今朝の日を諸手で開く白障子     廣上 正市

今朝の日を諸手で開く白障子     廣上 正市 『季のことば』  気分爽快な句である。障子を透かして射し込んで来る朝日に初冬の晴天を感じ取った。両手で障子をさっと引き開ける。思った通り、雲一つ無い真っ青な冬空だ。  何と言っても「今朝の日」という珍しい表現が面白い。「朝の太陽」であると同時に「今日一日」をも指している。それを「諸手で開く」とつなげた。この勢い良いリズムがこの句の命だ。  ところで、「障子がどうして冬の季語なんですか」とよく聞かれる。「障子はね、防寒用の建具だったからですよ」と言うと、不思議そうな顔をする。大昔の日本家屋は基本的に開けっ放しで、冬になると板戸や襖で寒気を防いだ。しかしこれでは室内が真っ暗。そこで平安末期から鎌倉時代、桟に絹布や紙を貼った障子が生まれた。紙の生産が盛んになった江戸時代、障子は庶民の家庭にも普及した。それが連綿と昭和四十年代まで続いたのだが、今や障子は防寒というよりはカーテン代わりとか、装飾建具に堕落している。しかしこの句の障子はれっきとした実用品のようだ。伝統的な住まいの様子もしのばれる。(水)

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ひつじ田や輪廻転生だんご虫     高井 百子

ひつじ田や輪廻転生だんご虫     高井 百子 『合評会から』(酔吟会) 光迷 刈り取った稲の根っこから青いものが出てきた。稲が蘇るんですね。作者はそれを見て考えている。そこにダンゴ虫がいたのでしょうか。「輪廻転生」とは、何か考えさせられるものがありますね。世の中のある事象をとらえているようです。 而云 「輪廻転生」をひつじ田から持ち出してきた。いいですねぇ。稲も生まれ変わる。そこにダンゴ虫が。「ダンゴ虫よ。お前は前世は人間だったのよ」とか「トランプさん、今度はダンゴ虫よ」とかね(笑)。仏教的ですね。           *       *       *  「ひつじ田」の「ひつじ」は難しい字で、このブログでは書き表せない。しかし農本国家日本の昔の人はごく普通に読み書きできたようだ。稲を刈り取った後の株から芽生えて来る芽が「ひつじ」である。荒涼たる田の面に早緑の芽が生えそろう様子はまるで春が甦ったかと錯覚する。これに「だんご虫」を取り合わせた感覚にはびっくりした。あの、全身鎧を纏った古生代の甦りのような虫。まさに輪廻転生ということを思わせる。(水)

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白雲を拭ひ続ける枯れ薄     高瀬 大虫

白雲を拭ひ続ける枯れ薄     高瀬 大虫 『この一句』  うかうかしていると何を言っている句なのか合点が行かぬうちに、何となく通り過ぎてしまう。そんな感じの句である。実際、よく読んでも別に大したことを言っているわけではないのだ。野原の一叢の薄。穂をしきりになびかせ、真っ青な空に浮かぶ白雲に「お出で、おいで」をしているという。ただそれだけのことである。「それがどうしたのさ」と言われるような句と言ってもいい。  しかし私は何故かこの句に引き付けられた。薄の穂は有るか無きかの風にも金茶色に輝きながら左右に揺れる。野原の真っただ中で、まるで無限に働き続ける永久機関のように、青空に浮かぶ白雲を撫でている。全く無意味な動きにも思えるし、何か深遠な思想を呼び覚ますきっかけになるかのような・・とにかく妙な感じの句だと思ったのである。  一方で、そんな七面倒臭いことを考えずに、字面通りにその景色を思い浮かべればいいのだとも思い返す。実に美しい冬晴れの荒野が浮かんで来る。それに、この句は「ワイパーのように」などと、陳腐な譬えを引かなかったところがいいのだなとも思う。(水)

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黄昏の両手ポケット冬隣     田中 白山

黄昏の両手ポケット冬隣     田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 最初、ぶっきら棒な句だなぁと思いました(笑)。それに「両手ポケット」って何だろうと…。でもよく読んでみると何とはなしにいい。夕暮れ時、手持無沙汰だったんでしょうね。両手をポケットに突っ込んで…。その「シュール感」でいただきました。 哲 昭和の香りがしますね。「三丁目の夕日」みたいで。学生時代、夕日の中を肩をすぼめてポケットに手を突っ込んで歩いたことを思い出しました。 二堂 手袋をはめるほど寒くはないのですが、何気なく手をポケットに入れたくなる時期です。           *       *       *  三人が述べているところに尽きるのだが、あえて蛇足を言う。これは「冬最中」や「寒中」では極めて当たり前になってしまうところを、「冬隣」という、11月に入って早々の秋と冬との境目という、ごく短い時期と取り合わせたことによって妙味を発揮した。本格的な冬装束には早いが、なんとなく薄ら寒いという気分を「黄昏の両手ポケット」と言ったのが秀逸だ。(水)

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更地また更地みちのく夕時雨     今泉 而云

更地また更地みちのく夕時雨     今泉 而云 『合評会から』(日経俳句会) 十三妹 主人の実家が弘前にあり、行く度に田が消えている。その情景に夕時雨が合っていて・・。 冷峰 東日本大震災の復興状況がまざまざと浮んで来た。 正裕 震災から六年。当時皆で句を詠んだが、久しぶりに詠まれると新鮮。 哲 岩手でこういう光景を見た。繰り返しの効果が出て迫って来る。 定利 車で通り過ぎながら見てるのだろうか。更地のリフレインは良いが、夕時雨は付きすぎか。 睦子 私は「また更地」と繰り返したところに現実味を感じる。 反平 鋭い時事俳句。           *       *       *  復興未だしという気持を重ね言葉で表現したところが絶妙。「みちのく夕時雨」が演歌調で、なんとなく軽く流れてしまうのではないかとの意見もあったが、そう感じ取る向きがあってもいい。すっかり整地されてきれいになっただけに、かえって胸にずしんと来る。そういう気分を伝えているのではないか。(水)

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時雨聞き老後のゆとり妻に問ひ    深瀬 久敬

時雨聞き老後のゆとり妻に問ひ    深瀬 久敬 『おかめはちもく』  老後の生活のゆとりを妻に尋ねているこの句に、いくつかの感想が出た。「普通は、俺についてこい、じゃないの」「もう年金族なんだ、我慢してくれ。俺ならそういうね」「無駄遣いはやめて、堅実にやってくれ、と私は言いたい」――。その一方で「優しい旦那さんだと思った」と語る人もいた。  それぞれのコメントは興味深いが、当欄の役目は句の出来を探り、正すことだ。問題点は「時雨聞き」だと思う。「時雨を聞きながら」という意味になるから、上五とそれ以下につながりが出来て、少々、理屈っぽくなるのが不満。一句の中に「聞き」と「問ひ」と、二つの動詞を用いるのも推奨できない。 そこで「時雨るるや」とか「宵時雨」などとして、上五と中七の間に「切れ」を入れてみたい。一例として、切れ字の代表格「や」を使ってみよう。初冬の夜である。家の中で、老後のことを率直に話し合う、好ましい夫婦の様子が見えてくるだろう。外は時雨、家の中は暖かそうである。 添削例「時雨るるや老後のゆとり妻に問ひ」    (恂)

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立冬や平たき顔のお豆腐屋      横井定利

立冬や平たき顔のお豆腐屋      横井定利 『合評会から』(日経俳句会) 冷峰 なんともユーモアのある句だ。豆腐屋にふさわしい顔が豆腐屋をやっている。上手な組み合わせだ。 而云 豆腐みたいな顔をしているおじさんが冷たい水の中の豆腐を包丁で切っている。立冬に合っている。 智宥 のっぺりした豆腐顔なのだろう。おもしろい。 万歩 寒い朝早起きする働き者のお豆腐屋さんは平たい顔をしているような気もする。ユーモアあふれる句だ。 睦子 平たき顔と豆腐が、寒さが気になる季節に合っていて、面白い作品になった。 阿猿 毎朝大豆からつくっている昔ながらのお豆腐屋。そのおやじさんが豆腐に似た顔立ちとは。 好夫 日本人は豆腐屋に限らず皆平たい顔をしていますよ。豆腐と結びつけたとしても、あまり面白くない。 水牛 「お豆腐屋」は子供っぽい使い方だね。 *         *           * 昔ながらの豆腐屋はどんどん減って、豆腐はほとんどスーパーなどで買うようになった。日本人の特徴である平たい顔も、若い人を中心に少なくなっている。でもこの句は面白い。昔の豆腐屋を思い出すからだろう。(恂)

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天高し磨き上げたる靴の先    塩田 命水

天高し磨き上げたる靴の先    塩田 命水 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 「磨きあげたる靴の先」に天が映っているとしたら、少し作り過ぎかな。しかし足元の靴の先と天の取合せは非常に良く、読んで気持ちのいい句だと思いました。 水牛 確かに拵え過ぎかも知れませんが、その裏にある「さあ出掛けるぞ」という気持ちと「天高し」がピタッとはまっている。いい句だと思います。 光迷 「天高し」という大きいものと、「靴の先」というちっぽけなものを上手く組合せています。それにしても、今日のメンバーの中に自分で靴を磨く人がいるんだろうか?(笑) 双歩 最近は磨くような靴を履きませんが、靴を磨くと気分がいいですね。この句は、靴を磨いて手にとって「ああ、いいな」と思う。その先に天があったという句と捉えました。 命水(作者) 有楽町の靴磨きの様子を伝えたテレビ番組をヒントにしました。 *            *          *  作者が見たのとたぶん同じと思われるテレビ番組を見ての感想。若い男性の「妻に買ってもらった」という靴、値段が五万円と聞いて仰天した。その一割で買った靴では、靴磨きに磨いてもらう気にはなれませんね。(恂)

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昼コーヒー持って歩けば小春かな    鈴木 好夫

昼コーヒー持って歩けば小春かな    鈴木 好夫 『この一句』  「昼コーヒー」は新語であるに違いない。ネットで「昼コーヒー」を検索したら、「昼のコーヒー」「コーヒーを昼に飲んで夜、眠れない」などの例が出てきた。つまりこの語はまだ一般に使われていないのだ。しかし都会人なら誰もが「あれだ」と思う。「持って歩けば」によって、さらにはっきりする。  コンビニの店頭で大きな紙のコップに入れてもらい、持って帰ったり、途中で飲んだり…。この新スタイルのコーヒーは流行り出したのは数年前からとされている。百円という安さも手伝い、昼時のビジネス街ではすでにお馴染みだが、句はずばり「昼コーヒー」と言い切って、印象を鮮やかにした。  「コンビニコーヒー」とか「カウンターコーヒー」の呼び名があるそうだが、サラリーマン社会の風物詩なネーミングとは言えない。ついでながら「昼コーヒー」は、一九八〇年代からセブンイレブンが導入し、挑戦、撤退、再挑戦を何度も繰り返した末、ついに大成功を収めたのだという。(恂)

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職無きを俳人と書き冬うらら     岡本 崇

職無きを俳人と書き冬うらら     岡本 崇 『合評会から』(三四郎句会) 雅博 私も職業欄に「俳人」と書いてみたい(全員笑う)。「冬うらら」が効いていますね。 有弘 その通り。季語の明るさが句を明るくしている。 照芳 「俳人」とは意表を衝かれました。冬うららとの関係はどうなんですかね。 豊生 俳句に前向きな人ですね。明るく俳句に立ち向かう。まさに冬うららです。 久敬 俳人と言う職業があるんですか。軽やかさを感じさせる句ですが。 進 そう、楽しい句ですよ。こだわりのない人なんだ。 而云 ユーモアの句でしょう。「俳人」と書いて、ニヤリとしている。 崇(作者) 職のない高齢者が遊び心で「俳人」と書いてみた、ということです。     *        *  俳人とは何か。辞書に「趣味として職業として俳句をつくる人」とあるが、「俳句愛好家」という言い方もあり、プロ以外は普通、ここに括られよう。彼らは自らを「俳人同様」と、韜晦気味に呼んだりしている。(恂)

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