傾くころ、夕菅があちこちに咲き誇り、山小屋へと道案内をしてくれているようだった──といった情景か。九十歳を過ぎた今は、足を気遣い山登りは控えているが、思いはこの季節の尾瀬に飛ぶ。  俳句は、基本的には詠まれた十七音がすべてだ。作者の思いや句の背景などを盛り込む余地はない。ただ、ときとして作者のあれこれを知ると趣が深まることがある。この句は正にそれで、「今はもう行けなくなったが…」の思いがひしひしと伝わり、味わい深い。(双 19.09.12.)

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老象の背に砂かける残暑かな    谷川 水馬

老象の背に砂かける残暑かな     谷川 水馬 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 動物園で砂吹きあげている光景、暑苦しい気持が伝わってくる。 二堂 上野動物園の年間パスを持ってよく散歩に行きます。砂を吹く光景はあまり見ないのですが、この句はまさに暑苦しい感じが現れています。 迷哲 老象が残暑に合うなと思い採った。 定利 象にはこういう性質があるんだ、と知りました。        *       *       *  作者には「動物園の水馬」の異名もあるほど、動物を詠んだ佳句が多い。「空を嗅ぐ北極熊や冬隣」、「陽だまりのオランウータン水っ洟」などが思い浮かぶ。  句材を求め家から近い横浜ズーラシアによく足を運ぶのだという。「砂を掛けるのは虫を取るのと日焼けを避けるためだそうです」(作者)とのことだが、老象と残暑の取り合わせで句の味わいを深めている。  ネット時代、検索した知識や画像から句作することもある。しかし現実に見聞していない句はどこか作り物めく。良い句を作るには句材を求め、現場に足を運ぶ努力を怠ってはならないという自戒としたい。(迷 19.09.11.)

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