すぐ伸びる脇芽掻きてもトマトの香     嵐田 双歩

すぐ伸びる脇芽掻きてもトマトの香     嵐田 双歩 『おかめはちもく』  トマトの脇芽は掻き取らなければならない。放ったままにしておくと、どんどん芽が大きくなって枝に成長し、栄養分を奪い取ってしまうのだ。つまり脇芽を掻き取っておかないと、肝心の実が立派に育たない。そこでトマトを栽培している人は、脇芽が伸びてきたらすかさず取り除くのだという。  その憎っくき脇芽を掻き取ったら、トマト特有の香りが漂ってきたというのだ。句を読んで初めて香りのことを知った。悪者と思えた脇芽もトマトの一部であったのだ。掻き取られた個所から発する香りは、本体から引き離されていく脇芽の無念の思いなのかも知れない。これは“発見”ではないだろうか。  ただし句の上五には疑問を持ってしまった。「すぐ伸びる」がこの句に必要かどうか。ここを埋めるために、取ってつけたような感じである。別の語を考えてみたが、難しい。「見逃さず」「たはむれに」「朝仕事」。みんな面白くない。「いたいけな」は脇芽への思い入れを感じるが、まずまずか。(恂) 添削例   いたいけな脇芽掻きてもトマトの香

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美しく老いる道なし夏の月     斉山 満智

美しく老いる道なし夏の月     斉山 満智  『合評会から』 百子 意味がはっきりしない面もあるのですが、なんとなくいい句だなと思って頂きました。 冷峰 「美しく老いる道あり」が普通でしょう。「道なし」という作者の見解を聞きたくて選びました。 而云 外見だけでなく、心のことも含めて、「道なし」と言いきった。そこがすごいと思う。 的中 美しく終わりたいという願望はみんなありますが、現実は難しいのだ、という心境でしょうか。 光迷 「美しく老いる」みたいな本が結構ありますが、そんなの大方は嘘だと思います。それをいさぎよくずばりと「道なし」と言いきったところがいいと思いました。 水牛 僕は虚栄でもいいから「美しく老いる道あり」と言って欲しかった。諧謔の句かなぁ。 満智(作者) 生老病死に苦しむ人間に対して、「夏の月」が超然と輝いているというイメージです。九十代の四姉妹を身近に見ていて、老後は美しくなくたっていいじゃない、という思いもありました。               *       *       * 美しく老いる道、ありやなしや。「美しくなくてもいい」という作者の言葉が心にズンと響いた。(恂)

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紫陽花は墓参り待つ母に似て      澤井二堂

紫陽花は墓参り待つ母に似て      澤井二堂  『この一句』  我が家の近くのお宅に大きな紫陽花の株がある。高さは優に二辰鯆兇掘¬个蠅猟招造六悪辰砲發覆襪世蹐ΑK菁、きれいなガクアジサイが咲くのだが、ご主人は截れば截るほど大きくなる、と嘆いていた。句の紫陽花はこのタイプではない。こじんまりした株に綺麗な丸い花を咲かせるのだろう。  母の月命日、寺を詣でた作者ははっとしたようだ。墓地への通路を行くと、視線の先の紫陽花が、しゃがみ込んでいる母親のように見えのだ。こちらに顔を向けているようでもある。「貴方がそろそろ来る頃だと思って」。そんな声が聞こえてくるようで、「お母さん」と声を掛けそうになった。  墓参やご先祖の供養は我々が抱える現代的な問題の一つ。墓への無沙汰を気にしながら、日を送る人も少なくない。月命日には・・・、と思いつつ事情が許さない。作者の家の墓は自宅からさほど離れていないところにあるのだろう。だからこそ、墓参の回数が多く、亡き母上も待っておられるのだ。(恂)

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紫陽花の坂や千段のづら積      谷川 水馬

紫陽花の坂や千段のづら積      谷川 水馬 『この一句』  のづら積、すなわち「野面積」は、自然のままの石を加工せず、積み上げて石垣を築く手法だという。城づくりの歴史から見ればもちろん初期的なもので、石それぞれに手掛かりが多く、よじ登りやすい。ただしこの句の場合は、高い石垣のことではなく、城山につくられた石段ののづら積みと思われる。  句の作者は元々石積みの知識を持っているに違いない。足下に続く野性的な石段を「のづら積みだな」頷きながら登って行ったのだろう。千段の石段である。一段が三十造箸垢譴弌∋杏喚辰發旅發気鯏个襪海箸砲覆襦F擦涼爾砲六舁朮屬硫屬延々と続いていた。城郭などの建物は失われているようだ。  紫陽花は増やしやすい。花後のこの頃、枝を切って土に挿しておけば芽を出してくる。ある時、土地の人がつぶやいた。城ブームなのに、うち等の城、人気がないなぁ。そこで有志が石段の脇に紫陽花を植えて行ったら、数年にして城の人気が出始めた――。地方紙のそんな記事を読んだ記憶がある。(恂)

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来ぬ人や不忍口に夏至の雨     廣田 可升

来ぬ人や不忍口に夏至の雨     廣田 可升 木葉 夏至は太陽が真上にあって、ぎらぎらと照り付ける印象が強いが、この句はあえて「雨」を持ってきた。「夏至の雨」がいいと思いました。 双歩 そうですね。「夏至の雨」として、「不忍口」を持ってきた。なるほど、と思います。 百子 私は、「不忍口」と「来ぬ人」でいただきました。なにやら物語があります。夏至なのに、雨が降っている。待ち人は来ない、女性が男性を待っているのでしょうか。 的中 夏至の雨がしとしと降っている憂鬱な午後に、美術館か博物館にでも行くのか、はたまた密会か? 不忍口で、来ぬ人を待つ様子が「夏至の雨」と呼応しています。 誰か 上野の「不忍口」辺りは繁華街、ホテル街も近いですからねぇ。隠微な感じもしますねぇ(一同笑)            *         *         *  不忍池畔「扇塚」に佐藤春夫の詩。「ああ佳き人かおも影を志のばざらめや不忍の・・・」。「不忍」は近くの「忍ケ丘」の地名によるとも言う。「忍」「不忍」「偲ばざらめや」。句に秘められた物語を誰か思わざる。(恂)

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