暮れかけて秋の気配や空の色 山口斗詩子
暮れかけて秋の気配や空の色 山口斗詩子
『季のことば』
九月になっても暑い日が続くが、気が付かないうちに季節は少しずつ進んでいるようだ。日中は「参った、参った」と嘆きながら汗を拭っていても、日が落ちる時刻になると何とはなしに秋を感じるようになる。そんな微妙な時候の変化を、句の作者は空の気配から感じ取り、これまた微妙に表現した。
残暑の頃の暮れかけた空。そこを彩るどのような色に、我々は秋の気配を感じるのだろうか。濃い青か、薄い青か。夕焼けの赤や薄い桃色が絡んでいそうだし、雲の色だって関係しているはずだ。いや、もしかしたら、作者はただ漠然と秋の気配を感じ取っていたのかも知れない。
鎌倉初期の歌人・寂蓮法師は秋の到来を「さびしさはその色としもなかりけり~」と詠んでいる。秋の寂しさは色とは関係ない、というのだ。中国の五行説に由来する秋の異称は「白秋」。そして俳句では秋風を「色なき風」とも呼ぶ。秋の気配を含む色とは白っぽく、透明感を持つ色のような気がする。(恂)