初孫を授かりし日は冬茜      田村 豊生

初孫を授かりし日は冬茜      田村 豊生 『この一句』  作品が「真実かフィクションか」で、句会の話題になることがある。私は「どちらでもいいじゃないか」というスタンスだが、この句に関して言えば「ほぼ事実だろう」と感じた。なぜなら私は、孫を授かった日の病院の窓から見えた富士山などの景色を、かなりはっきりと覚えているからだ。  ならば他のことは、と自問しても、はっきりと目に浮かぶような記憶はあまりない。子供たちには申し訳ないが、誕生の時の思い出は孫の時ほど鮮明ではない。子供と孫の誕生時の間には、何十年もの時が流れているのだから当然ともいえるが、単にそれに留まらない何かがありそうな気がする。  孫の誕生の頃はおおよそ、人生終盤の入り口といった辺りだ。来し方を振り返れば記憶に濃淡があるのも当然である。作者は八十歳代の半ばに近い。少年時代は満州(中国東北部)で過ごしており、苦楽のさまざまな思い出があるという。同じ句会に「大陸を錦に染めし冬夕焼」の句も出している。(恂)

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冬夕焼林も燃える散歩道      後藤 尚弘

冬夕焼林も燃える散歩道      後藤 尚弘 『合評会から』(三四郎句会) 照芳 私の散歩道はもちろん別の場所ですが、句を見て、そうだ、こんな風景もあったと気付きました。 諭 「燃える」という言う様子、私が毎日歩いている所でも感じます。絵画的でインパクトがありますね。 進 私も散歩道で句のような風景を見ますが、「冬茜」でもよさそうだ。 崇 絵画的な雰囲気ですね。格調も感じられます。 誰か カリフォルニアの山火事みたいだが・・・              *        *        *  句を見た瞬間、林が燃えるとは大袈裟で俳句らしくないと感じた。「燃える太陽」や「燃える闘魂」などは安易に使いたくない、という気分もある。しかし句を選んだ三人のコメントを聞き、考えが変わってきた。皆さん、自分が日々散歩している途中、「林が燃えている(ような)」風景を実際に見ているのである。  実際にどんな状態なのだろう。落葉樹林の向こうに日が落ちる時、一帯が燃えるように見えるのかも知れない。やがて私には散歩の習慣が全くないことに気付いた。燃える林を語るには経験不足であったのだ。(恂)

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蓮枯れて五百羅漢の読経かな     野田 冷峰

蓮枯れて五百羅漢の読経かな     野田 冷峰 『この一句』  蓮は枯れるにつれて擬人化への道をたどるようだ。「枯蓮」を兼題とした番町喜楽会から拾うと、刀折れ矢尽きた彰義隊、なお意気壮んな軍勢、「支へ合ひもたれ合ひ」、あるいは「凛として」として存在感を失わず、枯蓮への「応援歌」もある。句会の最高点句は「老いの矜持」を詠んでいた。  その中で掲句は「五百羅漢」という大きな集団を見出した。羅漢さんは仏教修行の最高段階に達した人とされるが、その姿は世俗的だ。雑談、思索、泣いたり、笑ったり、酒を酌み交したり。十六羅漢、十八羅漢などから五百まで数を増やしたのは、人間一般の姿を表そうとしているからだろう。  五百羅漢は岩手遠野の、その名も五百羅漢寺、埼玉川越の喜多院など、全国に数多く存在するが、羅漢さんの多様性と枯蓮の配合には味がある。作者は何から読経を思いついたのか。枯蓮のざわめき・・・。ここに思い至って状況が忽然と浮かんできた。寺の蓮池に風が吹き渡っていたのだろう。(恂)

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セーターを抜け出て笑う三歳児       斉山 満智

セーターを抜け出て笑う三歳児       斉山 満智 『季のことば』  ウチの子供たちの三歳の頃は? 一番上が五〇歳なのだから、もう忘却の彼方だが、幼い頃の様子はいくつか思い出す。その一つがセーターとの格闘の場面だ。母親に手伝ってもらい両手を入れ、首を出して「バァ」と破顔一笑。掲句によって、あの頃が三歳だったのだ、と懐かしく思い返した。  同じ句会で私はもう一句「セーターの胸ふくらんで十三歳」(徳永木葉)を選んだ。三歳児が十年経つとこちらの句のようになるのだろう。花でいえば、つぼみが膨らみ始めた頃だろうか。セーターは子供の肉体や精神を柔らかく包み、もうこんな風に成長していますよ、と教えてくれるのである。  さて十三歳の女の子がさらに十年経つと二十三歳。その頃の我が娘はどうだったのだろう。当時の日常の様子や言動などはすべて曖昧模糊である。社会人になっていた頃だが、セーターを着ている映像が浮かんでこないのだ。休日にどこかへ出かける時など、目を逸らしていたような気もする。(恂)

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