たわむれに蝌蚪掬ひし手皺深く     深瀬 久敬

たわむれに蝌蚪掬ひし手皺深く     深瀬 久敬 『おかめはちもく』  孫にせがまれたか、それともオタマジャクシなど見たこともない孫に見せてやろうと、田舎の田圃の用水池にでも連れて行ったのだろうか。上手に掬うところを見せてやろうと、ズボンの裾をたくし上げ、二の腕まで捲くってずぶりと泥んこに足を踏み入れ、両手で掬った。持って来たバケツに入れると孫たちは大喜びだ。オジイチャンの面目躍如である。  流れで手を洗い、腰にぶら下げた手拭いで拭うと、否応なしに手の皺が目に入る。いつもは全く気にかけない皺がやけにはっきりと目立つ。自分にもこの孫たちのようにオタマ掬いに興じた頃があったのだと、茫々たる昔が甦る。  素晴らしい句だ。「たわむれに」と頭に置いたところが実によく効いている。しかし、「掬ひし」と古語で詠んでいるのだから、「たわむれ」も当然「たはむれ」とすべきであった。この言葉がかなり重要な働きをしているだけに、惜しかった。旧仮名、新仮名の表記は句作する際についうっかりしてしまうのだが、両方ごちゃまぜというのだけは避けるべきだ。これを直せば文句の付けようの無い句である。  (添削例) たはむれに蝌蚪掬ひし手皺深く     (水)

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