朝顔の蔓しなやかに天を向き   政本 理恵

朝顔の蔓しなやかに天を向き   政本 理恵 『季のことば』  朝顔が支柱に沿って、上へ上へと蔓を伸ばしている様子を詠んだ素直な写生句である。  朝顔は奈良時代に遣唐使がその実を薬として持ち帰ったとされ、古くから日本人に愛されてきた。江戸時代には武士や町人に栽培ブームが起き、品種改良によって花の大きさや形の変化を競った。  開花期は7月から11月だが、最盛期は新暦8月で秋の季語となる。旧字の蕣や漢名の牽牛花でも詠まれる。青や紫、赤色の花を明け方に咲かせ、昼には凋む。  掲句は朝顔の蔓に目を向け、その成長ぶりを「しなやかに天を向き」と表現する。緑の若い蔓が身を柔らかく曲げ、空へ伸びて行く様子が目に浮かぶ。朝顔は日照時間が短くなると開花する短日花で、蔓は支えがあれば、上方へどんどん伸びる。成長期には一晩で10センチ以上伸びる時もあるという。「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という加賀千代女の有名な句も、現実の写生句かも知れない。  日経俳句会に今春加入した作者は、句歴は浅いながら女性らしいきめ細かい観察眼と「しなやかな」感性があり、今後が期待される。 (迷 19.09.17.)

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転勤の度に子の増え秋の雲    田中 白山

転勤の度に子の増え秋の雲     田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会) 而云 昔の白黒映画の一場面のような感じですね。転勤の度に、ですか。そういうこともありそうです。二十年ぐらいたってから、何度かの転勤を思い起こしているのでしょう。 双歩 「鱗雲」では数が多いかな? ウイットでいただきました(笑)。 木葉 鰯雲かな、羊雲かな、「秋の雲」が子供の数の多さを連想させます。「秋の雲」を見上げて、いろいろ思い起こしているのでしょう。しみじみした句だと思います。 白山(作者) 子供が三人います。振り返ればそれぞれ生まれた場所が違う…。秋の雲を見上げながら、ちょっと感慨にふけってみました。         *     *     *  昔のモノクロ映画なら、と考えた。この主人公は笠智衆ではない。池部良、志村喬、岡田英次などを思い描いた末に、やはり森繁久弥だな、と決定した。ただし社長ものの森繁ではない。真面目風で、どこか可笑しい。いつもニコニコしていて、ちょっと頑固かもしれない。しかし森繁よりは髪の毛が薄く・・・。アレ、誰かに似ている、と思ったら、作者の顔が浮かんで来た。(恂 19.09.16.)

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AIとゲノムの未来原爆忌    前島 幻水

AIとゲノムの未来原爆忌     前島 幻水 『この一句』  時代の先端を不安な面持ちで見詰める視線に心惹かれた。AIは進化し人間の頭脳を超えるのも時間の問題かもしれない。ゲノム技術はサイボーグを登場させるだろう。いずれロボットがロボットを生み続ける事態も。そのとき人間はどうすればいいのだろうか。この一句は、その極めて重い問題を提起している。  科学技術は人々を苦役から解放し、社会に富と安らぎをもたらすはずだった。だが、身の回りを見渡せば、ITあるいはAIの発展が格差社会を生み出した、という見方も否定できまい。忙しさは増したものの、見返りはその何分の一かに過ぎず、なのだから。「働き方の改革を」は上から目線、持てる者の勝手な言い分という見方にも一理ある。  原子爆弾は、科学技術が人間に反逆した顕著な例だ。これに対して「要は使い方だ。人間の賢さを信じよ」という声が出るかもしれない。だが、その虚妄ぶりは、フクシマの原発事故でつまびらかになった。句の中の「未来」の一語に「道を誤らないで」という切なる願いを感じ取ったが、現実には、環境問題ひとつみても道は険しそうだ。(光 19.09.15.)

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聴診器秋風の中振りまわし    鈴木 好夫

聴診器秋風の中振りまわし     鈴木 好夫 『この一句』  推察の通りお医者さんの手になる句である。合評会でちょっとした議論を巻き起こした句でもある。曰く、秋風が吹き始めてきて、お医者が聴診器を振り回すとはどういうことか。まず患者に危ないではないか。そもそもシンボルとも言える聴診器を振り回すことなどあるのか、などなど。作者答えて、患者に当てる部分を軽く回しただけと。なるほど、それくらいならあり得るなと一同得心したしだい。それでは、暇を持て余すあまりそうしたのか、それとも忙し過ぎて聴診器がフル稼働の盛夏の状態を戯画化したのか。筆者もそこを推し量ったところである。 酷暑のこの夏、患者は冷房の効いている我が家から離れられず、したがってお医者は暇を持て余す。逆に熱中症流行りで急患続出、目の回るほどの忙しさ、その夏が過ぎ去ってやれやれと・・・。どちらとしても、お医者が聴診器を振り回す場面なんて、実に俳諧味溢れユニークな句になったものだ。句会に様々な職業の人々が集まって来ることによって、おのずと知らない世界の雰囲気に浸れるもののようだ。(葉 19.09.13.)

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いまごろは黄菅に埋まる尾瀬ヶ原  井上庄一郎

いまごろは黄菅に埋まる尾瀬ヶ原     井上 庄一郎 『季のことば』  黄菅(キスゲ)は夕菅(ユウスゲ)の別名でユリ科の多年草。7、8月ころの夕刻、草原などにラッパ状の黄色い花を咲かせ、翌朝しぼむ。風情あふれる花だが、鹿の食害や宅地開発などで、植生が脅かされているとも聞く。自然が豊富な尾瀬には、まだまだ可憐な黄菅がたくさん咲くのだろう。  山男で鳴らした作者は、関東一円の山は熟知している。もちろん、尾瀬には何度も足を運んだに違いない。仮に想像してみよう。ある夏の盛り、作者は下界の酷暑をよそに爽やかな秋風を頬に受けながら、尾瀬ヶ原を歩いていた。陽が西へ傾くころ、夕菅があちこちに咲き誇り、山小屋へと道案内をしてくれているようだった──といった情景か。九十歳を過ぎた今は、足を気遣い山登りは控えているが、思いはこの季節の尾瀬に飛ぶ。  俳句は、基本的には詠まれた十七音がすべてだ。作者の思いや句の背景などを盛り込む余地はない。ただ、ときとして作者のあれこれを知ると趣が深まることがある。この句は正にそれで、「今はもう行けなくなったが…」の思いがひしひしと伝わり、味わい深い。(双 19.09.12.)

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老象の背に砂かける残暑かな    谷川 水馬

老象の背に砂かける残暑かな     谷川 水馬 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 動物園で砂吹きあげている光景、暑苦しい気持が伝わってくる。 二堂 上野動物園の年間パスを持ってよく散歩に行きます。砂を吹く光景はあまり見ないのですが、この句はまさに暑苦しい感じが現れています。 迷哲 老象が残暑に合うなと思い採った。 定利 象にはこういう性質があるんだ、と知りました。        *       *       *  作者には「動物園の水馬」の異名もあるほど、動物を詠んだ佳句が多い。「空を嗅ぐ北極熊や冬隣」、「陽だまりのオランウータン水っ洟」などが思い浮かぶ。  句材を求め家から近い横浜ズーラシアによく足を運ぶのだという。「砂を掛けるのは虫を取るのと日焼けを避けるためだそうです」(作者)とのことだが、老象と残暑の取り合わせで句の味わいを深めている。  ネット時代、検索した知識や画像から句作することもある。しかし現実に見聞していない句はどこか作り物めく。良い句を作るには句材を求め、現場に足を運ぶ努力を怠ってはならないという自戒としたい。(迷 19.09.11.)

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あの人も人間ドックの盆休み   大平 睦子

あの人も人間ドックの盆休み    大平 睦子 『季のことば』  「盆休み」は、盂蘭盆会に関するたくさんある季語のひとつ。企業や商店などは、8月15日前後を盆休みとして臨時休業する例が目立つ。正月とともにこの時期にしか休めない人が多く、お馴染みの帰省ラッシュが始まる。  作者は、盆休みを利用して人間ドックを受診したらしい。「あの人も」とあるので、同じ理由で休んだ人が職場にいたのかもしれない。句会で、「この句は採ったけど、人間ドックも盆休みじゃないの?」とてる夫さん。実は筆者も7月に人間ドックを受診したが、「お盆期間中は休みます」との断り書きがあった。作者の場合はどうだったのだろうと聞いてみた。作者が診療施設に予約を入れたら、お盆の15日なら空きがあると言われ受診した。ところが、予想外に大混雑していて中には見知った人もいたという。  まことに素直な詠み方で好感が持てるが、盆休みに限定するとてる夫さんのように疑問を持つ読者もいそうだ。「盆休み」を「夏休み」にした方が広がりがあっていいかな、とも思ったが、作者としては盆休みを強調したかったのだろう。いずれにしてもこの句は、平易に詠んでいるのでとても覚えやすい。(双 19.09.10.)

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敗戦忌あの田この田も出穂す    堤 てる夫

敗戦忌あの田この田も出穂す     堤 てる夫 『この一句』  日経俳句会八月例会でこの句を見つけ、すぐに取ったのだが、他には誰も取らなかった。恐らく「出穂す」という言葉に引っ掛かったのだと思う。  晩春、苗代に籾を蒔き、初夏に育った早苗を田植えする。その後、何度も田草を取り、害虫を防除し、丹精込めた稲がいよいよ穂を出し始める。八月半ばからの「出穂」はどきどきする時期である。「しゅっすい」という、気持いい響きの言葉なのだが、今どきの都会住まいの人たちにはぴんと来ないのも無理は無い。  昭和二十年八月十五日も非常に暑かった。あれから七十四年たつ。「米不足時代」が長く続き、新聞には秋も深まると各県の米の出来具合を知らせる記事が出て、都市住民も一喜一憂した。それが、高度成長と共に「米余り時代」となり、いつの間にか国民の多くが米の作況に関心を抱かない罰当たりな世の中になった。しかし考えてみるまでもなく、「米」は相変わらず日本人の主食である。いざ大凶作に見舞われたり、大きな戦争に巻き込まれて米作が思うように行かなくなったら、途端にパニックになるのは必定である。この句は平和な今日この頃を詠んでいるのだが、そんなことにまで思いを馳せる句である。(09.08.水)

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秋風が運ぶ会話や老夫婦     深田 森太郎

秋風が運ぶ会話や老夫婦     深田 森太郎 『季のことば』  八月に猛威を振るった暑熱地獄も、ここに来て鎮静の兆しが見えてきた。吹く風にかすかに秋の気配が感じられる。幼児・老人・病人にとって待望久しい。「暑い暑い」と言うばかりだった老夫婦も生き返る時季が来た。自然、用事一辺倒だった夫婦の会話も話題が増えて弾んでくるというものだ。テレビニュースを観てお爺さんの蘊蓄やら友人知己の他愛無いうわさ話に花が咲くかもしれない。  もうひと踏ん張り暑夏をやり過ごしたら、外出・遠出の季節がやって来る。葡萄狩りや梨狩り・茸採りにも興じることが出来る(海の幸、秋刀魚の今年の極端な不漁は残念だが)。上野の美術展へ出かけようと算段しても無理はない。  掲句は老夫婦が楽し気に会話する情景がまなうらに浮かぶ。恋人や夫婦の間に秋風が吹くというネガティブの謂いがあるが、「秋風」には、精気横溢の真夏が終わる一抹の寂しさがありながら、幼・老・病の人が一息つける「よすが」となるものであろう。(葉)

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