つないだ手だれが離した夏の果て     斉山 満智

つないだ手だれが離した夏の果て     斉山 満智 『この一句』  一読して頭に浮かんだ光景は「かごめ、かごめ」や「はないちもんめ」の、屈託なく遊ぶ子供の姿だった。林間学校の季節とあって、それがキャンプファイヤーの中学生らに切り替わり、そこで画像が途切れた。同時に疑問に襲われた。「これは子供の遊ぶ姿を詠ったものなのか。全く違うのではないか」と。  迷い、考えた末の結論は「現代の世相を切り取ったもの」。つまり、写生句ではなく時事句、という解釈。「だれが離した」のかで言えば、英国のEU離脱、日米韓のきしみ…の問題。手を繋げるかどうかではペルシャ湾の航行に絡む有志連合など。政治や経済の世界で合従連衡は世の常なれど、最近の動きは分かりづらいことばかり。  「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)のように分かり易い句はいい。だがしかし、頭の体操を助けてくれる句はもっといい。「朝顔や百たび訪はば母死なむ」(永田耕衣)のように。「だれが離した」を引き金に、小生の想いはグローバリズムの終焉にまで及んだ。けだし、発表された俳句は作者の手を離れ、読者のものになる、とか。(光)

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