夏が来た皿いっぱいの生野菜 高井 百子
夏が来た皿いっぱいの生野菜 高井 百子
『季のことば』
「夏が来た」と言えば、俳句の季語としては「立夏」ということになる。二十四節気で夏の初めとする日で、毎年5月5日頃。6月も中旬になってこういう句を取り上げるのはいささか時期はずれの感じがするが、この句全体から受ける感じは7月初めあたりまで通用するのではないかと思って、あえて選んだ。
なんということもない、食卓風景をそのまま詠んだものだが、「夏野菜の鮮やかさが溢れています。おいしそうですね」(睦子)という句評そのままに、実に気持の良い、元気が溢れて来るような句ではないか。
句会で高点を得て、作者は「小学生の句のようで恐縮です。でもおいしいので思わず作りました。毎朝皿いっぱいの野菜を食べています」とはにかんでいたが、俳句づくりの原点を示したような句である。芭蕉も「俳諧は三尺の童にさせよ」(服部土芳『三冊子』)と言っている。子供の目と心で、何の衒いもなくすっと詠み下した句に名句が存するというわけだ。兎もびっくりするほどの緑黄野菜が大皿に溢れんばかり。見ただけで活力が湧き上がって来る。(水)