朝霧の底をカヌーの漕ぎ出せり     徳永 木葉

朝霧の底をカヌーの漕ぎ出せり     徳永 木葉 『この一句』  句を見て「朝霧の底」に人の影のうごめく風景が浮かんできた。海か湖か、川辺もあり得るのだが、ともかくカヌーの置き場か係留地である。時間は午前六時か七時頃。濃い朝霧が立ち込めている。岸辺にカヌー仲間が集まっている。車が一台、また一台とやって来て人が増えていく。ツアーの出発予定時刻に近いらしい。  リーダー格の男が何人かを呼びよせ、腕を組んで話し合っている。「霧が晴れてくるまで、もう少し待とう」で一致した。立ち込めていた濃い霧が動き出したようだ。気づけば見通しは少しずつよくなっていく。上を見上げても青空は見えて来ないが、ツアーのリーダーは「よし、出発準備だ」とメンバーに伝えた。  この時、句の作者は朝霧の中で待機するカヌーや人々を、やや遠くから眺めていた、と私(筆者)は想像する。旅の一日、早朝に目覚め、ホテルから散歩に出て・・・。ツアーに出るカヌーチームを見つけ、少し離れた場所からずっと見守っていたのだ。カヌーはやがて列をなし、霧の底を漕ぎ出して行ったのである。(恂)

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面擦れに秋風沁みる朝稽古      中澤 豆乳

面擦れに秋風沁みる朝稽古      中澤 豆乳 『季のことば』  学生時代の夏休みが終った後のこと。久しぶりに学校の道場に顔を出し、柔道部のライバルと稽古を行うと、相手の握る私の柔道着の襟と、首のあたりとが摩擦を起こして皮膚がむけ、真っ赤になってしまうのだ。句の面擦れは剣道の稽古によるものである。痛いだろうなぁ、と同情する。  しかし人間の皮膚はなんと強いものか。痛いのも、擦れるのも構わず、練習を続けているうちに、一週間もたてばすっかり治ってしまう。そうなると、いかに強くこすれても、傷が付いたり、皮膚から出血したりするようなことにはならない。ところがまた、次の長期の休み明けになると・・・。  この句を拝見し、そうだったなぁ、と懐かしく思い出したのは「秋風沁みる」である。夏休みが終わって九月。意気揚々と学校に出て稽古に臨むと、とたんに皮膚に擦り傷を負い、痛い思いをすることになる。アッ、またやってしまったか! 作者にとって、はるか昔の季節感なのである。(恂)

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朝顔を褒めて一礼配達員      中嶋 阿猿

朝顔を褒めて一礼配達員      中嶋 阿猿 『この一句』  この句は日経俳句会の八月例会で、参加者の約半数が選ぶという爆発的人気を得た。「光景がはっきり、くっきり」(青水)、「玄関先での束の間のやりとりが爽やかに伝わる」(操)、「爽やかで礼儀正しい宅配便のお兄ちゃん」(豆乳)などなど、一様に句の臨場感を讃えた。「朝顔」の兼題で、花は小道具にして主役は好感が持てる配達員という造りの掲句は、確かに異彩を放ち、目立った。  てっきり作者近辺での出来事を詠んだのかと思ったが、本人の解説によると、インターネットで見つけたブログか何かのエピソードからヒントを得たという。曰く、配達先の玄関脇の鉢植えを誤って割ってしまった配達員が弁償させてほしいと住人に申し出た。住人は、そもそも通路に鉢を置いたこちらが悪いからと弁償を断った、というようなほのぼの話だそうだ。  「読者に共感してもらえる句は、事実を語ったからではなく、事実のように感じられたから」と俳句にフィクションがあって良しとする人もいる。掲句も伝聞を元に作ったようだが、リアリティ溢れる作品として共感を呼び、筆者を含め大勢の人が拍手を送った。(双)

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宿題は今も未完の夏の果て     斉山 満智

宿題は今も未完の夏の果て     斉山 満智 この一句  小学五年生の夏、算数の宿題をさぼって、先生に叱られ、悔恨に苛まれたことがある。苦い体験がこの句ですぐに甦った。宿題は「今も未完」とある。子供の頃の宿題だけではなく、今も続く宿題あるいは宿題のような事柄があることを示唆している。それは何か、文字の背後の深さを感じた。  さてこの句に隠されているものは何だろう。想像をいくら巡らせても「正解」は見つかりそうにない。作者に尋ねてみたら、「複数の意味を重ねている」との返答。小学校で作文や絵日記などの宿題がはかどらない焦り。高校・大学時代の不完全燃焼な夏の愛惜。そして人生を振り返りながら思う「今生の課題」は未完であり、諦めに似た感慨という説明だった。「今も未完」の深部は奥深く、そこまではとても読み切れなかった。 今生の締めくくりは、まだ時間もあるし、諦めるのは早すぎる。何をもって締めくくるか、締めくくるべきか、私自身、おぼろげながら見当がつきそうになったところ。小学生時代の磋跌を胸に畳んで、ゴールを目指したいものだ。(て)

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炊飯器スイッチぽんと敗戦忌     大澤 水牛

炊飯器スイッチぽんと敗戦忌     大澤 水牛 『合評会から』(日経俳句会) 迷哲 スイッチぽんに意表をつかれた。釜で炊いた昔を思い出し、今と対比して幸せをかみしめている。 木葉 あっけらかんとした感じがいい。 而云 とても上手な句だ。スイッチのぽんは炊けた瞬間かな。その時、今日は敗戦日だ、と気づいたのだろう。 阿猿 ユーモラスですね。昔は白いご飯が食べられずに、お腹を空かせていたと聞いています。それが今では、という感じがうまく出ていますね。敗戦忌が効果的です。 水牛(作者) このところご飯は自分で作っていますが、今ではほんとに楽ですね。 博明 敗戦忌を詠んでジメジメしていないところがいいと思った。 睦子 いろんな事に今の幸せを思います。 ヲブラダ 戦後の歴史、平和、日本の経済成長を、こんなにさらりと詠めるとは驚きました。                    *        *        *  いい句だねぇ、とこの句を称賛して呟いた。私は炊飯器を使った経験がないからな、と負け惜しみの弁。(恂)

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釣堀の疲れし水や夏の果     玉田 春陽子

釣堀の疲れし水や夏の果     玉田 春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 木葉 いい写生句ですね。釣堀は夏休みになると小中学生でにぎわうとともに、水も濁ってしまう。その感じがよく出ている。 白山 「疲れし水」がよくわからなかったので近くの江戸川の釣堀に行ってみた(笑)。そうしたら確かに水が濁っているんですよ。実景ですね。 双歩 「水が疲れる」という措辞が素晴らしい。 百子 「釣堀」の「水」に注目したところがすごいなぁ。 水馬(司会) 水底に落ちた餌が発酵して濁ってくるんですね。それを「疲れる」と言ったところが上手いですね。           *       *       *  擬人化は、なかなか成功しない。作者の思い入れが強すぎると、読者の感覚とずれを生じやすいからであろう。掲句は稀有な成功例といえる。水が疲れるという表現に誰も違和感を抱かず、むしろそこを評価している。暮らしの中で、澱んだ水や濁った水を見たことがあり、「疲れし水」を実感として受け止めたからだろう。夏の終りの気だるい雰囲気も伝わってくる秀句であり、8月例会で最高点を得たのもうなずける。(迷)

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立秋の夜に密林を迷う夢     高橋 ヲブラダ

立秋の夜に密林を迷う夢     高橋 ヲブラダ 『おかめはちもく』  この句はざっと読んだだけではすっと通り過ぎてしまう。しかし、じっくり読んでみると、寝苦しい立秋の夜の雰囲気が伝わってきて、そこからその世界に引きずり込まれてしまう。そんな妖しげな力のある句だ。  しかし「に」と「を」という二つの格助詞があって、句を散文的にしている。どちらかを省いて歯切れを良くすると、この句の浪漫的な雰囲気が盛り上がる。どちらを取ろうか。おそらく「夜」を「よ」と読ませて5・7・5を整えるために、こうなってしまったのだろう。思い切って「に」を省いて「立秋の夜」としてしまえば、名詞止めの「切れ」が生じて、自然に「よる」と読んでもらえるようになる。7音10音の句またがりの二句一章。「立秋の夜」が独立し、しかも「密林を迷ふ夢」とそこはかとなく繋がりもついている。さらに、ここでちょっとした余韻が生じるから、句にふくらみが出る。  「立秋の夜密林を迷ふ夢」──ルビなど振らずとも、密林を勝手に「ジャングル」と読んでくれる人もいて、一緒にさ迷ってくれるかも知れない。アンリ・ルソーかヲブラダか、の世界である。(水)

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アイスクリーム絵本カフェに婆の会     大平 睦子

アイスクリーム絵本カフェに婆の会     大平 睦子 『この一句』  7月半ばに行われた句会で、ちょっと面白そうな感じがしたのだが取り損なった。しかし後になって、じわじわと面白味が増してきた。  近ごろ絵本の人気が高まっている。子供ばかりでなく大人が喜んで見る。漫画もアニメもどんどんどぎつくなり、目まぐるしい展開になり、押し付けがましくこれでもかと来て、疲れてしまう。その点、絵本は逆だ。時が止まったような、時には逆転するような感じで、ゆったりと、のんびりと、癒される。  そんな絵本をゆっくり眺めながら珈琲や紅茶やケーキはいかが、ランチもありますよというのが「絵本カフェ」。これがまた人気沸騰で、あちこちに出現している。  幼い子供を連れた若い母親が本命客なのだが、そこはそれ現代日本はバアチャン天国。こういう場所もたちまち婆の会の占める処となる。店の方としては、人気絵本の場面や主人公のイメージを生かした、洒落た「ナントカカントカ・パフェ」などを注文してくれないかと期待するのだが、バアチャン連は「なんにも飾りの無いバニラアイスとお冷や」なんて言って澄ましている。(水)

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億劫が先立つ齢百日紅     久保田 操

億劫が先立つ齢百日紅     久保田 操 『季のことば』  百日紅は晩夏の季語、つまり七月のものとされているが、六月末頃から九月までずっと咲いている。だからこそ「百日紅」という名前が付けられたのだろう。しかし、百日紅と書いて「さるすべり」と読ませるのは全くおかしい。インド原産のこの樹木が中国経由でわが国に伝えられた時、百日も赤く咲き続けるということで「百日紅」とされたのだが、木肌がつるつるして猿も滑っちゃいそうだと、「さるすべり」とも呼ばれ、いつの間にかこの別名の方が通りがよくなって、本名の百日紅の字はそのままに、そう読むことになってしまったらしい。  百日紅が真っ青な夏空をバックに咲いているところはとても美しいが、喘ぎつつ上る坂道などで見るとうんざりすることがある。むんむんぎらぎらの舗道に濃いピンクの花が散らばったところなど、どうしようもない暑苦しさを感じる。節くれ立ち、曲がった木の先の方に緑の葉をつけ、その先に毒々しいほどの桃紅色の花びらが固まっている。一見枯木みたいなのに、実に強い。ついつい「私しゃそんなに頑張れないよ」と愚痴が出てしまう。この句はそんな感じを如実に詠んでくれた。(水)

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網戸新調夕べの風を待ちにけり     山口 斗詩子

網戸新調夕べの風を待ちにけり      山口 斗詩子 『この一句』 なにか新しいものを手にするとわくわくする。たとえばその昔、初めてレコードプレーヤーを買ってもらった時、わくわくしてたった一枚のシングル盤を繰り返し聴いていた。  この作者が手に入れたものは新しい網戸である。けっして初めてのものではない。それでも新調したことでわくわくする思いはあり、早く日が暮れて風が吹いてくれないかなと待ち望む。若い頃に手に入れた初物のもたらすわくわく感とは異なり、作者が新調された網戸から得たわくわく感には、老境の枯れた趣があるような気がする。いずれにせよ、日々の暮らしの中のささやかな幸せである。 この句は、上五が字余りになるのを恐れず、「網戸新調」と漢字四文字できっぱり言い切ってしまったところが素晴らしいと思った。そのことのもたらすある種の潔さが、後に続く「夕べの風を待ちにけり」の静謐な心境を引き立てているように思えた。うまく表現できないが、「網戸新調」のティンパニーの後に、「夕べの風を待ちにけり」の弦楽合奏を聴くような気分で読んだ。(可)

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