六根清浄白き列行く月山の冬     宇野木 敦子

六根清浄白き列行く月山の冬     宇野木 敦子 『おかめはちもく』  一月の三四郎句会で好評を博した句。「真っ白な月山に白装束の人たち。印象的だ」(賢一)、「六根清浄と冬の月山が合っていて、映像が浮かんでくる」(有弘)、「まさに純白の世界」(進)、「冬の月山の行者の列、読経の声も聞こえてくるようだ」(崇)と、一座の面々この句の良さを交々挙げている。  一読身も心も引き締まり、厳粛な気分になる句である。羽黒山、湯殿山と合わせての出羽三山は、芭蕉が奥の細道の旅の中でも重要ポイントとした場所だった。芭蕉が月山に登ったのは六月八日(陽暦七月二十四日)、入道雲を見やりながら万年雪を踏みしめつつ、この山の発する霊気を感じたようだ。そして有名な「雲の峯いくつ崩れて月の山」と詠んだ。掲出句も負けず劣らずの雰囲気をまとい、読者に迫ってくる。  しかし如何せん、八・七・七という破調である。それは百も承知で出したものではあろうが、もう少し整えられないものか。上五の字余りはまずまず許されるので、原句の雰囲気を壊さぬように最低限の直しを試みる。   六根清浄雪の月山ゆく白衣    (水)

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詰め替える不幸話や小正月    金田 青水

詰め替える不幸話や小正月    金田 青水 『季のことば』  「小正月」は門松が取れた後の一月十四日から十六日あたりとされている。関西では十五日を「女正月」と言い、正月に多忙だった女性を労うための「正月」でもあるという。句の小正月も女性の集まりの雰囲気である。ある一家に女性の親族が訪れたのか。地域の女性の寄り合いかも知れない。  ともかく農村か漁村などの女性の集まりを想像してみたい。暮れのうちに村に不幸があった。正月の三が日は重箱に詰めたお節料理を家族で頂き、屠蘇が酒に代わる頃になると、話題はやはりあの不幸話になってしまう。松が過ぎ、日常が戻っても、特に女性には近隣の不幸が頭から離れない。  小正月、女性たちは重箱に詰めたご馳走を集会場に持ち寄り、膳に並べる。楽しいはずの集まりなのに口を開けば、やはり例の話になってしまった。もし都会の人々だったら、さらりと忘れてしまうだろう。正月に出た話が小正月にも…。この句は村人の情の深さを詠んでいるのだと、私は思う。(恂)

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