河童忌やページをめくるも瞼閉じ     渡邉 信

河童忌やページをめくるも瞼閉じ     渡邉 信  『季のことば』  河童忌を詠むにあたって、作者は芥川の作品を何篇か読んだのだろう。建築会社の創業者として仕事や付き合いが多い。家に帰って、読まなければ、と気付いて書棚から本を取り出すが、たちまち瞼が重くなってくる。そんな場面を思い、わが努力を俳句仲間に伝えよう、と句にしてみたのかも知れない。  芥川の命日は七月二十四日。まして今年は猛暑続きだ。家に帰る前に「ビールでも」と誘ったり、誘われたりするはずだ。普通なら本など読もうとせず寝てしまうところだが、迫り来る句会を思えば、何とか材料を見つけ出さねばならない。このようなわが身の状況を、材料にしてしまったのだ。  もし外部の人がこの句を見たら、上五の「河童忌」と中七、下五の関連をはっきりとは理解できないかも知れない。しかし句仲間ならば、ご同輩、苦労しましたな、と多少の同情に笑いに込めて、この句を解することが出来よう。俳句は座の文芸、この句も座の中に生きている、と私は理解することにした。(恂)

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河童忌の山門に聞く読経かな     宇佐美 諭

河童忌の山門に聞く読経かな     宇佐美 諭 『合評会から』(三四郎句会) 豊生 私、築地(本願寺)によく行きますが、本当にこういう感じです。お盆の頃、河童忌でもあるし。山門の前にくると、読経の声が聞こえてきます。 尚弘 響きがいい。「山門に聞く」が生きていると思います。 而云 河童忌と読経。芥川の忌日とつかず離れず、という感じですね。 諭(作者) 母親を寺に連れて行ったことがあって、その時の記憶です。読経が聞こえていました。                *        *        *  前句に続いて芥川龍之介の忌日「河童忌」を詠んでいる。句のムードからすれば、こちらの方が忌日の句らしい。ある寺の門前に来たら、経を読む僧侶の声が聞こえてきた。あたかも龍之介の命日に近い頃。句会の兼題を思い出し、しばし読経に耳を傾けながら、どのように工夫を凝らすか、と考えたのだろう。  家に帰って一思案の後に気が変わった。あれこれ理屈はこねずに、そのまま詠んでみようか、と。前句に続いて、脱力、自然体といった様子が感じられよう。句作りにはそのような態度が必要のようである。(恂)

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河童忌やウキを見つめて日暮れまで     石黒 賢一

河童忌やウキを見つめて日暮れまで     石黒 賢一 『合評会から』(三四郎句会) 崇 この句、肩の力を抜いて詠んでいますね。それだけに、この釣りをする人、何を考えているのかなと、想像を刺激されます。 尚弘 釣り堀なのかな。湖か池でヘラブナでも釣っているのかも知れない。のんびりとした雰囲気で・・・。河童忌はこういう詠み方がいいのかな。 而云 兼題を間接的詠んで何かを感じさせる句ですね。 賢一 年金生活者の雰囲気を借りて、河童忌を感じさせようと思いました。         *         *          *  この句会で忌日(河童忌、龍之介忌)の兼題が出されたのは初めてのことだった。それだけに芥川の事跡を調べたり、小説を詠んだりして、それぞれに工夫を凝らしていたらしい。ところがこの句の作者は脱力を心掛けたようである。スピードボールを打たんとするバッターに、スローボール投げた感もあり、かなりの効果を挙げたと言えよう。「こんな作り方でいいのか」と思った人もいたようである。(恂)

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木下闇歴史語らぬ古庵のあり     向井 ゆり

木下闇歴史語らぬ古庵のあり     向井 ゆり 『おかめはちもく』  たとえば昔の城の跡や大名屋敷の庭園を改造した公園などに、由緒ありげな庵や茶室がひっそりと建っているのを見る事がある。六義園や後楽園、東京国立博物館庭園、三渓園などにはそれこそ由緒ある建物が沢山あるが、それらにはちゃんとした説明板がついている。そうではなくて、あまり有名ではないけれど何となく心惹かれる庭園の繁みの中に、そんな建物を見つけると却って興味をそそられる。この句はそうした情景を詠んだものであろう。「歴史語らぬ」古い庵というのがとても良い味を出している。  しかし、下五で「古庵のあり」という字余りはいただけない。静かな環境の下で、ゆっくりと昔に思いを馳せるという状況を描いているのだから、句の方も五・七・五の定型をしっかり整えて、流れるように読み下すべきであろう。  「古庵のあり」には、無理矢理詰め込んだ窮屈な感じがする。「古庵あり」で字余りは解消するが、「・・語らぬ・・あり」となって少々うるさい。ここは「こあん」と読ませず「ふるいおり」と読ませるようにしたらどうであろうか。  (添削例) 木下闇歴史語らぬ古庵     (水)

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店先に一坪ほどの青葉闇     久保田 操

店先に一坪ほどの青葉闇     久保田 操 『季のことば』  青葉が茂り、日の光が遮られて昼なお暗くひんやりとした樹林の下を言う。「木下闇(このしたやみ)」と言って奈良平安時代から詠まれ続けて来た古い季のことばで、俳諧時代になると「こしたやみ」と縮めて詠まれるようになり、さらに「下闇(したやみ)」という短縮形も生まれた。「青葉闇」はその言い換え季語である。似たような季語で、明治の末か大正時代に生まれた「緑蔭(りょくいん)」というのがあるが、これは樹木がもう少しまばらで、木漏れ日が射し込んで来るような情景。木下闇・青葉闇と比べると明るい印象を受ける。  この句の青葉闇はなんとまあ「一坪ほど」だという。老舗の料理屋か蕎麦屋か、店の玄関に到る石畳の左右には、石灯籠なども配置された小庭があるのだろう。それを「店先に一坪ほどの青葉闇」と大げさに詠んだところがとても面白い。  ほどよく撒かれた打ち水も心地良く、これから頂く御料理もさぞやと、楽しみがふくらむ。たらふく食べて、ほどよく飲んで、すっかりいい気持になったが、おかげで懐もだいぶ涼しくなった。(水)

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梅雨明けや鯨ジャンプす東京湾     堤 てる夫

梅雨明けや鯨ジャンプす東京湾     堤 てる夫 『合評会から』(番町喜楽会) 木葉 まざまざと情景が見えますね。「梅雨明け」の季語と「鯨のジャンプ」がよく合っています。 冷峰 テレビでこの光景をさんざん見ていたのですが、俳句は浮かびませんでした。詠むべきだったなと後悔しています。 哲 時事句だが、それを超えた梅雨明けの爽やかさと景の広がりを感じる。 光迷 さわやかでいい句だなと思います。ところで、その後この鯨はどうしたんですかね? 双歩 もしもこのニュースが無くてこの句が出たとしたら、意外性があって、もっと面白がられたような気がします。           *       *       *  今年のお天気は変だ。6月中に梅雨が明けてしまい、その後は猛暑の連続。ついには東京湾にクジラが入り込んで来た。木更津港に架かる日本一の高さの歩道橋「中の島橋」(木更津橋)には、鯨を一目見ようとヒマ人が押しかけたとのTVニュース。これからさらにいろんな動物が押し寄せてくるのではないか。(水)

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畑一面馬鈴薯の花髪に挿せ     鈴木 好夫

畑一面馬鈴薯の花髪に挿せ     鈴木 好夫 『季のことば』  恐らく北海道の夏の景色であろう。見はるかすジャガイモ畑。一斉に花が咲いている。  むかし、本州のちまちました馬鈴薯栽培では「蕾がついたらすぐに掻き取ること」とされ、馬鈴薯の花はあまり見られなかった。いたずらに花を咲かせると養分を取られ、実(地下茎)が太らないからと言われていたのだ。しかし、耕運機の使用で畑の面積が広がって、人手不足もあってジャガイモの蕾を一々摘んではいられなくなった。やむを得ずそのまま咲かせたら収穫量にはさしたる変化が無かったとの話が伝わって、今ではあちこちに薄紫の可憐な「馬鈴薯の花」が見られるようになり、都会の住民の目にも触れる仲夏の季語に定着した。  この句は、何と言っても「髪に挿せ」という下五が素晴らしい。普通なら遠くに見える山の名前などを据えたりして句の姿を整えるのだが、これは一転、傍らの、恐らく愛する人への呼びかけである。「平成万葉集」を編むとすれば必ず選ばれるであろう、素朴で力強い愛の賛歌である。(水)

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雷電の墓に詣でり雲の峰     徳永 木葉

雷電の墓に詣でり雲の峰     徳永 木葉 『季のことば』  「雷電は史上最強の大関、本当に季語に合っている」(反平)、「偉大な雷電に雄大な雲の峰が繋がっている。さらさらと詠んで凄く上手い句」(涸魚)。これらの評の通り、無造作に詠んでいながら、これほど雲の峰を感じさせる句も珍しいと感服した。確か雷電為右衛門は信州の産だと思っていたら、上田市在住のてる夫さんが句会に居て「上田市の隣の東御市に生家があり、国道沿いには道の駅「雷電の里」があって史料展示しています」と教示してくれた。  また、雷電は妻八重の郷里千葉県の臼井で相撲興行を何度も開催している。草深い村で再三興行したのは、愛妻家だった証しでもあろう。八重の実家の傍に家を構え、そこで没したとも言われている。佐倉市の浄行寺には雷電と八重、幼くして死んだ娘の墓があり、見に行ったことがある(浄行寺は廃寺で現在は近くの妙覚寺が管理)。この句の作者は佐倉在住。もしかしたらこちらのお墓を詠んだのかも知れない。  まあそれはどちらでも良かろう。江戸の本場所で254勝10敗、勝率96.2%という圧倒的な成績。まさに盛夏の空に立ち上がり、下界を睥睨する入道雲である。猛暑を吹き払ってくれるような気持良さも感じる句だ。(水)

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浴衣地の縫目辿れば祖母の顔     工藤 静舟

浴衣地の縫目辿れば祖母の顔     工藤 静舟 『合評会から』(酔吟会) 水馬 ものすごく上手い句だなあ、いいなあ。 春陽子 お下がりを貰ったりして、「お婆ちゃんは裁縫の上手い人だったんだなあ」と皆で思い出したりしてるんでしょうね。 涸魚 父は福島の分教場の教師、母は村の娘たちの裁縫の先生だった。そのころを思い出して懐かしさが湧いてきて、すぐに頂いた。 双歩 「祖母の顔」ときたのが上手い。浴衣姿を詠むのではなく、縫い目に注目している。           *       *       *  作者には俳句勉強会に出した「浴衣縫ふ針を滑らす祖母の髪」という句がある。これも素晴らしい。しかし、この句は祖母が縫い物をしているのだとすると語順が悪い。縫い物しているのは作者で、祖母の髪の入った針刺しで針を滑りやすくしているのか、どちらだろう。そんなことを考えていたら、上掲のように全く別の句に作り替えて投句してきた。「ばあちゃん子でした」と言う作者。どちらもバアチャンを想う気持が自然ににじみ出てている。(水)

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夏の月蒙古放浪夢一夜     野田 冷峰

夏の月蒙古放浪夢一夜     野田 冷峰 『おかめはちもく』  添削のコーナーと心得ていた当欄に意外な要望が到来した。冷峰氏から「私の2句を『おかめはちもく』の俎上に載せて頂けないか」という申し入れがあったのだ。二句は句会での得点は少なかったが、句会後の団欒の場で、会の主宰者から、ともに◎を頂戴したという。この評価の差は「なぜなのか」というのが作者の問いである。  軽い気持ちで「いいですよ」と引き受けたが、改めて掲句を眺めて「古いねぇ」と思った。半世紀以上も前、バンカラ学生が歌っていた「蒙古放浪の歌」が自然に甦ってくる。「心猛くも鬼神(おにがみ)ならぬ・・・」。二二六事件、大陸浪人、満蒙開拓団--。私の頭の中にはマイナスイメージばかりが溢れ出てくるのだ。  当時の日本政府の大陸進出はあらゆる面で認められない、と私は考えている。満蒙のことは悪夢として否定せざるを得ないのだ。もう一作、トマトを詠んだ句には破天荒なエネルギーが感じられ、好感を抱いたが、掲句は相性が悪いと言う他はない。現代的な「ゴビ砂漠放浪句」でも作って頂けないか、と思っている。(恂)

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