上州の風は韋駄天寒の月 玉田 春陽子
上州の風は韋駄天寒の月 玉田 春陽子
『季のことば』
「寒月」は字の通り寒中の月のことだが、あたりの「寒さ」を強調する道具として用いられる場合がある。つまり、「寒し」というこの時季の代表的な季語があるのだが、寒しと直接言わずに寒月にそれを言わせる用法だ。例えば、蕪村などと蕉風復興の先頭に立った加藤暁台の『月寒く出る夜竹の光かな』は寒月によって「寒し」を詠んだものである。
もう一つは真っ正面から悽愴な「冬の月」をうたう用法で、『寒月や喰ひつきさうな鬼瓦』(小林一茶)というように、ストレートである。
さて掲出句はどうか。昔から言われている「上州の空っ風」と寒月を組み合わせた。袖で鼻や口を覆っても、襟元を掻き合わせても、身体中に寒気が忍び込む。やがて身も心も凍ってしまいそうな気分になる。そんな心細い人間を高みから寒月が照らす情景。「寒し」を言いながら、やはりこの句は寒月そのものを詠んでいるようだ。永井荷風が「寒月やいよいよ冴えて風の声」と東京の下町の寒月と寒風を詠んだのに対して、こちらは上州武州の野っ原である。より一層厳しそうだ。(水)