狐火の出るやも知れず樹木葬     前島 幻水

狐火の出るやも知れず樹木葬     前島 幻水 『この一句』  樹木葬が埋葬の一形式と法的に認められ、一般的な人気を得てきたのは二〇〇〇年以降のことだろう。理由は都会の住宅地不足と同じで、一戸建てとマンションの関係を考えればいい。即ち墓地内に一本、或いは何十本もの樹を植え、その周囲にたくさんの墓を作るのが、樹木葬である。  掲句は、その墓地に狐火が出るかも知れない、と言う。かつて樹木葬について調べたことのある筆者は、さもありなん、と思う。このような墓地は当初から「ピン・キリ」であった。しっかりと管理され、何倍もの抽選の末…という墓所がある一方、人気がなく瞬く間に寂れていった所もあるのだ。  樹木墓地を経営するという寺に電話で様子を聞いたことがあった。住職はこう言った。「ウチの寺とは無関係。お断りしました」。業者が近くの山で勝手に工事を始め、その後に交渉に来たのだという。「あの山は水が出ない。水はどうするのか」。住職の言葉を思い出し、改めて作者の俳号を見つめた。(恂)

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冬滝やとめどなきもの中国語    大沢 反平

冬滝やとめどなきもの中国語    大沢 反平 『季のことば』  例えば盛り場でも、駅でも「中国語」をよく耳にする。最近、出かけた観光地ではさらに濃密だと感じた。話している言葉の意味は分からない。だから注意が、話し言葉の分量ばかりに向いてしまいがちで、日本語より中国語の方がずっと多い、と思ってしまうのかも知れない。  「とめどなきもの中国語」。作者は冬の滝を見ながらそんなことを感じたようだ。冬滝の見どころは氷結後である。完全に凍って氷の柱がそそり立ち、あるいは何百本の氷柱(つらら)が槍ぶすまとなって、滝つぼを目指して伸びていくような-―。しかし十二月の初冬の今はどうなのだろうか。  滝の凍結情報はまだ、ほとんど届いていない。関東の名瀑・袋田の滝(茨城)の場合だと凍結するのは一月下旬からだという。つまり作者の眼前の滝は滔々と水を流しているに違いない。作者は、その水量を眺めて「とめどなきもの」と感じ、周囲から聞こえる中国語に心を移したのである。(恂)

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好物は湯豆腐ですと婿候補      齊山 満智

好物は湯豆腐ですと婿候補      齊山 満智 『合評会かkら』(番町喜楽会) 命水 残念ながら私は婿候補はまだいないのですが、こういう人には好意を持ちますね。 白山 そうですかね。ボクだったら「この野郎、しおらしいこと言いやがって」と思いますよ。 哲 結婚候補を娘さんから紹介された、というところかな。父親に「君の好物は何だ」なんて聞かれて、「湯豆腐」と答えたんですね。ほんわかとしムードを感じますよ。丸顔の人というイメージが湧いてきます。 而云 私は二通りの人が浮かんでくる。まず相手の父親をからかってやろうというような男。これは細面、曲者という感じかな。本当に湯豆腐が好きな人だったら…こちらは丸顔ですね。(笑い) 満智(作者) 実は、私の弟が幼い頃、親戚のおばさんに「何が好き?」と聞かれて「お豆腐」と答えまして、「安上りだね」って大好評だったんです。そんな思い出をヒントに作ってみました。              *         *  句中の人物は、読み手の頭の中で勝手に動き出していくものだが、この句のように二様の人物になっていくのは珍しい。しかも心も顔も正反対になってしまうとは。これも俳句の面白さ、と言うべきだろうか。(恂)

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白障子口火をきれず父と娘と     向井 ゆり

白障子口火をきれず父と娘と     向井 ゆり 『おかめはちもく』  何か重大な相談事を抱えた父と娘。昔なら火鉢の灰を掻き均してはまた掻き混ぜたりといったところだろう。火鉢など姿を消してしまった今、こういう時は父親も娘もどうすればいいのだろう。きっと白い障子を見つめて意味も無く桟の数を数えたりしているのだ。  あれこれ想像をかき立てられる句である。それは誰にも人生一度や二度はこうした事があるからだ。  実にいい句なのだが、この句は白障子で切れ、「ず」で切れて、いわゆる「三段切れ」になってしまっている。それが奇妙な時間的空白を生じて、この句の雰囲気を盛り上げているようにも思えるものの、やはり「ず」という音がきつすぎるのではなかろうか。  「ず」でなく「ぬ」としたらどうだろう。「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形で、下の「父と娘」に素直につながる。これで二句一章の句姿も整う。  (添削例) 白障子口火を切れぬ父と娘と       (水)

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