狐火や母の記憶の手の温み     前島 幻水

狐火や母の記憶の手の温み     前島 幻水 『おかめはちもく』  まず、普通の文中の「の」の数のこと。「上野のパンダの様子は」といった、二つの「の」まではいいのだが、三つも重ねると煩わしくなる。ところが俳句を含む詩歌なら、佐々木信綱の有名な短歌「ゆく秋の大和の国の薬師寺の―」のように、「の」を連ねても却って心地よい感覚が得られる、とされる。  ただしこのような「の」に関する“常識”は感覚的ものだけに、一例を以て「正しい」とか「間違い」だと決めることは出来ない。掲句の場合、「母の記憶の手の」と三つ重ねである。俳句なのだから三つの「の」もOKのはずだし、句会では一応の評価を得ていた。これでいい、という人も少なくないだろう。  しかし私には少々の違和感が残った。幼い頃、狐火のようなものを見た。怖い、と思い、母の手を握ったら、握り返してくれた。手は暖かく、安心した覚えがある。母の記憶はたくさんあるが、その一つが「それ」なのだ。その点を踏まえ「母の記憶に」としてみたい。理屈ではなく、感覚的な添削である。  添削例 狐火や母の記憶に手の温み    (恂)

続きを読む