螢見た疎開の昭和二十年 竹居 照芳
蛍見た疎開の昭和二十年 竹居 照芳
『合評会から』(NPO双牛舎第10回俳句大会)
てる夫 口調とリズムのいい十七音ですね。昭和二十年のも、現在のも螢には変わりないが、見ている方の置かれた状況が大きく違うということでしょう。
反平 私は疎開でなく台湾から引き揚げて来た時に蛍を見た。ああ、昭和二十年だ、そうだったなと。懐かしい思いで採りました。
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私も疎開していた。今は千葉市に編入されているが、コテハシムラという草深い田舎だった。藁葺きの国民学校分教場に通って来る田舎っ子たちのいでたちは、男児は褌一丁でハダシ、女の子はパンツ一枚にボタンの取れたシャツに藁草履。この悪童連は栄養不良で痩せた疎開っ子の私をよくいじめてくれた。夏の夜になると螢はいやというほど舞っていたが、ザリガニやイナゴならまだしも、腹の足しにならない蛍にはなんの関心も抱けなかった。
作者の疎開先は愛知県の田舎で、つい先頃、懐旧の念に誘われてそこを訪ねたのだという。この句を見て私も、苦しく嫌な思い出ばかりの方が多い疎開地だが、70数年ぶりに訪ねてみようかと思うようになった。(水)