滝音を包む新樹の光かな 廣田 可升
滝音を包む新樹の光かな 廣田 可升
『この一句』
「滝音を? 新樹の光が・・・?」。選句の際は深く考えず、「ちょっと分かりにくい」と読み飛ばしてしまった。選句の初め、この句は選ばれなかったのだが、半ばを過ぎて三人がたて続けにこの句を読み上げた。合評会では「ちょっと考えてしまった」など解釈上の疑問も提示されていた。
作者はこんな風に説明した。「新樹の光が滝の音を包んでいるというイメージですが」。滝の音が一塊りとなって滝壺から立ち上り、その周囲を新樹の光が取り巻いている・・・。普通の感覚では思い描きにくい情景だが、何となく心を刺激するものがあり、理解出来ない、と切り捨てることは出来ない。
中原道夫の句「瀧壷に瀧活けてある眺めかな」のような諧謔性はない。アイディアは新奇だが、作り方は正攻法である。滝の音は結局、どうなるのだろうか。新樹の光が滝音を包もうとしても、音は広がっていくばかりなのに。やがて気づいた。理屈優先型だから、このような句が作れないのだ、私は。(恂)