一人酒夢か現か雪深々   小泉 基靖

一人酒夢か現か雪深々   小泉 基靖 『おかめはちもく』  作者は三四郎句会に入会したばかりで、句作りは初めてとのこと。さてこの句、三月の初句会に向けて「雪」を詠んでみた。先日の春の大雪の頃である。夜、一人酒をやっていて、ふと気づけば雪が降り積もっていた、というのだ。しかし季節は春。句会で時期遅れの句はまずい。やはり「春の雪」としてもらいたかった。  もう一つ指摘したいのが中七の「夢か現(うつつ)か」。この慣用句を用いたことで、却ってリアルさが薄れている。「現」にはいくつかの意味があるが、辞書によると日常では普通、体験し得ないような精神状況だ。それを逆に利用し「一人酒現か春の雪深々」くらいにすれば、却って現実味が生れたのではないか。  作者は柔道六段、ホノルルマラソンを完走、次は「トライアスロンに挑戦したい」と語るスポーツマンである。俳句の世界ではかなり珍しいタイプに属するだろう。初体験の句会では俳句に関する新聞の切り抜きを持ち込むなど、大いに意欲を見せていた。柔道体験者の多い三四郎句会中、異色の存在となるか。(恂)

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忘れ雪汁粉の中に餅二つ     石黒 賢一

忘れ雪汁粉の中に餅二つ     石黒 賢一 『合評会から』(三四郎句会) 正義 白い雪と餅、それがお汁粉の中に。春の混然とした一句だ。 崇 「忘れ雪」で切れる二句一章、つまり取合せの句ですね。皆さん、どう捉えるか。 而云 変な句で、面白い句ですね。お汁粉に餅が二つは、雪の残っている春先の庭の隅か。二句一章の句と指摘されてみると、なるほど、取合せの妙味も感じます。 賢一(作者) 春の雪の日。熱い汁粉がいいなぁ、という句ですが。 *       *        *  「忘れ雪」は雪の果、名残の雪、雪の別れ、終雪などと同じく、一年の最後の雪を意味している。涅槃会(陰暦二月十五日)に合わせて、涅槃雪、雪涅槃ともいう。この句は「忘れ雪」を上五に、「汁粉と餅」を中七、下五に置く。その前後を意識しながら一句を読むと、柔らかな、べたべたするような白と黒の混沌が浮かんでくる。  庭に雪が残っている寒い日。作者はお汁粉を作り、餅を二つ入れてみた。どろりとした小豆色の汁に白い塊が二つ。ただそのことだけを詠んだのかも知れないが、崇氏が指摘するように、これは取合せの句になった。(恂)

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鎌倉のうら山けさも百千鳥     印南 進

鎌倉のうら山けさも百千鳥     印南 進 『季のことば』  一読、盛唐期の詩人・孟浩然の絶句「春眠暁を覚えず 処処に啼鳥を聞く」が浮かんでくる。春の一夜をぐっすり眠った。目覚めたらもう明るく、夜明けを知らなかった。気づけば周囲から鳥の鳴き声聞こえてくる、というのだ。鎌倉に住む作者もこの朝はゆっくり目覚め、にぎやかな鳥の声を聞いていたのだろう。  ここで「百千鳥(ももちどり)」という季語の力に気付く。孟浩然の「処処に啼鳥を聞く」を僅か三字で言い切り、さらに群鳥の混声合唱までを言い表している。ただしその一方で、中国人が何千年にもわたって作り上げてきた詩の作り方も認識しなければならない。孟浩然の詩「春暁」は次のように続いていく。  「夜来風雨の声 花落つるを知る多少」。目覚めた人は「そういうえば」と、夜中の風雨を思い出したのだ。「今朝はたくさんの花が散っているだろう」。四行詩・絶句の構成はご存知の「起承転結」で、後半の二行が「転」と「結」にあたる。俳句の「取合せ」の持つ意外性は、絶句からの流れにあるのかも知れない。(恂)

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さよならを仕舞込みたる忘れ雪     宇佐美 諭

さよならを仕舞込みたる忘れ雪     宇佐美 諭 『合評会から』(三四郎句会) 賢一 なんでさよならをしまい込んだのか、イルカの「名残り雪」を思い出しました。そこから引っ張り出したのか。面白い句です。 有弘 抽象的な詠み方ですね。状態が分かりにくいので、作者に聞いてみたい。 雅博 今回は色っぽい句が多い。これも男女の仲だと思いますが。 進 小さい頃の思い出だろうか。引っ越しのサヨナラとも思える。 諭(作者) 色恋沙汰ではありません。最後の雪の感じを詠みました。雪にとって一年の終りということです。 而云 発想が元々違うのだから仕方がないが、人の別れと解釈したいなぁ。         *          *        *  例えば小林一茶の「ともかくもあなた任せの年の暮」。普通なら、ダメな夫としっかり者の妻、というところだ。ところが句の前書きによれば「あなた」は阿弥陀様のこと。一茶はこの句を自分のために詠んだのだろう。  掲句も誤解を生みやすい詠み方に類する。よくよく考えれば、雪の心を詠んだ、と分かってくるのだが。(恂)

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砂利道の轍の中の草芽かな    渡邉 信

砂利道の轍の中の草芽かな    渡邉 信 「合評会から」(三四郎句会) 賢一 砂利道の轍(わだち)の中に草の芽。よく分かるし、面白いところ見ている。 照芳 私の感想も全く同じですね。 基靖 草の芽の様子がそのまま浮かんできます。言葉が情景となって表れてくるのですね。 雅博 私は草の生命力を感じました。 而云 轍の中の草の芽はいいが、砂利道に轍が出来るかな、とも思った。 信(作者) 私は山の中で育ったから、草のこんな状況をよく見ていました。踏まれても踏まれてものしぶとさがあるんです。粘り強い人間の姿のようにも思いました。          *         *        *  轍に落ちた草の種の命運は?。運よく芽吹いても、車に踏まれ、立ち上がってまた踏まれ、となりそうだ。作者はそういう草の芽をよく見ていたという。少年はやがて東京の大学に入り、建築関係の会社を興し、そして今、この句を詠んだ。轍の草は句材として新奇とは言えないが、作者の経歴を思うと粛然とせざるを得ない。(恂)

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旅立ちの朝ことほぐや草芽ぐむ     廣田 可升

旅立ちの朝ことほぐや草芽ぐむ     廣田 可升 『おかめはちもく』  地方転勤、地方から東京本社への異動、あるいは海外転勤。若い人の場合なら地方の高校を卒業して大学入学のための上京──春は「旅立ち」の季節でもある。そんな大きな旅立ちでなくてもいい、もう仕事とは無縁になった年寄りの泊まりがけの吟行旅行だって「旅に出る」ことには変わりない。  とにかく、どんな旅であれ、旅立ちには多かれ少なかれ心を刺激するものがある。「行ってまいりまーす」と門を出しなに、路傍に芽生えた草が朝陽を浴びて光っている。「元気でね」と励ましてくれているような気がして嬉しい。この句はそうしたうきうきした感じをそのまま詠んでいて気持が良い。  ただ「ことほぐや」とまで言わなくてもいいのではないかなと思う。確かに作者にはそう感じ取れたに違いない。しかし、そこまで言ってしまうと、いわゆる「言い過ぎ」で、読者に空々しい感じを抱かせてしまう恐れがある。草の芽が門出を祝うというような一種の擬人法ではなく、「旅立ちの朝一斉に草芽吹く」でもいい、草の芽の生え具合などをさらりと言った方が良さそうだ。(水)

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耳飾り弾む横顔風光る     水口 弥生

耳飾り弾む横顔風光る     水口 弥生 『季のことば』  三月も半ばを過ぎると春の日差しはかなり強くなり、吹く風も暖かく、まばゆく光っているように感じられる。そうした日の光と風そのものを言うのと同時に、ああ春だなあという喜びを表すのが「風光る」という季語である。カレンダーで言えば仲春から晩春、三、四月となる。  この句は女性の横顔に照準を合わせて、「風光る」雰囲気を生き生きとうたっている。若い女性を詠んだものと見做しても悪くはないのだが、それだとあまりにも真っ当過ぎる。私の勝手な思い込みかも知れないのだが、むしろ落ち着いた齢のご婦人とみた方がいいような気がする。  アクセサリーなどに一々構わなくなった中年女性が春風に誘われて、このところ着けなくなったぶらぶら垂れ下がるのをして外出したのだ。こんなちょっとした変化で気分が変わり、歩幅も変わる。「耳飾り・弾む・横顔・風光る」と跳ね返るような詠み方と相俟って、そんな感じが明るく伝わって来る。「イヤリング」と言わずにわざわざ「耳飾り」としたのが、印象新鮮である。(水)

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幻や花の根もとの手負武者     高瀬 大虫

幻や花の根もとの手負武者     高瀬 大虫 『この一句』  日経俳句会、番町喜楽会で仲良く詠み合い、酌み交わしてきた大虫さんが17日に心臓疾患のため死去、21日、埼玉県桶川の名刹五大山興願寺明星院で葬儀が行われた。  この句は平成20年4月、句友連れ立ち八王子の多摩森林科学園桜保存林を吟行した時の作である。日本全国から集められた桜が今を盛りと咲き競っていた。しかし、ここはその昔、後北条氏の武者たちが、攻めて来た武田勢と激戦を繰り広げた古戦場であり、秀吉の小田原攻めの際にも戦いがあった場所でもある。大虫さんは戦国の世に思いを馳せ、桜樹の下には死体が埋まっているという俚諺を踏まえて、華やかさには衰亡がつきまとうと詠んだのであろう。  60年安保に熱血をそそぎ、挫折した大虫さんは、終生弱い者、敗れた者の側に立つ姿勢を貫いた。決して大声を上げることはなく、笑みを絶やさない人だったが、常に影を背負い、花の下の手負武者という雰囲気があった。  時ならぬ春雪に見舞われた菩提寺境内の大榧を見上げながら、10年前のうららかな花見吟行で「この人にしてこの句あり」と感じたことを思い出す。(水)

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のどけしや日向に猫の裏返り     塩田 命水

のどけしや日向に猫の裏返り     塩田 命水 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 私は「下駄の裏返し」の句を出したので、猫が裏返っているのもいいんじゃないかなと・・・。 水馬 今回は猫の句が八句もありました。だけど多くの句に「創作」を感じてしまったので、一番自然なこの句をいただきました。 てる夫 ただ一言。「猫の裏返り」が気に入りました。 幻水 猫はのどかな時にひっくり返るらしいですね。そのままの感じがいい。           *       *       *  猫は安心しきって警戒心を解いた時に、仰向けになって腹を出す。親や飼い主に対する親愛の表現、媚態でもあるようだ。しかし、いくら危険が無いと言っても、凍りつくような厳寒の候にこんな姿勢を取ることはほとんどない。やはり春も半ばになって、うららかな日差しの注ぐ昼日中にこうした恰好をする。この句はそういった仲春の長閑さを素直に詠んでいる。こういう猫と遊んでいると、このところの世の中の嫌な出来事をすっかり忘れてしまえる。これも俳句の効用の一つであろう。(水)

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春曇天俳句弾圧不忘の碑     高井 百子

春曇天俳句弾圧不忘の碑     高井 百子 『この一句』  長野県上田市の「無言館」庭園に「俳句弾圧不忘の碑」が建てられ、2月25日に除幕式が行われた。碑文の揮毫は20日に98歳で逝った俳人金子兜太。  挙国一致で戦争に突き進んだ大日本帝国の軍部は「治安維持法」をたてに、特高警察を使って40年(昭和15年)2月、"不穏分子"と目を付けていた京大俳句会の平畑静塔、波止影夫らを検挙。これが新興俳句弾圧の始まりで、以後、「広場」「土上」「俳句生活」など十数団体の44人を検挙、13人が懲役刑を受けた。  最初に検挙された京大の井上白文地の「反戦思想の現れ」とされた句は「我講義軍靴の音にたたかれり」である。井上は京大西洋哲学科を卒業、立命館大学講師として教壇に立っていた。軍事教練などでしばしば授業に支障を来すようになってきたことをそのまま詠んだのだろう。批判精神はうかがえるものの、これを以て国家に対する反逆姿勢と決めつけるのは狂気の沙汰である。同時期の渡邊白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」も同様である。  兜太は自らも戦場に駆り出され、戦争の悲惨さを身に沁みて知り、一貫して「反戦」を唱え、戦争に道を開く「表現の自由圧迫」に反対し続けた。この句はこうしたことを背景にしている。「春曇天」というごつごつした、春らしくない響きがとてもよく合っている。(水)

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