吹雪く日は小豆ことこと塩を振る    工藤 静舟

吹雪く日は小豆ことこと塩を振る    工藤 静舟 『合評会から』(酔吟会) 反平 上手な句だ。小豆ことこと、暖かそうな情景が見えてくる。塩を振る。これもうまい。 光迷 雪国にじっくりと生活した人の句ですね。お汁粉を作っているのだろう。 睦子 この句を一番に選びました。石油ストーブの上で小豆を煮ていた母の様子が浮かんできます。 静舟(作者) 小学生の頃の思い出です。北国では吹雪になると一日中、家の中ですからね。鍋に一杯小豆を煮ながら、タイミングを見計らって塩を振る。塩で甘みが増すんです。          *             *  「吹雪く日は小豆ことこと」がとてもいい感じだ。スキー場辺りに短期間滞在した程度では全く知ることのできない生活感がある。「雪国にじっくり生活した人の句ですね」と光迷氏。全くその通りだと思う。「下五」の「塩を振る」には意表を衝かれた。小豆を実際に煮た人ならではの言葉と言えよう。 作者は俳句を始めて日が浅く、句会初登場。日頃は執筆活動が第一、第二は書道と見受けられるが、俳句が第三になった、と推測される。新聞記者OBらによる発足二十年の酔吟会、期待の新人である。(恂)

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御焚火や灰になりゆく過ぎし日々    片野 涸魚

御焚火や灰になりゆく過ぎし日々    片野 涸魚 『この一句』  「御焚火」とは昨年まで神棚に飾っていたしめ縄やお札類などを、初詣の際に持参し、神社の境内で焼いて頂く焚火のこと。「焚き上げ」とも言う。一年間拝み、飾っていたものが燃えて煙となり、立ち上っていくのだ。わが家の、そして自分の一年が消えていくのだから、感慨を催さざるを得ない。  私が詣でた氏神には「人形その他、当神社に関係のないものはお断り」の札が掲げられていた。中にはこの際とばかりに、ごみ類を焼く人もいるらしいが、焚火を囲むほとんどの人は真剣に炎や煙を見つめ、手を合わせている人もいる。行く年を惜しみ、新年への思いを新たにしているのだろう。  年を重ねるに従って、来る年より、去り行く年への思いが深まるという。除夜の鐘が鳴りだす頃、燃え屑が立ち上っていくのを見たことがある。「あんな高い所まで」と指さす人もいたが、火の粉はすぐに消えて上空は元の深い闇に。「灰になりゆく過ぎし日々」。誰もが、そんな風に思うようである。(恂)

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雪起こし屋号の並ぶ漁師町    徳永 木葉

雪起こし屋号の並ぶ漁師町    徳永 木葉   『合評会から』(酔吟会) 春陽子 「屋号の並ぶ」ですか。漁師町をしっかり見ているなぁ、と思います。 臣弘 若狭湾あたりかな。漁師の家々から若い衆がメンツをかけて集まってきて、元気な顔を並べている、というような風景を思い浮かべます。 而云 雪起こし、鰤起こしの頃ですね。どこの家も代々の「○○丸」という屋号の看板を掲げているのでしょう。ブリ漁が始まった、という雰囲気を感じます。 木葉(作者) 北陸あたりに行けば、よく見かける風景です。                  *       * 「雪起こし」とは降雪に伴って発生する雷鳴や稲光のこと。北陸を中心にした日本海側特有の冬の気象現象で、寒ブリ漁の開始時期にあたるため「鰤起こし」とも言う。この時期、海岸の道を通ったら、漁師町特有の、船名を当てた屋号が並んでいた、というのが句の主旨。ブリ漁に出る漁師たちの威勢のいい声が、旅行者に聞こえて来たのだろうか。彼らはすでに海に出ており、漁師町はひっそり、という感じもする。(恂)

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おほらかな妻七草の六日粥    谷川 水馬

おほらかな妻七草の六日粥    谷川 水馬 『この一句』  三が日が過ぎた。朝からお屠蘇を頂くような生活が終わると、一般家庭ではお正月が終わり、親は仕事、子供は勉強という日常が戻る。日にちの感覚が少々ぼやけてくるのもこの頃だ。五日、六日となり、八百屋などで七草のセットが売り出されると、七草粥は今日だっけ、という勘違いも生じてくる。  ご主人が起床すると、七草粥が出来上がっていた。「えっ、今日は?」。びっくりしてカレンダーを眺め、新聞の日付を確かめる。「おい、今日はまだ六日だぜ」。句の奥さんのおおらかな本領発揮は、むしろこの後のことだった。「あら、そうなの? それじゃ、今年は六日粥にしましょうよ」  その昔、「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」というラジオドラマや映画があったが、この夫人には双方の特徴がうかがえる。何ごとも完ぺきにこなすシッカリ夫人も悪くないが、家庭生活には柔軟性が必要だ。「そうだな。六日粥で行くか」と苦笑いするご主人がいて、一家の一年は順調にスタートした。(恂)

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泣き寝入り肩に掛けたる布団かな     池村 実千代

泣き寝入り肩に掛けたる布団かな     池村 実千代 『おかめはちもく』  怒りや、苦しさや、悔しさを誰一人分かってくれない。ひとりさめざめと泣いて、泣き疲れて、いつの間にか寝入ってしまう。子供時代にも、青春時代にも、誰もが何度か経験しているだろう。泣き寝入りをしたことが一度も無いという人は、よほど気丈か鈍感かであろう。  「布団」という兼題が出て「泣き寝入り」を思いついた作者は、豊かな感受性の持主に違いない。この二つを取り合わせただけで、俳句の土台は出来上がった。後はその上の構造物を形良く組み上げればいい。つまり、叙述の工夫である。しかし、この句は「肩に掛けたる」という叙述が中途半端で、句全体を分かりにくいものにしてしまった。  泣き寝入りする時には、布団を引き被るか、潜り込むのが普通ではないか。布団から肩を出してせり出すような恰好で泣き寝入りというのは合点が行かない。ここはやはり「泣き寝入り引きかぶりたる布団かな」か「泣き寝入りもぐり込んだる布団かな」とした方が良いのではなかろうか。(水)

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思ひ出は蒲団の重み防空壕     高石 昌魚

思ひ出は蒲団の重み防空壕     髙石 昌魚 『この一句』  この句から七十四、五年前の情景がまざまざと浮かんだ。在郷軍人会とか警防団などのいかめしいオジサンたちが、大日本帝国の銃後を守る者の心構えを説き、空襲に備えてのあれこれを教えた。防空壕を拵えて必需品を備蓄して置くようにというのもその一つだった。我が家もそれに従って防空壕を作った。  昭和十九年以降、ラヂオが「空襲警報発令」と言う度にそこに駆け込んだ。初めの頃は母親と弟妹と一緒に駆け込むのが、運動会でもやっているような気分がして、怖いというより楽しかった。しかし、昭和二十年に入ると空襲警報とほとんど同時に敵機が飛んで来て焼夷弾や爆弾を落とすようになった。わっと飛び込んで潜り込む防空壕の蒲団は、湿気を吸い込んでひどく重く冷たかった。  この句を見た途端に、脳味噌の奥にしまい込まれていた子供時代の記憶が呼び覚まされた。しかし、八十歳代にはよく分かる句だが、あまりにも古いなあと思ったりもしている。だが、こういう句は古いと言われようが、作り続けていくことが生き残った老人の責務であろう。私も見習おうと思っている。(水)

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玉子酒まぜる男の背中かな     鈴木 好夫

玉子酒まぜる男の背中かな      鈴木 好夫 『季のことば』  玉子酒とはまた古風で乙な季語を持ち出したものだ。十分暖房を効かしているはずなのに、どうも寒気がする。もしかしたら風邪の引きかけかも知れない。こんな時には玉子酒に限ると、口実半分で作り始める。  日本酒を小鍋に入れてとろ火にかけ、砂糖を少し入れ、溶き卵を注ぎ入れてゆっくり掻き混ぜる。熱々の燗がついたら志野か信楽の厚手の湯呑に入れて両手で温もりを楽しみながらすする。鼻風邪くらいなら雲散霧消する。  しかし、玉子酒を掻き混ぜている男というものはあまり景気の良いものではない。少なからず貧乏たらしい中年男という感じである。この句は「背中かな」と詠んでいるのだから、字面を素直に受け止めれば、玉子酒を掻き混ぜている男をやれやれといった気分で眺めている作者、という構図である。しかし、実際は掻き混ぜているのは作者自身であり、それを作者の分身が虚空から見つめているのだろう。  そこに得も言われぬユーモアが漂う。そして、その作者がお医者さんと分かって、吹き出すのを我慢できなくなった。(水)

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寺町の瓦くろぐろ加賀時雨     中村 哲

寺町の瓦くろぐろ加賀時雨     中村 哲 『合評会から』(金沢吟行句会) 綾子 あの黒瓦を詠みたかったのですが、できなかった。これはいい句ですね。 二堂 冷たい雨に降られましたが、瓦の色を見るのを忘れていました。黒々とした瓦もきれいでしょうね。 水兎 がっしりとして頑丈そうな瓦は、雪国ならではの物だと、まいどさんの説明がありましたね。道端に積まれていた瓦が、曇り空の下で艶々と黒光りしていたのが印象的でした。俳句の題材への、目の行き届いた作品だと思いました。           *       *       *  時雨に濡れて黒くつやつやと光っていた瓦は、能登特産の瓦だという。関東地方はじめ太平洋沿岸では灰の釉薬による銀鼠色の瓦が用いられているが、北陸から東北の日本海側の豪雪地帯では、これでは浸み込んだ水分が凍って膨張し割れてしまう。そこで防水性と耐寒性を高めるため、黒い釉薬を掛けてしっかり焼いたものが能登瓦。伊達や酔狂の黒瓦というわけではないのだ。  この句は「加賀時雨」という造語と相俟って、あの吟行初日の夕刻、突如来たった冬の金沢の土砂降りを脳裡に刻みつける作品になった。(水)

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雪吊りの今は休めの姿勢かな     玉田 春陽子

雪吊の今は休めの姿勢かな     玉田 春陽子 『季のことば』    北陸、東北の豪雪地帯では雪の重みで庭園の松の木や果樹の枝が折れてしまう。これを防ぐ為に幹に沿って太い柱を立て、そのてっぺんから何本もの縄を垂らして、四方八方に広がる枝を縛って吊り上げる。これが雪吊りで、北国の冬支度の一つである。11月に入ると各地で雪吊り作業が始まるが、金沢の兼六園のものが有名で、テレビや新聞に毎年取り上げられ、冬の風物詩となっている。  この句も金沢吟行の作品。さすが金沢と感じ入ったのは、兼六園や寺社境内ばかりではなく、ごく普通の家の猫の額ほどの庭に植えられた小さな松にまで雪吊りが施されていることだった。我々が金沢入りしたのは11月末、まだ暖かくて雪の気配は全く無かった。張られて間もない新しい藁縄が香るようであった。「降る雪を待ちながら、今はまだ出番がなくてだらりとした感じの雪吊り縄を『休めの姿勢』と表現したのが眼目ですね」(水馬)という句評が全てを言い尽くしている。  雪吊りは三冬通じての季語だが、真価を発揮するのは仲冬から晩冬。この句は出番待ちの初冬の雪吊りの様子を実に上手に詠んでいる。(水)

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犀川のしぶきに朝の冬日差     田中 白山

犀川のしぶきに朝の冬日差     田中 白山 『合評会から』(金沢吟行大会) 双歩 犀川の眺めは情緒があって素敵でした。「しぶき」が効いてます。 臣弘 前夜の時雨に変わる翌朝の柔らかな陽射し。犀川の流れも朝陽を浴びてきらきら。明るい気分への切り替わりを込めた佳句です。 綾子 犀川の眺めは見飽きませんでした。輝いていましたね。 二堂 犀川の流れは結構早く、水量も多かった。しぶきの朝の日差がいいですね。           *       *       *  朝寝坊の筆者は冬の朝のきりっとした雰囲気は、子供の頃の記憶をたどるしかないのだが、それでもこの句の清冽な感じは十分感じ取れる。金沢吟行二日目の朝食を済ませて、宿の前を流れる犀川の岸辺を歩くと、かなり強い川風に散る水しぶきがきらきらと輝いていた。十一月末の、さあこれから厳しい季節が始まるぞという引き締まった気分もうかがえる。(水) (7日付けで掲載した「寺町を迷ふ楽しみ冬構 白山」は既に12月14日に掲載した作品でした。お詫びしてこの句に差し替えます。)

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