青大将梁から落ち来目の前に     井上 庄一郎

青大将梁から落ち来目の前に     井上 庄一郎 『季のことば』  春に休眠から覚めた蛇は夏場には伴侶探しと体力増強のための獲物捜しで活発に動き回る。当然人目にもつくようになり、夏の季語になった。  マムシやハブなど毒蛇は怖いが、その他の蛇は大人しく、悪さをしない。むしろ鼠を補食してくれるので、昔は農家や蔵を持つ商家などは青大将が住み着くと「家が栄える」と喜んだ。作者の生家は埼玉の由緒ある旧家と聞く。大きな土蔵か昔風の土間のある台所か、頭上には長年燻され黒光りした太い梁が通っている。そこから突然、青大将がバサッと落ちて来た。さぞかしびっくりしただろう。蛇の方だってびっくりしたに違いない。折角、鼠を追い詰めて呑み込んだ瞬間、ガラリと戸が開いて人間が入ってきた。慌ててバランスを崩して転落したのだろう。あるいは、大きな獲物を呑み込んだ蛇はわざと高い所から身投げして、腹の中で動いているのを衝撃死させるという話を聞いた事もあるから、もしかしたらそんな場面かも知れない。  ともあれ、今や都会では家鼠が居なくなり、青大将もさっぱり見なくなってしまった。古き良きのんびりした時代を懐かしむ句であろう。(水)

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いつよりか片蔭伝ふやうになり     片野 涸魚

いつよりか片蔭伝ふやうになり     片野 涸魚 『合評会から』(酔吟会) 冷峰 最近、歩行困難になっている。日影を選んで歩いています。いい句だと思います。(どっと笑い) てる夫 正直に言うと、もう随分前から片蔭歩行ですから(またまた笑い起こる)、よく分かります。 水馬 「歩く」ではなく、「伝ふ」がいいですね。身につまされるというか、共感をおぼえます。           *       *       *  平成8年春に新聞社の社会部記者0B相寄り発足した酔吟会。作者は発足時は中堅メンバーだったが、今や最長老。その後続々参加したメンバーも徐々に年古りて、平均年齢の高い句会になっているだけに、この句には共感する人たちが競って票を入れることになった。  この句の良いところは、嘆いているようでありながら、老いを楽しんでいる感じが伝わって来ることであろう。そして、それを評する人たちもそれぞれの老耄を嘆きつつ、お互いに笑い合っている。(水)

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雨上り蛙居坐るドアの前       宇野木敦子

雨上り蛙居坐るドアの前       宇野木敦子 『おかめはちもく』  この句は七月の句会に出され、「蛙?」と訝った人もいた。俳句における「蛙」の季は春で、赤蛙や殿様蛙などを意味し、夏の句会では季節外れとなる。一方、句の蛙はドアの前に居座る、という様子から、蟇蛙(ひきがえる)のようだ。夏の蛙ならば、青蛙、雨蛙、そして最も存在感のあるのが蟇蛙(蟇=ひき)である。  ドアを半ば開いて蛙を見つめ、どうしようか、と迷う作者。なかなか面白い場面だが、勝手に蟇蛙と決めるわけにもいかない。とりあえずメールで作者に問い合わせたところ、こんな返信が届いた。――この蛙は我が家の主で、二十造らいです。 のっそりと出てきます――。間違いなく蟇である。  メールはさらに続く。――可愛い顔はしていません。焦げ茶です。大人しいのですが、出掛けようとした時、ドアの前に座っていたので、さて、と考えてしまいました。少し小さいのも いるので、子供か奥さんか、ですね。大きな蛙は少し太り気味です――。添削は一字を取り替えるだけで済んだ。(恂) 添削例  「雨上り蟇の居坐るドアの前」

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行く手には奥の細道水芭蕉      小泉 基靖

行く手には奥の細道水芭蕉      小泉 基靖 『この一句』  水芭蕉が咲いているのはもちろん尾瀬だけに限らない。北は関東北部から北海道、さらに千島列島までも、だという。この句が意識するのは、その中の「奥の細道」である。東京あたりでは見かけぬ水芭蕉だが、遥か北を望めば、つまり芭蕉が辿った道には咲き続いているのだろう、と詠んでいるのだ。  作者は今年、俳句入門を果たしてすぐに、奥の細道独歩行の目標を立てた。それも交通機関は一切利用せず、芭蕉と曽良の歩いた道を延々と行くのだという。マラソンを楽々と完走、トライアスロンに参加し、近々、四国巡礼を連続での完歩を目指すという“鉄人”である。その次が奥の細道、となるらしい。  私は句を最初に見た時、暗い森の道をぼんやりと思い描いていたのだが、作者名が判明したとたん、風景の中に芭蕉主従の姿と水芭蕉の白さが浮かび上がってきた。芭蕉は新暦の五月半ばに深川を出発、六月中は福島、宮城、岩手あたりを歩いていた。時々、水芭蕉を見掛けていたはずである。(恂)

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