鎌倉や五山春光あふれたり     大倉悌志郎

鎌倉や五山春光あふれたり     大倉悌志郎 『この一句』  鎌倉の五山と言えば、何と言っても円覚寺と建長寺。北鎌倉の駅で降りてまず円覚寺に詣で、そこから建長寺までゆっくり歩いて三十分ほど。近くに浄智寺があり、これも五山の一つだったような気がする。後の二つは・・・。調べて寿福寺と浄妙寺だと分かるが、場所まで確認することもない。  鎌倉は起伏の多い地だから、どこに立っても五山を一望できるとは思えない。作者は五寺の一つ一つを回ったのだろうか。いや、そんな詮索は無用というものだ。「五山春光あふれたり」。この大らかな表現によって、寺社だけでなく、歴史に彩られた鎌倉という土地全体を表したのである。  この句、晴れた春の一日、ぶらりと鎌倉へ出かけた、という雰囲気だ。東京に近いから九時ごろ家を出てまだ午前中だ。寺社だけでなく、山も海もある。どこへ行こうか、歩きか、バスへ乗るか。駅前で「さて」と遠くを見回す。こうして「五山春光」の句が生れた、と私は推測する。(恂)

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春光にここち良き風七回忌     大平 睦子

春光にここち良き風七回忌     大平 睦子 『この一句』  句会で「誰の七回忌だろう」という声が聞こえたが、推測すればそれなりに状況が見えてくる。故人は親か兄弟か、親しい間柄の親族だったのだろう。一周忌や三回忌なら、悲しみの雰囲気が残っている。六年目の七回忌になってようやく、春光や風を「ここち良き」と感じ取れたのだ。  掲句を少し離れた場所から眺めていると、「ここち」という仮名書きが、柔らかく、優しく感じられる。「ようやく春が来ましたね。あなたはこのような季節に亡くなったのですね」。悲しみの薄らいできた作者は生前と同じような気持ちで、素直に故人と会話を交わすことができたのだ。  七回忌、十三回忌など重要な回忌の決め方は、なかなか興味深い。初期の法事は悲しみが残り、やがて故人の懐かしさが語られ、残された家族・親族たちの団欒の場となっていく。春光の溢れる中、孫や曾孫が故人の写真と対面することもあるだろう。故人はなお家族の一員なのである。(恂)

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堰の水春の光になりにけり     広上 正市

堰の水春の光になりにけり     広上 正市 『合評会から』 悌志郎 春の光は強い。堰(せき)の水の光りで「春の水」になってきたな、と分かる。きれいな句だと思う。 而云 すっきり詠んで、快い。作者はいつも堰の辺りを歩いているから、水の変化を感じ取ることが出来た。 反平 家の近くに用水路があり、春になると水しぶきがキラキラ光る。なのに私はこう詠めない(笑い)。 水牛 堰の水が温んできた微妙なところを詠んでいて、感心しました。 大虫 堰の辺りはしぶきで白く見える。その水の色に春の光を感じている。繊細な句でうね。 睦子 雪解けの水が温むころ、耕作地に水を流れ入れる。季節感にあふれた、いかにも春らしい句です。 明男 堰の水がキラキラ輝いている。それを「春の光になりにけり」と詠んだ。上手ですね。       *         *  堰の水の変化に気付いたのは明らかに居住地の利。一方、「春の光になりにけり」と詠んだのは、長年鍛えてきた熟練の技と言えるだろう。一見したところ、あっさりと詠んだようにも感じられるが、句を眺めるほどに早春の田園地帯が浮かんでくる。俳句表現特有の効果、と言えるかも知れない。(恂)

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街路樹の日を溜め淡く春の色     久保田 操

街路樹の日を溜め淡く春の色     久保田 操 『おかめはちもく』  「春の色」とは「春光(しゅんこう)」の言い換え季語で、春の風光、春の景色を言う。立春の頃はあたり一面まだ寒々としているが、だんだんと春らしい日差しになり、温もりも増して来ると、万物生動する気配が漂い始める。枯芝にもうっすらと緑色が兆し、街路樹もなんとなく芽がふくらんで来たように見える。  この句はそういった春景色の柔らかさを街路樹に目を止めて詠んでおり、とても良い雰囲気である。  いい感じではあるのだが、「日を溜め淡く」の中七が少々散文調で説明臭さがある。これをもう少し抵抗無く流れるような措辞にすると、もっと良くなりそうである。さりとてあまりいじり回してはこの優しい感じを壊してしまいそうだから、せいぜい語順を変える程度の改良を考えてみよう。  と、あれこれ入れ換えてみた結果、「日を溜めて街路樹淡く春の色」が一番良いのではないかと思った。もうすぐ芽吹き始める街路樹のぼうっとかすんだような感じが、「街路樹淡く春の色」でより印象づけられるのではなかろうか。(水)

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陽だまりのオランウータン水つ洟     谷川 水馬

陽だまりのオランウータン水っ洟     谷川 水馬 『合評会から』(日経俳句会) 木葉 オランウータンが日向ぼっこして水っ洟を垂らしている。いい情景を切り取っている。 てる夫 このオランウータン見てみたい。本当にあったのかどうか。 哲 オランウータンなら有り得るなと感じさせるところが巧みだ。 反平 類人猿だから水っ洟たれるのは珍しいことではない。 綾子 類人猿も鼻水を垂らすのですね。オランウータンに親しみがわきます。 青水 よくある動物園俳句だが、季語のイメージがきちんと生きている。           *       *       *  オランウータンは哲人と呼ばれるくらいだから、人間並みに水洟を垂らすのだろう。風邪引いちゃってまいったなあと、しょんぼりしている姿が浮かんできて、思わず笑ってしまう。動物の仕草を詠むと句会では割に点が入りやすいものだが、それを狙うと鼻持ちならないものになる。その点、この句は見たままを詠んで好感が持てる。(水)

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田は元の荒地に戻り冬雀     岩田 三代

田は元の荒地に戻り冬雀     岩田 三代 『この一句』  豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)とは、草木が豊かに生い茂り瑞々しい稲の穂が生る国という意味の日本国の美称である。日本人は大昔から稲作とともに生きてきた。春の祭は神に稲の豊作を祈るものであり、秋祭は豊作を感謝し来年もどうぞよろしくとお願いするものであった。武士の俸禄も米の分量で示され、大名や旗本の領地も「何万石」「何千石」と米の収穫量で計られた。  というわけで、奈良時代から昭和時代の後半まで千数百年間、為政者も国民もその年の「米の出来具合」に一喜一憂してきた。山林原野が切り拓かれ、用水路が敷かれるなど、治山治水に力が入れられたのも、少しでも多くの米を得たいという欲求からであった。  それが今や「米余り時代」である。政府は「減反政策」により、稲の耕作を放棄すれば補助金を与えるというバカな手段まで採った。さすがにその愚策は止めたが、今度は農家の老齢化で作りたくても作れないという事態になった。ご先祖が営々と開墾し、手を入れてきた美田も元の荒地に戻り、冬雀の溜まり場になっている。「冬雀」という季語がとてもよく合っている。(水)

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水洟を垂らす子供を見ずなりぬ     井上 庄一郎

水洟を垂らす子供を見ずなりぬ     井上 庄一郎 『季のことば』  「水洟」と書いて「みずばな」と読むのだが、若い人には「何それ」なんて言われかねない。「水っぱな」とか「鼻水」とも言うが、江戸時代から冬の季語に立てられ、盛んに詠まれてきた句材である。今では冬の風邪引きの水洟よりも春の花粉症による水洟の方がぴんと来る様になっているのかも知れない。  昔は暖房も不十分で、真冬は家の中でさえ寒さに震えた。衣服も防寒にはさして効果を発揮しそうにないものが多く、「綿入れ」の着物がせいぜいだった。洋服もウールの上等品を子供に着せてやれる家庭は少なかった。そのせいか、水っぱなを垂らしている子供がとても目立った。「子供は風の子」などと言われ、寒風吹きすさぶ戸外で冷え込む夕方まで遊んでいた。鼻水などかんでいる暇は無い。無造作に袖口で拭いた。だから、袖口をてらてら黒光りさせている子が多かった。  今やそんな子を見る機会は絶無である。子どもたちは暖房の効いた屋内で勉強に追われているか、ゲームに興じている。鼻水など出る合間さえ無くなっているのだ。(水)

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冬満月婚約せりと四十歳     堤 てる夫

冬満月婚約せりと四十歳     堤 てる夫 『この一句』  今日的問題を詠んでいて感慨深い。婚約したのが男性か女性かはっきりしないが、いずれにせよ四十歳というのはかなり遅い。女性だったら昔風に言えば「いかず後家」と、口さがない連中の噂話のタネにされてしまうところだ。しかし、今やそういう人が激増している。  昔と違って男女の交際は自由で、性交渉もかなり開けっぴろげな時代である。お互いの人となりや生活環境などはよく分かるはずなのに結婚しない。むしろそういう時代だからこそ、束縛を嫌って自由奔放に生きたいと願うのかも知れない。そのくせ男女とも結婚願望はかなり強く、結婚相手を紹介したり出会いの場を提供したりするビジネスが隆盛を極めているというから不思議だ。  「親がいつまでも生きていると思ったら間違い」と常日頃お説教していた子供が、四十歳にしてついに結婚相手を見つけたという。やれやれとほっとしたものの、次は「どんな相手だろう。変な人じゃなければいいが」と心配するのが親心。でもまあ、何はともあれ一安心。「冬満月」という季語との取り合わせがとてもよく響き合っている。(水)

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満天の星を纏ひて冬の月     嵐田 双歩

満天の星を纏ひて冬の月     嵐田 双歩 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 冬の空の大きさを詠んでいる。星を纏うという言い方がいい。 三代 私もこの表現がいいと思った。冬の月は冴え冴えとして、周りの星を本当に纏っているのか疑問に思いつつも、美しいと・・。 好夫 分かりやすいというのが一番。それにきれいな句だ。 昌魚 広大な天空を詠んで気持がいいですね。 反平 満月は明るいので周囲の星は見えないのではないか。 三薬 正月のスーパームーンは、星が見えなかった。 てる夫 上田の家のそばで天を仰ぐが、月夜には星を見たことがない。           *       *       *  合評会では「満月には星は見えない」と言う人が多かった。実は私もそう思い込んでいた。しかし、作者は「正月のスーパームーンには空一杯に星が輝いていました。写真も撮ってあります」と言う。プロカメラマンの作者は実際に満月と星々をちゃんとカメラに収めていた。それを句会の月報に掲げて見事迷妄を払った。(水)

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日と話し風と語るや野水仙     玉田春陽子

日と話し風と語るや野水仙     玉田春陽子 『おかめはちもく』  春陽子氏はNPO法人双牛舎関係の句会の、言わば四番打者のような人。そんな実力者を『おかめ~』欄に、と気にする人がいそうだが、心配はご無用。合評会では、「野水仙が日や風と会話している」という風に、お二方が語っておられた。私が取り上げたいのはその解釈のことである。  この句、「語るや」と「や」で切れ、その後に「野水仙」がぽつんと置かれている、と見ることが出来よう。すなわち日や風と語り合っているのは作者自身、と私は解釈したいのだ。「や」の持つ“切れの力”についてはさまざまな捉え方があるはずだが、私の見方も成立するはずである。  野水仙は野に憩い、自然と語らっている人を飾る点景であり、この点景は俳句という画面の焦点にもなり得ると思う。ことのついでに四番打者にも質問をしたい。「話し」と「語る」は同じか、別のことなのか。同じなら、ちょっと芸がないなぁ。最後は少々「おかめはちもく」らしくした。(恂)

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