ホームレスの顔彫深し木下闇     廣田 可升

ホームレスの顔彫深し木下闇     廣田 可升 『おかめはちもく』  「木下闇」という季語の雰囲気と付き過ぎるほど合っていて、どきっとする句である。この句に注文をつける気持はさらさらないのに、『おかめはちもく』に取り上げたのは、感心して何回も読み直しているうちに、ふと「ホームレスの彫り深き顔木下闇」としたらどうであろうと思ったからである。  句の意味するところは両者同じだが、強いて差異を言えば、原句が「ホームレスの顔の彫りが深い」とストレートに述べているのに対して、水牛の方は「ホームレスの彫りの深い顔」という叙述によって、そういう印象深い顔のホームレスが、木下闇からぬっと出て来た感じが強調されるのではないかなと思う。しかし、自分で掲げて置きながら結論が出せないでいる。大方の判定を待とう。  ホームレスは単なる怠け者や浮浪者や乞食ではなく、何らかの理由から地縁血縁を断ち自由人になった人が多いということを聞いたことがある。このホームレスは作者の住まいの近くの公園の居住者らしく、昼間は図書館にいて、小綺麗な感じだという。たまたま同じベンチに腰掛けたら、ワンカップでも差し出してみようか。削いだほほに笑みが浮かぶかも知れない。(水)

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地下街を出て薫風に撫でらるる     嵐田 双歩

地下街を出て薫風に撫でらるる     嵐田 双歩 『この一句』  近ごろの都市生活者は半分地下住まいといった感じである。どこに行くにも地下鉄。駅を出てからも延々と地下通路を歩む。ターミナル駅には必ず地下街があって、飲食店から食品店、衣料品店、身の回りの品々を売る店が軒を連ねている。銀行や郵便局、地方自治体の窓口事務所まであり、ほとんどのことが地下街を巡れば済んでしまう。  しかも地下街はエアコン完備。四季を通じて温度湿度が管理されているから、常に暑からず寒からずになっている。こういう所で真冬に胡瓜やトマトやメロンを買い、真夏に鰤の切り身や千枚漬けを買う。これでは季節感というものを失ってしまうのも致し方の無いところであろう。  そんな日常に慣らされてしまって、季節の移り変わりに鈍感になっていたのだが、ふと、何かの都合で地下街から地上に出た。時は五月。さーっと爽やかな風が吹き過ぎた。これぞ「風薫る五月」。思わず目が覚めたという感じが伝わって来る句である。(水)

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薫風に空飛ぶ菩薩平等院     久保田 操

薫風に空飛ぶ菩薩平等院    久保田 操 『この一句』  空飛ぶ菩薩とは宇治平等院の「雲中供養菩薩像」のこと。平等院は平安後期に関白藤原頼通が建立した寺。極楽浄土を現出させるため池中の島に阿弥陀堂が築かれ、堂を両翼に拡げた形や屋根に置かれた鳳凰から鳳凰堂と呼ばれ、十円玉のデザインで知られている。池越しに鳳凰堂を望むと、水面に丹塗りの優美な姿が映り、西日を受ければ、まさに西方浄土が出現したかと思わせる。  阿弥陀堂には定朝作の阿弥陀如来(国宝)が鎮座し、それを囲む壁に52体の供養菩薩像が配されている。大きさは60センチほどだが、いずれも雲に乗り、如来を慰めるために楽器を演奏したり舞を舞ったりしている。鳳凰堂は阿弥陀如来を遠くからも拝めるように顔の前が大きく開かれ、そこから初夏の薫風が入ってくる。風を得た菩薩たちはまさに空を飛んでいるように見える。堂内で風を感じた作者の実感だろう。  供養菩薩像も国宝で、半数の26体は隣接のミュージアム「鳳翔館」に収蔵され、堂内の半数はレプリカだ。鳳翔館では菩薩像を間近に見られるが、ガラス室の菩薩も薫風を得て飛びたいだろうと想像する。(迷)

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風五月空き家の貝塚伊吹かな     廣上 正市

風五月空き家の貝塚伊吹かな     廣上 正市 『この一句』  貝塚伊吹(カイヅカイブキ)はヒノキの仲間で細かな葉が真冬も緑鮮やかである。小枝がらせん状にねじれながら伸び、まとまりやすい樹形だから生垣や庭木として昭和30年代大いに持て囃された。ところが、この美しい樹木が、梨や林檎を腐らす赤星病という恐ろしい病気を起こすカビ(担子菌)の中間宿主であることが分かって大騒ぎになった。  カイヅカイブキに寄生して繁殖した赤星病の担子菌は風に乗って梨や林檎に取り憑くと、葉や果実にごく小さなイソギンチャクのような気味の悪いデキモノをこしらえ、葉を枯らし、落果させてしまう。栽培農家には大打撃である。カイヅカイブキの植栽禁止条例を出す地方自治体が現れるほどになり、今ではほとんど植えられなくなっている。  この句は恐らく高度成長期に首都圏近郊に開発された住宅地の光景であろう。洒落たマイホームも半世紀たち、建て主はとうに引退、何らかの事情で家を手放したのだろう。空き家の庭には薫風が吹き過ぎ、カイヅカイブキがゴッホの油絵のように大きく伸びて五月の太陽を照り返している。(水)

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初夏のふれあい橋で折り返す     高井 百子

初夏のふれあい橋で折り返す     高井 百子 『季のことば』  どんな熟語も音読みと訓読みでは感じが違うものだが、「初夏」の場合は殊にその変化が激しい。「しょか」と詠めば薫風が吹き過ぎてゆく弾むような爽やかな気分が強調される。「はつなつ」と詠むと、日の光もまだ柔らかく全体に優しい気分に浸るような印象を受ける。このように音読、訓読の違いを上手に生かして詠むと、句が俄然精彩を放つ。この句など訓読で成功した好例であろう。  これも立夏当日の5月6日、江東区の旧中川沿いの吟行の所産。とにかく初夏の気持の良い一日で、実りの多い句会だった。「ふれあい橋まで行ってそこで折り返した吟行をそのまま詠んだ句ですが、『ふれあい橋』という橋の名前にいろいろな含みを読み取ることができます」(而云)、「吟行でお互いにすっかり心が触れ合って、折り返して来たというような意味にとりました」(二堂)という感想がまさにこの句の良さを言い当てている。  たまたま出会った「ふれあい橋」という名前の橋を句に取り入れ、そこで「折り返す」ことになった事実をそのまま詠む。結果的にこの組合せが絶妙な味を醸し出した。これが「無技巧の技巧」というものであろうか。(水)

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水陸車上がるしぶきも夏の入り     徳永 木葉

水陸車上がるしぶきも夏の入り     徳永 木葉 『合評会から』(番町喜楽会5月吟行) 春陽子 旧中川で見た水陸両用のスカイダックを「水陸車」と詠んだところがうまいですね。 冷峰 水に入るときの飛沫の様子を上手に捉えています。 双歩 「しぶきも夏の入り」の「も」の使い方が実にうまいなと感心しました。 てる夫 「水陸車」とは何だろうと思いました。「水陸バス」の方が良いかなと思いましたが、見たままの光景をうまく句に仕立てた。 可升 ちょうど中川船番所資料館を出た時にスカイダックが来たので抜群のタイミングでした。           *       *       *  スロープを下って、そのまま川へざぶんっと飛び込んだ。実に爽快愉快な景色だった。私は「スカイダック」と固有名詞で詠んでも良かったのじゃないかと思ったのだが、真面目な作者は「吟行仲間だけではなく、一般に通用する句を詠みたいといつも思っており、そういう意味からあえて『水陸車』と詠みました」と言う。宜なるかな。(水)

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御代令和初日に泳ぐ鯉幟     田村 豊生

御代令和初日に泳ぐ鯉幟     田村 豊生 「おかめはちもく」  「令和」の入った句には既に何十も出会っているが、「御代(みよ)」を冠した句はこれが初めてだった。御代は「天皇の治世」あるいは「天皇の在位期間を尊んでいう語」(広辞苑)だという。安倍首相の「国民代表の辞」に「御代」があって、異論も出ていたが、まあ、許されるかな、と私は思う。  この語への賛否は、年代によって異なるはずだ。戦時中、国民学校(小学校)の上級生ならば、自然に「御代」が思い浮かぶかも知れないが、違和感を覚える人も当然、いるに違いない。私は戦後の皇室に一貫した「平和」への姿勢を尊重したい。平成の御代は、紛れもなく戦のない時代であった。  それとは別に、この句には気になる個所がある。鯉のぼりが「泳ぐ」というありがちな表現は、省略できるはず。あの日の天気は各地まちまちだったが、快晴の朝を迎えた地もあった。「初日の空に鯉幟」でいいだろう。もう一歩進めたら「御代令和初日快晴鯉幟」。全部、漢字になってしまった。(恂)

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麦秋や満蒙帰国開拓地     玉田 春陽子

麦秋や満蒙帰国開拓地     玉田 春陽子 「この一句」  この句の第一印象は「何と不愛想な」だった。その要因は二つある。まずは仮名が一字のみで漢字が九字という硬さが極まったような文字構成。さらに「満蒙」「帰国」「開拓地」という、ごつごつした言葉の羅列。「麦秋や」というやさしい詠い出しで、ゆったりした景観か人情が続くのかと思った期待は見事に裏切られた。  だがしかし、この用字法は句の内容に合っている。第二次世界大戦の始まる前あたりから、日本は満州や蒙古へあまたの開拓団を送り込んだ。ところが、敗戦により開拓民は全てを失い、引き揚げてきたものの故郷に帰る術はなく、荒蕪地の開墾にいそしむしかなかった。そういう人々の苦難、辛苦の歴史は、この武骨な表現こそぴったりしている。  開拓民が帰国し、切り開いた那須の千振地区で聞いた話を思い出していたら、長野県上田の「檻の俳句館」のことが浮かんできた。戦争に反対し、弾圧された俳人の句を集めて“檻”に入れ、展示しているのだ。二十世紀の前半、日本政府の犯した大罪の証拠は、いまも国内外各所に散らばっている。(光)

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梅漬ける一言居士の鼻眼鏡     石黒 賢一

梅漬ける一言居士の鼻眼鏡     石黒 賢一 『合評会から』(三四郎句会) 久敬 双牛舎のブログ「水牛歳時記」の「梅干」、アレは凄いですね。実に細かい所にまで及んでいる。この句は大澤水牛さんのイメージじゃないかな。鼻眼鏡はともかく、全体的な雰囲気は合っていますね。 敦子 私は大澤さんの梅干、頂いたことがある。とても美味しいですよ。 雅博 梅干に一家言を持っている人の姿が見える。鼻眼鏡もいいですね。 進 一言居士の鼻眼鏡。梅干という日本古来の漬物に似合っている。 而云 鼻眼鏡はちょっとおどけ過ぎか、と思うけれど・・・。 賢一(作者) 私も梅干しを漬けていますが、実はこの句、大澤さんのイメージを詠みました。あの人の梅干、ほんとに美味いよ。みんなに食べてもらいたいと思うなぁ。 有弘 「こんど(双牛舎総会に)持って行くよ」と言っていたので、期待しているんだ。               *        *        *  梅干が苦手の私は各発言を部外者のように聞いていたが、録音を起こしたらこんな合評会になっていた。(恂)

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空つぽの香水のびん百二歳    横井 定利

空つぽの香水のびん百二歳    横井 定利 『季のことば』  季語は「香水(のびん)」である。香水は四季を問わず使われるが、汗や体臭が気になる夏に特に用いる人が多い。香水のほか、香水瓶やオーデコロンなども夏の季語となっている。歳時記には「香水の香ぞ鉄壁をなせりける 草田男」などの例句がある。  掲句は空っぽの香水瓶に何と百二歳を取り合わせている。句会では人物像や想像されるストーリーを巡って、議論百出となった。 「百二歳になっても香水をつけるのが女性」「おしゃれは長生きの秘訣」など実在の女性をイメージした人。空っぽの瓶から「女性は使い終わった香水瓶を捨てられないもの」「戸棚に香水瓶を見つけ母の人生を振り返っている」などの見方を披露する人もいた。 作者に聞くと、介護施設でよい匂いのする身ぎれいな百歳近い女性に会うことがあり、自分も美しく歳を取りたいと思ったことが句作のきっかけという。 百二歳の香水は一見、絵空事めいているが、超高齢化社会では有り得る実相ということだろう。意外な取り合わせに面白みを感じた人が多く、日経俳句会の5月例会では最高点を得た。(迷)

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