御焚火や灰になりゆく過ぎし日々    片野 涸魚

御焚火や灰になりゆく過ぎし日々    片野 涸魚 『この一句』  「御焚火」とは昨年まで神棚に飾っていたしめ縄やお札類などを、初詣の際に持参し、神社の境内で焼いて頂く焚火のこと。「焚き上げ」とも言う。一年間拝み、飾っていたものが燃えて煙となり、立ち上っていくのだ。わが家の、そして自分の一年が消えていくのだから、感慨を催さざるを得ない。  私が詣でた氏神には「人形その他、当神社に関係のないものはお断り」の札が掲げられていた。中にはこの際とばかりに、ごみ類を焼く人もいるらしいが、焚火を囲むほとんどの人は真剣に炎や煙を見つめ、手を合わせている人もいる。行く年を惜しみ、新年への思いを新たにしているのだろう。  年を重ねるに従って、来る年より、去り行く年への思いが深まるという。除夜の鐘が鳴りだす頃、燃え屑が立ち上っていくのを見たことがある。「あんな高い所まで」と指さす人もいたが、火の粉はすぐに消えて上空は元の深い闇に。「灰になりゆく過ぎし日々」。誰もが、そんな風に思うようである。(恂)

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