里の庭古きへっつひ陽炎へり 池村 実千代
里の庭古きへっつひ陽炎へり 池村 実千代
『この一句』
「里」には「村里、田舎、在所」といった意味と、「実家」を意味する場合がある。この句の「里の庭」はどちらにも通用するようだ。いかにも晩春の駘蕩たる空気が伝わってくる。
陽炎は、日射で暖められ立ち昇る水蒸気の中を通過する日の光が屈折し、ゆらめいて見える現象である。だから温められた石の上などには陽炎が際立つ。「古きへっつひ陽炎へり」とは実に観察が細やかである。
しかし、「へっつい」とはまことに懐かしい言葉だ。今は絶えて聞かない。「竈(かまど)」と言えば「あゝ」と言う人がまだかなりいるだろう。石や耐火煉瓦などを粘土あるいは漆喰、セメントで塗り固めて、上に鍋釜を置き、下で薪や石炭、コークスなどを燃やして、御飯を炊き、料理を拵える昔のレンジである。昭和40年代までは都市部でも旧家では見受けられた。
庭に棄て置かれているへっつい。雨風にさらされながらも、でんと座り、そこから陽炎がゆらゆら立ち昇っている。「無用の長物」には違いないが、その貫禄たるや大したものだ。ああ、ふる里だなあと思う。(水)