春光る根元の雪を消しながら 高瀬 大虫
春光る根元の雪を消しながら 高瀬 大虫
『季のことば』
この句は「春光」という春の季語に「雪」を重ねている。型にはまった考え方の旧弊な結社だと、「季重なり」の一言で捨てられてしまうかも知れない。しかし、こういう景色は春まだ浅い庭先などによく見られる。夜の内に降り積もった雪が、うらうらとまばゆい陽の光りに照らされて溶けてゆく。真っ先に溶け始めるのが木や草の根元である。木肌や草の根元は熱をよく吸収して温かいのだろう。観察のよく行き届いた句である。
このように自然界には歳時記で春夏秋冬に分別された季語があれこれ入り混ざることがしばしばある。「季重なりはダメ」と、そういうものを一切詠めなくしてしまうと、俳句はずいぶん窮屈なものになってしまう。
一方、季語というものは大勢の俳人が代々用いて行くうちに、いろいろな意味合いが付与され、独特の「詩語」に育った特殊な言葉である。だから、そうした存在感のある詩語が二つ同居すると、句がばらばらになってしまう危険がある。それで「季重なり」が嫌われるようになったのだ。そんなことを念頭に、「季重なり」を承知の上で詠めば、こうした感性豊かな句も生まれる。(水)