廃堂や忘れ去られた冬帽子 流合 研士郎
廃堂や忘れ去られた冬帽子 流合 研士郎
『おかめはちもく』
これも池上七福神吟行で詠まれた句。大黒天が祀られていた馬頭観音堂なのだが、管理者が居なくなったとか、建て替えるためとか言われて、閉鎖されてしまった。門には錠が下り、それも壊れ、庭は生い茂った草が枯れ果て無惨な姿。重い荷車を引き、戦に駆り出され、大いに働いた昔、馬は非常に大切にされ馬頭観音堂も大いに栄えたのだが、今やこのありさま。大黒様は恵比寿神が祀られている養源寺に居候になっている。
「細かな点に目をつけたところがいいですね。『さられし』の方が良いような気もしますが」(双歩)、「冬ざれの風情がよく出ている」(涸魚)、「吟行句といえども、参加していない人にも感動を与えるものであるべきだと思うのですが、これは正しくそうした句です」(反平)と、大いに評価された。
しかし、双歩さんご指摘の通り「忘れさられた」の「た」が問題だ。それにもう一つ。「廃堂や」と大きな切字で切っているが、あまり効果を顕しているとも思えない。むしろ「に」として、忘れ去れた冬帽子に焦点を絞った一物仕立ての方が良いように思う。
(添削例) 廃堂に忘れ去られし冬帽子 (水)