父と子の背の並びたり日脚伸ぶ   野田 冷峰

父と子の背の並びたり日脚伸ぶ   野田 冷峰 『季のことば』  「日脚伸ぶ」は冬至が過ぎた後の季語だが、そのことを実感するのは二月の立春を過ぎた頃からではないだろうか。最近は毎朝、同じ頃に起床すると、二、三日前より間違いなく朝が早くなっていて、なるほど日が伸びている、と納得する。季節の進行とはこのようなものだろう。  さてこの句、子供の背丈は日ごとに伸びていくのだが、父親の身長はもはや伸びる可能性がない。親は次第に子に追い付かれ、やがて抜き去られることにもなるが、その事実と季節は全く関係がない。しかし親子の背丈と「日脚伸ぶ」に何の関係があるのか、と作者に絡むのは筋違いである。  俳句は感覚や気分を詠むもので、理屈を主張するものではない。日脚が伸びる頃、父子の背丈のことに気付いた、という季節感に、読み手がどう反応するかどうかなのだ。私にはフィーリングの合う句であった。その一方で「日脚伸ぶ」は春、冬どちらの季語だったかな、と考えていた。(恂)

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