砂利道の轍の中の草芽かな    渡邉 信

砂利道の轍の中の草芽かな    渡邉 信 「合評会から」(三四郎句会) 賢一 砂利道の轍(わだち)の中に草の芽。よく分かるし、面白いところ見ている。 照芳 私の感想も全く同じですね。 基靖 草の芽の様子がそのまま浮かんできます。言葉が情景となって表れてくるのですね。 雅博 私は草の生命力を感じました。 而云 轍の中の草の芽はいいが、砂利道に轍が出来るかな、とも思った。 信(作者) 私は山の中で育ったから、草のこんな状況をよく見ていました。踏まれても踏まれてものしぶとさがあるんです。粘り強い人間の姿のようにも思いました。          *         *        *  轍に落ちた草の種の命運は?。運よく芽吹いても、車に踏まれ、立ち上がってまた踏まれ、となりそうだ。作者はそういう草の芽をよく見ていたという。少年はやがて東京の大学に入り、建築関係の会社を興し、そして今、この句を詠んだ。轍の草は句材として新奇とは言えないが、作者の経歴を思うと粛然とせざるを得ない。(恂)

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