ご飯だとメールで呼ばれ冬の月    植村 博明

ご飯だとメールで呼ばれ冬の月    植村 博明 『この一句』  夕方、「ご飯ですよ~」という母の声が聞こえたのは、昭和三十年代辺りまでだろうか。懐かしいあの声はどこかへ消えて行ったが、この句によって「メール」という手段に代わっていることを知らされた。ところでこの母親、どこから子供にメールを入れたのだろうか。自宅からではなさそうである。  メールを送るのは、自分の言葉を相手に勝手に伝えること、と言えるだろう。電話と違って会話を交わす必要がない。送り手は送った瞬間から自由に行動が出来るから、忙しい場合は特に便利である。母親は勤めに出ているのだと思う。退社後、電車に乗って自宅近くの駅に着いた頃かも知れない。  まだホッとする時間ではない。まずスーパーに寄って夕飯のおかずを買い…。寒い夕方である。子供はコンビニか書店にでもいたのだろうか。母が何時何分頃、駅に着き、どの道を通り、どの店に寄ってくるのか知っている。頃合いを見て家に向かう。前方に帰りを急ぐ母の後ろ姿が。空には冬の月。(恂)

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熊撃ちて猟師合掌陽のひかり    深瀬 久敬

熊撃ちて猟師合掌陽のひかり     深瀬 久敬 『合評会から』(三四郎句会) 敦子 猟師は大きな獣を撃てば、命を貰うのだから合掌すると思います。それを俳句にするとこうなるのですね。 崇 単なる熊撃ちの風景ではなく、臨場感にあふれている。 尚弘 熊撃ちの猟師にも良心の呵責があるのでしょう。陽光の明るさで救われます。 照芳 殺した獲物への畏敬の念。この人たちは本当に合掌するのか、とも考えましたが…。 而云 猟師の合掌は実際にやるものかどうかは別にして、この句には同感できます。 諭 自然界のいとなみと猟師の熊に対する畏敬の念。「陽の光」で弔うという感じが出ています。 久敬(作者)「陽のひかり」は作り過ぎかな、と思いました。 有弘 猟師とまたぎ、どちらがいいか。またぎだと物語になっちゃうかな。            *        *       *  絶命の熊に陽光をプレゼントしたい、という気持ちに同感。作者の「陽のひかりは作りすぎかな」の弁にも同感。では、どのように変えたらいいのか。すぐに思いつかないので、作者と私への宿題としたい。(恂)

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喪中にも陽の温もりや三が日    吉田 正義

喪中にも陽の温もりや三が日    吉田 正義 『合評会から』(三四郎句会) 賢一 正月が喪中とは珍しい状況だが、喪中でも当然、正月は来る。シーンとしていて、暖かい日が続いている、という感じですね。 雅博 喪中の三が日、あり得ます。静かに新年を迎えたのでしょう。 有弘 悲しい状態ではあるが、三が日の陽の温もりで救われる。 照芳 喪中の三が日には意外性がある。悲しいが、俳句をつくるにはいい状況だな、と思った。 諭 陽の温もりがいいですね。例え喪中であっても太陽は平等に陽の光を届けてくる。 正義(作者) 我家は今年、偶然こうなった。いい正月、いい喪中だったということですね。 *         *          *  皆さんそれぞれの言葉の裏にあるのは、太陽への感謝である。親族が亡くなり、悲しい状況なのだが、陽光を受けると暖かい心が生れてくる。「いい喪中」というものがあるのだ、と認識を新たにした。「悲しいが、俳句をつくるにはいい状況だ」(照芳)。この暖かな本音も、俳句作りの心を伝えて興味深い。(恂)

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多摩の丘葉落ち尽くしぬ冬の月     和泉田 守

多摩の丘葉落ち尽くしぬ冬の月     和泉田 守 『おかめはちもく』  多摩丘陵の雑木林。葉を落として裸になった木々が冬の月に照らし出されている。白骨を並べたようにも見えるが、怖いと言うよりむしろ幻想的な景色だ。ところどころ人の手で植えられて生い茂った杉や檜などの針葉樹林が黒々とした背景となり、落葉樹の白い幹と枝を浮き上がらせている。日本画の名品のような、美しくも凄涼な光景である。  しかし、この句はどうにも口調が良くない。ちゃんと五・七・五の定型になっているのに、読み下すと舌がもつれるような感じがする。やはり、中七の「葉落ち尽くしぬ」という措辞が良くないのだ。「ぬ」は完了・強意の助動詞で、「落ち尽くしぬ」は「落ち尽くしてしまった(ことよ)」の意味になる。それは良いのだが、終止形だからここで句は切れる。上五も「多摩の丘」で切れている。いわゆる「三段切れ」で、ぶつぶつした感じが強まってしまう。  ここはやはり好素材を生かし、「枯木」と「冬月」の季重ねを避ける工夫をしつつ練り直すべきであろう。「月光に浮かぶ枯木や多摩の丘」というのもあろうし、「裸木を透かす月光多摩の丘」も成り立つだろう。(水)

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おみくじを見せ合ひながら日向ぼこ     大下 綾子

おみくじを見せ合ひながら日向ぼこ     大下 綾子 『合評会から』(山手七福神吟行) 白山 若き男女が何を話していたのでしょうか? 可升 よそのカップルでしょうか、会の仲間同士でしょうか。いずれにせよ初春らしくのどかな光景です。 的中 我々吟行会か、若いカップルか、とにかくおみくじを見せ合いながら語らっている人たちの様子がよく表れています。それを「日向ぼこ」というほのぼのとした言葉で表現しているところが良いと思いました。 水兎 御神籤を引くのは、年のはじめの楽しみです。日差しと仲間と一緒にいる暖かさが、よく伝わる一句だと思います。           *       *       *  この頃の参詣人は老いも若きも屈託が無く、御神籤を引いても「あら、凶だわ」 「わーい、私は大吉」なんて言って、見せっこしている。寒晴の境内の床几に腰 掛けて賑やかに、楽しそうにしている情景を上手く詠んだものだ。「日向ぼこ」 の季語がとてもいい。(水)

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初春や犬が先ゆく太鼓橋     岡田 臣弘

初春や犬が先ゆく太鼓橋     岡田 臣弘 『合評会から』(山手七福神吟行) 木葉 戌年の始めに犬に導かれて橋を渡る可笑しみを句にした。巧みさの見える句です。 哲 犬の散歩と太鼓橋を取り合わせ、戌年の初春の雰囲気をほんわかと表現した。 綾子 戌年のお正月らしい、めでたい一句ですね。 可升 なんとも微笑ましい絵になる光景を切り取ったと思います。上品で綺麗な句だと感心しました。           *       *       *  大黒様の大円寺から行人坂を下りて、山手通りに向かう、その昔の目黒不動にお参りする参詣道。一番低い谷底に目黒川が流れ、太鼓橋がかかる。一月六日、寒中とは思えないうららかな陽気の中を俳句仲間連れ立ち渡る。近所のマンション住人か、小さな室内犬を連れての散歩。犬は勝手知ったる道と、気持良さそうにちょこまかと歩く。行き交う人たちもまだ松の内の気分だ。(水)

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地吹雪や息絶え絶えにバス来る     今泉 而云

地吹雪や息絶え絶えにバス来る     今泉 而云 『合評会から』(酔吟会) 水馬 擬人法がどうかと思ったんですが、タイムリーな句ですからね。 静舟 私の故郷は青森ですが、「地吹雪ツアー」なるものがあるんですよ。もちろんバスは雪ダルマ状態。のろのろと走ってくる。近くまで来ないとその姿は見えない。バスを待っている人も「息絶え絶え」なんですよ。 光迷 僕の女房は長岡なんだけれど、昔はこんな風景が多かったようだ。掘っ立て小屋のようなバス停でじっとバスを待っている。特に冬の通学がバスしかない地域は大変ですよね。懐かしい昔の生活風景かもしれません。 涸魚 昔のボンネットのバスでしょうね。「息絶え絶え」という表現に動きがあって、眼に浮かぶようでいいですね。 木葉 最近もこんな風景をテレビでよく見ます。           *       *       *  昨二十二日、東京都心でも23センチの積雪。もちろん雪に弱いJRは随所でストップ、遅延。郊外のバスも大変だった。一夜明けると快晴。積もった雪はみるみる溶けた。「東京は恵まれてるよな」と北陸出身の友人は言う。(水)

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一里一尺雪深めゆく北信濃     嵐田 双歩

一里一尺雪深めゆく北信濃     嵐田 双歩 『この一句』  地方独特の言葉や言い回しを俳句に取り込んで、それがツボにはまると、実に印象深いものになる。この句の「一里一尺」はまさにその成功例だろう。  北信地方は上田、長野の平野部を流れていた千曲川が飯山市に入り栄村、野沢温泉あたりを巡って新潟県十日町市の平野部に出て信濃川と名前を変えるまでの、谷間の狭隘部。スキーの名所でもあるだけに名うての豪雪地帯だ。「一里行けば雪が一尺深くなる」と言われている。  この近くに生まれ育ち、晩年を過ごした小林一茶の「これがまあつひの栖か雪五尺」はあまりにも有名だが、「はつ雪やそれは世にある人の事」(初雪なんて言って風流めかしているのは世の中を楽に過ごしている連中の事さ)という、さらに一茶らしい句も残している。  新聞カメラマンとして勇名を馳せた作者は豪雪の北信地方も自らの足で踏み分けたのだろう。地元言葉を置いて見たままをさらりと詠んでいるが、その背後には一茶句のニュアンスも潜んでいる。(水)

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好日や手に万両の実のぬくみ     廣田 可升

好日や手に万両の実のぬくみ     廣田 可升 『合評会から』(山手七福神吟行句会) 臣弘 私も水牛さんの真似をして万両を手にして発財を願いました。真っ赤な小粒の実が印象的でした。 的中 晴れた日と万両のずっしりとした実の質感がよく合っていると思いました。 春陽子 何気なく手にした万両の実、意外にも日の温もりを感じた、俳人ならではの感覚。 「好日や」の上五も効果的。 双歩 妙円寺の境内に立派な万両がありましたね。 大虫 好天の日差しに赤い実の温もりを感じます。 水馬 下五の「実のぬくみ」には、真っ赤な実の「命のぬくみ」が詠まれていると思います。 水兎 横浜から飛んできた手の生えた鳥が、実をむしっていたようです。 二堂 今年も幸せいっぱいという、心持がよくわかります。           *       *       *  ぷっくりふくらんだ真紅の万両の実は手触りよく、温みを感じた。お参りの記念に、良くないこととは思いつつ小鳥の上前をはねて数粒頂き、お賽銭を上げてお許しを願った。帰宅して実を洗い、鉢に蒔いた。福禄寿・寿老人の万両。見事芽生えてくれますように。(水)

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茹でたまごつるりとむけば冬の月    藤野十三妹

茹でたまごつるりとむけば冬の月    藤野十三妹 『おかめはちもく』  句を見て「いいな」と思った。茹で卵を剥いた時の「つるり」の感覚を月の出に絡めたと言えよう。一茶に雰囲気の似た句があったはずだ。文庫本「小林一茶」(大谷弘至著)で調べたら「雪とけてクリクリしたる月夜哉」だった。著者は「オノマトペを駆使し」「なにより音感がいい」などと書いている。  掲句も同様、と言えるだろう。一茶句は雪解け後の月を詠んでいるが、こちらは冬の月の出である。一茶句に並ぶ作品、と言いたいところだが、気になる点があった。オノマトペの「つるり」は八割方、茹で卵に掛かっていると思う。ここは是非とも「冬の月」に主役の座を与えたいところだ。  そこで「中七」の前後をひっくり返し、「むけばつるりと」としてみた。こうすれば「つるり」は七、八割ほど「冬の月」に掛かってくるのではないだろうか。すなわち添削例は「茹でたまごむけばつるりと冬の月」となる。茹で卵を剥いていたら、冬特有の白い月が「つるり」と上ってきたのである。(恂)

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