河童忌は蓮の葉さして墓詣り     田村 豊生

河童忌は蓮の葉さして墓詣り     田村 豊生 『季の言葉』  柔道のOBが集まって始め、一か月おきの開催でそろそろ十年目の句会。兼題を決める立場で振り返ってみたら、忌日をまだ一度も詠んだことがなかった。歳時記を開けば芥川龍之介の忌日(河童忌、我鬼忌、龍之介忌)に近い。これで行こう、と決めたが、皆さんにはけっこう戸惑があったようだ。  芭蕉の忌日(時雨忌、芭蕉忌)なら十分に季節感があるが、芥川の場合はこの時期に亡くなった(自殺)だけのこと。それぞれに彼の俳句を調べたり、昔読んだ小説を読み返したりしたという。何故、命日が季語なのか、どうやって季節感を盛り込むのかなど、いくつかの質問も受けた。  掲句は蓮の葉を茎の下方で切り、日傘代わりにして墓参りという場面。芥川の代表作「河童」を更に戯画的に詠んでいる。東京ではちょうどお盆の頃、墓参もこんな風に、と洒落てみたのだ。河童の絵でいえば、小川芋銭よりも清水崑風か。俳句作り十年。これからも初体験に何度も出会うと思われる。(恂)

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木下闇天狗の背中見たやうな     中嶋 阿猿

木下闇天狗の背中見たやうな     中嶋 阿猿 『この一句』  場所は都下の高尾山かその周辺の丘陵地帯と見なすことにした。背後から見ただけでは、天狗か人か分からないからだ。天狗がたくさん住んでいそうで、人影を見たら「天狗か」と思うような舞台でなければならない。高い鼻の天狗様、あるいはカラス天狗がぬっと現れてきそうな条件が必要である。  高尾山薬王院の開山は天平時代。以来、ここで難行苦行を重ねた山伏が天狗に化したとも言われている。薬王院の境内のあちこちに天狗の像が立っている。「火渡り祭」などでは天狗と間違えそうな山伏姿の修験者を見ることが出来るし、カラス天狗の面をかたどった“天狗焼き”まで売っている。  さらに周辺には昼なお暗き木下闇が広がっている。少し足を伸ばせば、天狗か、と思うような人影にも出会えるはずだ。ところで作者の阿猿さんは魅力的なキャリアウーマン。俳号は「アエン」と読むが、「オサル」の読みもあるのが可笑しい。高尾山には猿も多いので、蛇足を加えてしまった。(恂)

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おもひでも併せて処分ころもがへ       金田 青水

おもひでも併せて処分ころもがへ       金田 青水 『合評会から』(日経俳句会) 十三妹 何気なく詠んだ句のようだけれど、私の心に刺さりました。思い出を処分するのも更衣なのですね。 てる夫 古いものを捨て去るのも更衣。更衣の一つの側面を詠んだのだと理解しております。 悌志郎 老齢の人が古い着物を処分しているのでしょう。衣服に思い出があり、心の痛みも併せて処分して新しいものに着替える。そういう物語を感じ取れます。 双歩 「思い出を一緒にしまふ衣替え」(阿猿)という句もあったが、私はこちらの「処分」の年齢に近い。 鷹洋 私は逆に「思い出を仕舞う」方を選びました。併せて処分は「処分」がちょっときつ過ぎるかな。 斗詩子 思い切って処分するのも更衣・・・。好きな服には思い出が絡みますね。          *         *        *  一枚の夏物を取り出して考える。新しく一枚を買ったので、着古したこのシャツは処分してしまおうか。改めて眺めると、さまざまな思い出が浮かんでくる。取っておこうか、捨てちゃうか。季節ごとに着替えながら、だんだん思い出を減らして行く。それでも思い出を処分し続ければ、人間はやがて本当の「裸虫」。(恂)

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百選の水潺潺と木下闇      大倉悌志郎

百選の水潺潺と木下闇      大倉悌志郎     『合評会から』(日経俳句会) 好夫 「潺潺(せんせん)」は辞書で調べて、水がよどみなく流れる様と知りました。「百選の水」の木下闇、きれいな句だなと思いました。 水兎 私も同じです。「潺潺」が素敵ですね。 冷峰 こんな言葉があるのですね。びっくりして選んでしまった。 斗詩子 私も「潺潺」の文字を始めて知りました。「百選の水」に相応しい感じがしました。 悌志郎(作者) 以前、村田先生(日経俳句会元会長)が金沢の疎水を詠んだ時、この語を使っておられた。いつかこれを使って句を作ってみようと・・・。皆さん、それに引っかかった(と作者本人が大笑い)。                   *       *       * 「潺潺」は元来、水の流れる音を意味していたらしい。しかしこの文字を眺めていると、水の穏やかに吹き上がる様子のようにも思える。例えば富士山麓・三島の柿田川。川底から絶えず盛り上がってくる水の塊は「潺潺」のように見えるのだが・・・。何だろう、この字は? 改めてこの難しい漢字を見つめる。(恂)

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更衣友のかたみに風通す     藤野 十三妹

更衣友のかたみに風通す     藤野 十三妹 『おかめはちもく』  土用の晴れた日を選んで、書籍や衣類、調度品などを陰干しして、風を通す。これが虫干しとか土用干しと言われるものだが、この人は更衣のついでに衣類の風通しをしている。まだ梅雨前の、いわゆる五月晴れの日なのだろう。  「まあこれ、○○さんの形見分けだわ・・」と、懐かしい着物を手に取る。それをきっかけにあれこれの思い出が次ぎから次へと湧き上がってきて、仕事の手が止まってしまう。  とても良い場面を詠み止めたものよと感心したのだが、「更衣ついでに、友の形見も出して、風を通す」と物事を順々に述べ、報告調になっているのが残念だなとも思った。この句で比重がかかっているのは、季語の「更衣」よりはむしろ「友のかたみ」であろう。それだったら言葉の順序を入れ換えて、   (添削例) 風通す友のかたみや更衣 としたらいかがであろう。この方がスムーズに流れ、「友のかたみ」が強調され印象鮮明になる。(水)

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螢見た疎開の昭和二十年     竹居 照芳

蛍見た疎開の昭和二十年     竹居 照芳 『合評会から』(NPO双牛舎第10回俳句大会) てる夫 口調とリズムのいい十七音ですね。昭和二十年のも、現在のも螢には変わりないが、見ている方の置かれた状況が大きく違うということでしょう。 反平 私は疎開でなく台湾から引き揚げて来た時に蛍を見た。ああ、昭和二十年だ、そうだったなと。懐かしい思いで採りました。           *       *       *  私も疎開していた。今は千葉市に編入されているが、コテハシムラという草深い田舎だった。藁葺きの国民学校分教場に通って来る田舎っ子たちのいでたちは、男児は褌一丁でハダシ、女の子はパンツ一枚にボタンの取れたシャツに藁草履。この悪童連は栄養不良で痩せた疎開っ子の私をよくいじめてくれた。夏の夜になると螢はいやというほど舞っていたが、ザリガニやイナゴならまだしも、腹の足しにならない蛍にはなんの関心も抱けなかった。  作者の疎開先は愛知県の田舎で、つい先頃、懐旧の念に誘われてそこを訪ねたのだという。この句を見て私も、苦しく嫌な思い出ばかりの方が多い疎開地だが、70数年ぶりに訪ねてみようかと思うようになった。(水)

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冷し酒つぶやきいつしか怒髪天     杉山 三薬

冷し酒つぶやきいつしか怒髪天     杉山 三薬 『この一句』  齢を取るといろいろな欠陥を生じるが、怒りっぽくなることもその一つ。これは明らかに脳味噌の劣化から来るものであろう。年寄りだろうが若者だろうが、怒りの感情はしょっちゅう湧き出す。むしろ多感な青年時代の方が怒ることが多いだろう。しかし、脳味噌の回転が速いと、ここで爆発するとまずいことになるという判断が咄嗟に湧いて、ブレーキをかける。ところが、劣化した脳味噌では、怒りの感情が一気に噴出してしまうのだ。それが治まると、今度は急速に反省の念が湧き上がり、そういう恥ずかしい行為に出た自分をしきりに苛む。  これを何十回、何百回か繰り返しているうちに、脳味噌の劣化はますます進行し、仕舞には怒る気力も失せて、静かになる。そうして、始終にこにこして、全て世は事も無しといった風情、いわゆる好好爺である。  どうも私は現在この途上にあるようだ。「水牛のつぶやき」というブログで、最近の政界官界のひどすぎる状態について、怒りにまかせて書きまくった。それを見た作者が「まあまあ」となだめてくれた。しかし、そんな身内の楽屋話に止まらず、これはもっと広く世相風刺の一句とも受け取れる。(水)

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紫陽花の身を乗り出して咲きにけり     宇佐美 諭

紫陽花の身を乗り出して咲きにけり     宇佐美 諭 『季のことば』  紫陽花は関東関西では梅雨の花。しかし、長野から北の地方となると、7月から8月に咲く。「紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女」は、暦ではとっくに秋になり朝晩冷えを感じるようになった頃に、ここを先途と咲いていますよと、地方色を鮮やかに詠み上げている。  紫陽花は日本原産の植物。里山に自生しているガクアジサイを品種改良して、四片の花びら(装飾花)をこんもりと半球状に咲くようにしたのが今日私たちが賞翫しているアジサイだ。しかし、人工的に大きくされた花だから重すぎる。やわらかな茎と花茎が大きな半球状の花を支えきれなくなって、前のめりになる。  その上、紫陽花はどこの家でも庭の端に植えるから、満開になるとどうしても垣根や石垣の外へと乗り出すように、うつむき加減に咲くことになる。  「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」──朝夕塀の外側の道を通る人たちに、上からのぞくように咲いた紫陽花が挨拶してくれる。一瞬、長雨の鬱陶しさが払われた感じになる。(水)

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旧道や蜥蜴きらめく土の壁     金田 青水

旧道や蜥蜴きらめく土の壁     金田 青水 『合評会から』(NPO双牛舎第10回俳句大会) 光迷 「旧道」は九州か東北か、あるいはもっと別の場所か、それはともかく、どこも大概寂れている。そういった草いきれのするような裏道を歩いていたら、土の壁を這う蜥蜴の青い影が見えた。とてもいい感じの句です。 諭 「蜥蜴」という字が読めなかった。女房に調べてもらって、これはすごい句だと。蜥蜴ってきらっと光りますよね、それを見事に表現した。女房も非常に気に入ったと言うことで・・(大笑い)           *       *       *  これも昨日の句と並んで双牛舎俳句大会で天賞を射止めた句。何しろパーティ形式の俳句大会だから非常に賑やかで、『合評会』といってもまともには開けず、代表して一人二人が感想を述べるに止まった。しかし、この句は難しいところが全く無くて、光迷、諭両氏の感想で十分言い尽くされている。  白漆喰が剥げ落ちて粗壁がむき出しになった土塀に蜥蜴一匹。夏の日射しに虹色に輝きながら、あっと云う間に土塀の割れ目に消えた。まさに白昼夢。(水)

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寝間までも螢飛び交ふ母の里     石丸 雅博

寝間までも蛍飛び交ふ母の里     石丸 雅博 『この一句』  6月30日に行われたNPO法人双牛舎の第10回俳句大会で見事「天」賞になった句。「母の里というのがやはりいいですね、どこかかなり遠い処なのか」(竹居照芳)との感想が述べられたが、果たしてその通り。作者によるとお母さんのお里は島根県江津市の有福温泉なのだそうだ。「東京からの移動時間距離が最も長い市」としてテレビや新聞に取り上げられたこともある。有福温泉は石段の多い傾斜地の温泉郷で、六〇年前に初めて連れて行かれた時に、「こんなに沢山の螢がいるのか」と驚嘆したのだという。  詳しいことは知らないが、多分、作者のお母さんは結婚して以来ずっと都会暮らし、子供がかなり大きくなって、自分の生まれ育ったところを是非見せてやりたいと連れて行ったのであろう。雅博少年は本当の自然に触れてさぞかし感激したに違いない。何しろ東京では昭和40年代にはもう「螢の名所」とされている所ですら、ちらちら見えればいい方ということになっていたのだ。  ところがここはどうだ。至る所螢が乱舞している。なんと寝室にまで迷い込んだ螢が光っている。この感激は作者の脳裡にしっかりと焼きついた。(水)

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