一歩ずつ杖と帽子の妻の夏     大沢 反平

一歩ずつ杖と帽子の妻の夏     大沢 反平 「この一句」  梅雨の晴れの日の午前中だろうか。空の気配を見計らって「散歩に行くか」と奥さんを外に誘い出した。奥さんはまず帽子を被り、続いて杖を持った。玄関のドアを開けるのは作者の役目かも知れない。こうして道路へ出て、一歩ずつ進んで行くが、夫はあくまでも補佐役に徹している。  夫婦の散歩は百組百様である。私(筆者)の場合、妻は昔からせかせかと歩く。私は悠然と行く方だから、時には息を切らして追いかけざるを得ない。近所のある夫婦は、ご主人が速く、いつも道の角で奥さんを待っていたが、この頃のお二人は、ちょうどいい速度に近づいてきたようだ。  句の作者は、妻の杖を突きながらの確かな足取りをじっと見つめている。この夏から被り始めた帽子も「なかなかいいじゃないか」と思う。「秋風の吹く頃は空色のスカーフがいいかな」。句の様子は夫婦の散歩の「出来上がった形」である。出来上がった夫婦の形、とも言えるだろう。(恂)

続きを読む

お揃いのリボンはね行く更衣     中村 迷哲

お揃いのリボン跳ね行く更衣     中村 迷哲 『季のことば』  一読し、明るく楽しく、歌声まで聞こえてきそうな気がした。跳ね行くのが人間を含む話ならば、保育園児や幼稚園児から小学生ぐらいまでか。リボンだけの場合は中学生や高校生でもありだろう。いずれにせよ、登園時や下校時の駅頭などの風景を想像した。久し振りの梅雨の晴れ間に、友達と手を繋いでぴょんぴょんという幼稚園児ぐらいの年頃が好ましく思える。  6月1日が学校の更衣で、制服も制帽も夏の物に代わる。私立女学校の更衣の印象がことに鮮やかで、紺や白などのリボンが風を受けて翻り、女学生の足取りは軽く、声もはずむ。そういう子供たちを見ている父母やジジババの笑顔も目に浮かぶ。  よく「孫俳句は好ましくない」と聞く。それはなぜなのか。可愛い孫を詠むのがダメ、陳腐ならば、美しい自然をよむのも陳腐ではないか、などと屁理屈をこねたくもなる。境涯俳句に考えさせられることも多いが、掲句のような心を温かくしてくれる一句はいとしい。(光)

続きを読む

ジーンズの似合ふ少女や風五月     加藤 明生

ジーンズの似合ふ少女や風五月    加藤 明生 『合評会から』(日経俳句会) 庄一郎 「少女」と「ジーンズ」と「風五月」との組み合わせがいい。 好夫 爽やかな句。女の人は百二歳になったり、少女だったり(笑い) 二堂 この句を読んで私もジーンズを買いに行こうと思った(笑い)。 反平 細身のジーンズで、足が長くいかにも爽やかな趣のある姿。それに「五月」ときたところだね。 迷哲 スリムな少女が風に向かって立っている情景が浮かんできて、いい。 阿猿 村上春樹の『4月のある晴れた朝に一〇〇パーセントの女の子に出会うことについて』という短編小説のタイトルを思い出した。これは五月だけれど。 百子 俳句で少女が出てくると大体お年寄りが採る(大笑い)。           *       *       *  「ジーンズは作業着だろ」、「今はおしゃれ着だ」、「ジーンズと少女は付き過ぎ」などと、ジーンズ論議が続いた。確かに、ジーンズと少女と初夏の風は、TVコマーシャルの一コマのようで、どうかと思うのだが、句会では大変な人気を集めた。それだけ万人の共感を呼ぶシーンなのだ。(水)

続きを読む

背中(せな)の声寝息となりて螢の夜     谷川 水馬

背中(せな)の声寝息となりて蛍の夜     谷川 水馬 「この一句」  蛍狩りの夜におんぶしていた子供がいつのまにか寝てしまう。お馴染の光景を上手く詠んでいるが、一読、古い光景だなあという印象を強く持った。そう思わせる理由のひとつはおんぶ。最近は抱っこばかりで、おんぶしているのをほとんど見かけたことがない。我々が子どもの頃は子守のスタイルはおんぶが定番であった。いつ頃からどんな理由でおんぶがなくなったのか知らないが、あっという間に見なくなってしまった気がする。  もうひとつの理由は「背中」と書いて「せな」と読ませる表記。「せなか」では字余りになるので整えたものであろうが、読んですぐに連想したのは、高倉健の「背中で吠えてる唐獅子牡丹」の歌詞。そういえば、これをパロディに仕立てて「とめてくれるなおっかさん/背中のいちょうが泣いている/男東大どこへ行く」という抱腹絶倒の駒場祭コピーを作った橋本治さんも今年逝ってしまった。「背中」を「せな」と読ませることで、濃厚に昭和が匂い立つ。 ところでこの句、背中で寝たのは四歳頃の作者自身らしい。なるほど古いはずである。(可)

続きを読む

風五月つるりと光る椿の葉     澤井 二堂

風五月つるりと光る椿の葉     澤井 二堂 『合評会から』(日経俳句会) 早苗 そういえばそうだったなと。光沢のある葉が艶やかなことを「つるり」と言い、触覚的なことを視覚的に表現している。 水馬 「つるり」がいいかなと・・。家の周りの椿の葉を集めて椿餅を作ったことがありますが、「風五月」と呼応していいですね。 芳之 「つるり」の語感がすてきです。 理恵 「つるり」という表現に惹かれました。           *       *       *  とにかく椿の葉を詠んだところが新しい。意表を衝かれた。椿といえば碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」を筆頭に、春先の花を詠むものと相場が決まっている。椿は常緑樹だから、その分厚い葉は年中重なり合って茂り、時には鬱陶しい感じさえ受ける。葉っぱが印象づけられるのはせいぜいが三月四月に出回る椿餅の時くらいである。それを「薫風を受けてつるりと光った」と椿の葉の美しさを真っ正面から称えた。既存概念に囚われない作者の感受性にびっくりした。(水)

続きを読む

穴きゅうをパリッとほおばる百一歳     池内 的中

穴きゅうをパリッとほおばる百一歳     池内 的中 『季のことば』  この句を『季のことば』に取り上げたのは、「季語と季節感」のことを考えてみたいと思ったからである。この句には歳時記に載っているような"常識的な"季語は無い。「穴きゅう」というのは寿司好きなら誰でも知っているが、甘辛く煮た穴子を炙って細く切り、千六本に切った胡瓜と合わせて海苔巻きにしたものである。これは一年中あるから季語にはなりそうもない。だからこれは無季の句ということになる。  しかし、よく吟味すると、穴子は産卵期にかかる夏が旨い。胡瓜も年中あるとは言え夏が旬である。鮨ももちろん夏の季語。してみると「穴きゅう」は堂々たる夏の食べ物ということになるではないか。ぱりっと焼かれた海苔で蒔かれた穴きゅうということになれば、これはもう立派な夏の季語である。  この句を見た時には穴きゅうはむしろ柔らかい食感で「パリッと」から遠いのではないかと思ったのだが、それは誤った先入観だった。この元気のいい粋な百一歳と、その様子をさっと句に仕立てた作者の機転に敬意を表する。(水)

続きを読む

あめんぼのレガッタ始まる水たまり     前島 幻水

あめんぼのレガッタ始まる水たまり     前島 幻水 『この一句』  番町喜楽会の兼題に「水馬(みずすまし・あめんぼう)」が出た。参加者はほぼ都会住まいだから、身近にあめんぼうを観察する機会はほとんどない。子どものころの記憶をもとに句をひねることになる。目に見える生物というせいもあり、投句の八、九割方は見たままを詠む写生句で、三つあった高点句の一つがこの句。  合評会では、「あめんぼうを、オールが何本もあるレガッタのボートに譬えるのはどうか」との声に、「あめんぼうの脚がオールに見えたのでしょう」と納得する人もいて、ボートの譬えに賛否が分かれた。改めて昆虫図鑑を繰ってみたら六本の脚がなるほどオールに見えなくはない。桜の舞うころの早慶レガッタでおなじみ、「レガッタ」は春の季語ではあるが、この句の命はあめんぼうをボートの競漕に見立てたことだろう。  二、三匹のあめんぼうが水たまりに遊弋している様を、ボートレースをしているようだと見た作者の記憶は確かだ。(葉)

続きを読む

目白には古書店二店梅雨晴れ間     鈴木 好夫

目白には古書店二店梅雨晴れ間     鈴木 好夫 『この一句』  古本好きの人がいて、古本屋好きの人がいる。似てはいるが、実質はかなり違っているという。どこが違うのか。古本好きの人とは、店で読みたい本を発見すると、ネットで取り寄せる人。古本屋好きはあの店、この店と歩いて本を買い込み、二三冊の持ち重りを楽しむ人、だそうである。  医師である掲句の作者は、その後者だろう。休診日には東京・神田神保町をはじめ、山手線内の各駅周辺あたりの古書店を巡り歩くらしい。この句、目白という地名がいい。大学があり、高級住宅街であり、教会があり・・・。そして古書店二店がまだ残っている、梅雨晴の目白の街、なのだ。  当欄、土曜日は「おかめはちもく」というタイトルを掲げ、句の添削を行うのを恒例としてきた。実は今回も、この句の「古書店“二店”」を「二軒」と直すつもりだったが、そのままにした。句を見ているうちに「傷は小さい。好みの古書の小さな染みのようなもの」と思えてきたのだった。(恂)

続きを読む

六月が大好きだ休日がない     横井 定利

六月が大好きだ休日がない     横井 定利 『この一句』  この句の裏には当然、4月末から五月にかけての史上初の十連休がある。しかしその始まりは四月の何日だったのか? 調べたら開始は四月二十七日(土)だった。終わりは振替休日の五月六日(月)だ。その間、私は何をしていたのだろう。早くも霞の向こうの遠い日々のように思えてくる。  句会で選句表を見て、笑いながらつぶやいた。「誰だ、この偏屈オヤジは!」。私と同世代ならば、毎日が日曜日だ。朝は家の前に立ち、掃除でもしていると見せかけて、通勤、通学の大人や子どもたちを眺めている。君たちは仕事や勉強でたいへんだなぁ、と優しげな笑顔を作りながら――。  作者の心はしかし、別の所にあった。ある調査によると、十連休を「嬉しくない」と答えた人が46%もいた。多く非正規雇用の人々で、時給、日給の十日分が失われた人も少なくない。この偏屈オヤジは「六月が大好き」と詠んで、政府の拙劣な人気取り政策を批判しているのである。(恂)

続きを読む

誰からも音沙汰なき日梅雨に入る      斉山 満智

誰からも音沙汰なき日梅雨に入る      斉山 満智  04・17 『季のことば』  古い歳時記を開いたら「暦面には陰暦五月中に入梅の日取りはあれど、実質的の降雨は必ずしも之と一致せず」などとあった。おや、そうだったのか、と今月のカレンダーを見たら、なるほど十一日の枠の中に「入梅」と記されている。天気のことは長らくテレビ頼りだった、と気付く。  気象庁の発表した関東の今年の梅雨入りは6月7日だった。同じ日、甲信や東海地方、さらに東北南部も梅雨入りしたが、近畿、中国、四国、九州などはまだであった。南から、西からという常識的な順序からして「妙な梅雨入りだな」と思ったその日、作者は一人、自宅におられたようである。  梅雨入りした日、東京の天候はどうだったのか。すっかり忘れていたので、ネットで調べたら「朝は曇り、お昼ごろから雨」であった。「誰からも音沙汰なき日」。作者は自宅パソコンを開いたり、明日の講義の準備などをしたり、していたのだろうか。梅雨らしい雰囲気が伝わってくる。(恂)

続きを読む