耳鳴りか虫の鳴く音か秋の声     竹居 照芳

耳鳴りか虫の鳴く音か秋の声     竹居 照芳 『この一句』  「虫の鳴く音」は秋の季語の不動の横綱だ。従ってこの句は、俳句の重要な約束事である「季重なりは慎むべし」を踏み外した、論評外の句ということになる。しかし、何となく心に残る。  耳鳴りは人によって色々あるようだが、どんなものであれ当人にとっては非常に気になり、鬱陶しいものである。ジジジと地虫の鳴くような音、キーンキンと金属的な音、ズーンズーンと響いたり、ドクドクと脈打つようなのもある。  この人のは小さいがずーっと鳴り響くもののようだ。鬱陶しくはあるが半ば慣れてしまって、耳鳴りなのか、虫の鳴く声か判然としなくなってしまった。時あたかも冷ややかさを感ずる季節。我が人生も差し詰め秋の声を聞く頃と言うべきなのだろう。と、立ち止まっている。  しんみりとはするが陰々滅々の感じがしない。そこがこの句のいい所だ。「耳鳴りか虫の鳴く音か」と放り出したような言い方が、あっけらかんとしている。季重ね云々など超越してしまって、「耳鳴りも虫の声も、すべからく秋」と達観している様子が面白い。(水)

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シテ去りて秋冷残る能舞台     深田 森太郎

シテ去りて秋冷残る能舞台     深田 森太郎 『合評会から』(日経俳句会) 正市 「シテ去りて秋冷残る」というのが実感としても分かる。 悌志郎 シテが橋掛かりに去ると一瞬シーンとなる。秋が深まるのを感じる。 水馬 薪能ですかね。光の動きと温度の変化を重ね、格好いい句。 冷峰 シテが去ると一層秋冷が増す。能をよく分かっている人だなと。 正裕 格調高い句。シテが去って秋冷が残ったという感性ですね。 哲 シテがいなくなって秋冷が残ったという詩的な表現がいいなと。 臣弘 ボクは薪能でなく屋根の下の能。主役が去って空隙ができた様子が秋の寂しさと重なった情景が浮かぶ。 綾子 能舞台の空間や格調高さが伝わります。 正 主役が去った後の清冽な余韻がしみじみと残っている。 万歩 月明かりの屋外の能舞台の研ぎ澄まされた緊張感が伝わる。格調高い。           *       *       *  これも昨日の句と並んで最高点を得た句。両方とも古めかしい句だが、季語の本意を伝え格調高い。(水)

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本堂の床秋冷の黒光り     今泉 而云

本堂の床秋冷の黒光り     今泉 而云 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 まずお坊さんが裸足で本堂を歩いているのを想う。秋の冷ややかな感じが目に浮かぶ。「黒光り」がいい。 庄一郎 「秋冷の黒光り」がいい。 三代 「黒光り」と「秋冷」がマッチしています。 悌志郎 磨かれた床が秋冷を映し取っている感じが上手い。 二堂 こないだお寺で法事をやったばかり。やあ実感だなと思いました。 臣弘 季語にぴったりで非常にいい句。 ゆり 分かりやすくていいかなと。 明男 急に冷え込んできて、床が黒光りしている本堂の静寂さを一段と感じる。 綾子 古刹の凛とした空気が伝わる。 森太郎 古刹の感じがよく出ています。           *       *       *  句会で最高点を得た句。昔から再三再四詠まれている情景の句だが、常に大方の支持を得る。こういうのを「偉大なるマンネリ句」と言う。(水)

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店名の百舌鳥に誘われてカツカレー   野田 冷峰

店名の百舌鳥に誘われてカツカレー   野田 冷峰      『おかめはちもく』  まず「誘われて」の「て」は中八になるので削除したい。次は「百舌鳥(もず)」(鵙)という店名が季語になるのか、という問題。私は「いいじゃないか」と寛容に考えたい。秋だなぁ、おお「百舌鳥」という店があったぞ、というだけで、季節と相当程度に関わっていると思えるからだ。  下五の「カツカレー」はどうだろうか。一読、笑いがこみ上げてくる。メニューにあり、ちょうど昼時だったので、「これください」とウエイトレスに頼んだのだろう。作者の真面目な句の作り方からして、これは本当のことだったのだと思う。作り物ではないユーモアも感じられよう。  しかし食欲の秋とはいえカツカレーが、百舌鳥という洒落た店名に相応しいかどうか。食名の知識に乏しい私でもソーダ水、スパゲッティくらいは思いつく。とりあえず前句を真似て「店名の百舌鳥に誘はれ白ワイン」としたが、もっとぴったりのメニューがありそうだ。考えて頂けないだろうか。(恂)

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秋冷や星空に飲む白ワイン    高橋 ヲブラダ

秋冷や星空に飲む白ワイン    高橋 ヲブラダ 『この一句』  「秋冷」という兼題に投句が四十句、そのうち酒類を詠んだ好句が三句並んでいた。私がその中からこの一句を選んだのは「星空」と「白ワイン」のためだろう。「ホットワイン」や「ぬる燗」の句も捨て難かったのだが、身震いをするような空気の中に立つ作者の姿が浮かんできたからである。  「星空」とある。自宅やレストランの窓からガラス越しに夜空を眺めることもできるだろう。しかし句の雰囲気からしてワイングラスを持ち、ベランダとか庭に出て行ったのだと思う。なぜ、わざわざ外に? 理由は単純、作者は晩秋の星空を見上げながら、白ワインを飲んでみたかったのだ。  風流とはこういうものではないだろうか。辞書によれば「みやびやかなこと」「俗でないこと」などとあるが、その裏に「やせ我慢」が潜んでいるように思われる。本欄の三句前、物干し台で酒を飲みながら満月を眺めていた作者も、この句を選んでいた。共感するものがあったに違いない。(恂)

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雲海の陽に溶け朝の霧となる      直井 正

雲海の陽に溶け朝の霧となる      直井 正 『この一句』  雲海は素晴らしいが、季節や時間を選んで行っても出会えるとは限らない。そのため最近では名所ごとに「本日の可能性は五五%」などとネットで知らせるようになってきた。しかし予報はあくまでも予報だ。車で山の麓に到着し、坂道を登って行っても、雲海はその直前に消えていたりする。  句の作者の場合はタイミングが合い、(テレビで見た可能性も含めて)雲海の魅力をじっくりと観察されたようだ。なにしろ朝日が昇り始めると、雲海は「溶ける」のだという。想像すれば、見渡す限りの雲海は次第に崩れ、霧となって立ち上り出すのだろう。何と素晴らしい光景ではないか。  ただしこの句、私の個人的なこだわりかも知れないが、中七・下五の流れが少し滞るように感じられるのだ。「溶け」と「(霧と)なる」という二つの動詞が連続しているためかも知れない。「おかめはちもく」的な蛇足を加えさせて頂きたい。「陽に溶けて雲海朝の霧となる」でどうだろう。(恂)

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道すがら不義理数へて鵙日和      中嶋 阿猿

道すがら不義理数へて鵙日和      中嶋 阿猿 『合評会から』(日経俳句会) 好夫 こういうことあるな、と思いました。不義理したって、そんなに悪いことではないが、やはり気になってしまう。こういう「鵙」の詠み方があるのだなと・・・ 水馬 思わせぶりな句で面白い。遺影を拝みに行く途中でしょうか。いろんなことを思わせる句ですね。 而云 上手く作るものだと感心した。私は例えば、不義理しているオジさんかオバさんの家を訪ねていく途中を想像しました。その日は好天気。微妙な状況下の微妙な心理を詠んでいる。 定利 空は真っ青な良い天気。けれど心の中は曇かな。「鵙日和」がいい。          *         *  不義理にもいろいろあるが、いずれにせよ相手は自分より年上の人だろう。例えばかつての上司。駅を降りて、十分ほど歩きながら、このところの不義理を指折り数えている。「どうかね、元気そうじゃないか」。会えば優しい笑顔を見せてくれるが、こちらは冷や汗もの。なぜか小津映画のタイトルが浮かぶ句だ。「麦秋」「秋日和」「彼岸花」「秋刀魚の味」――。小津はなかなかの俳人でもあった。(恂)

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雲すこしありて生き生き今日の月    大澤 水牛

雲すこしありて生き生き今日の月    大澤 水牛    『この一句』  今年の中秋の名月・十五夜は十月四日だった。その夜の帰途、駅から自宅までの道々で空を見上げる人に何人も出会った。東京地方の予報は「見えないかも」というところだったが、結果はオーライ。流れゆく雲の間から満月が顔を出すと、人々の間から「オー」という歓声も生まれていた。  作者はその夜、自宅の物干し台に上り、二時間ほど月を眺めていたという。大徳利を傍らに置き、自製のぐい飲みで存分に飲む姿は、酒仙そのものだった、と想像する。そこで得たのが掲句。満月が雲に隠れてはまた顔を出す。「おっ、出たぞ」と見つめるたびに、新鮮な月の印象得たのである。  満天に雲無く、名月がただ一つ、というのも、もちろん悪くないが、物事はすべて「雲すこしありて」人々の共感を生む。雲から現れるたびに満月が「生き生き」と見えるのは万人共通の真理ではないだろうか。名句の条件の一つに「言われてみればその通り」があるという。この句が一例である。(恂)

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色あせた鐘楼一円曼珠沙華     鈴木 好夫

色あせた鐘楼一円曼珠沙華     鈴木 好夫 『おかめはちもく』  古い寺の古びた鐘楼。太い四本柱はひび割れ、屋根瓦も苔むし古色蒼然としている。鐘楼を載せた壇の石垣の裾には雑草が生い茂り、そこかしこに曼珠沙華が花咲かせている。その鮮やか過ぎる赤色が一層、鐘楼の古びた様子を際立たせているようだ。と、まあこんな光景が浮かび上がって来る。  少子高齢化に伴って檀家が年々少なくなって行くから、有名寺院はさておき、やりくりに苦労する寺が増えている。境内の清掃や景観維持に手が回りかねるのだ。曼珠沙華は本来は寺の裏側の墓地周辺にあるもので、本堂、山門、鐘楼の辺りにはあまり生やさなかったものなのだが、いつの間にかはびこりだしたのだろう。それとも最近の曼珠沙華ブームを良いことに増えるに任せているのかも知れない。  寺の今日的風景を描いたユニークな句でとても良いのだが、「一円」に首を傾げる。「鐘楼の周囲一面」ということなのだろう、間違いではないのだが、普通は「関東一円」などともっと広い地域を言うときに使われる言葉だ。ここはやはり『色あせし鐘楼囲む曼珠沙華』などとおとなしく詠んだ方が良いのではなかろうか。(水)

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天高し磨きあげたる靴の先     塩田 命水

天高し磨きあげたる靴の先     塩田 命水 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 「磨きあげたる靴の先」に天が映っているというのなら少し作り過ぎの気がしますが、靴の先と天の取合せは非常に良く、気持のいい句です。 光迷 「天高し」という大きいものと、「靴の先」というちっぽけなものを上手く組合せたなと思います。それにしても、今日のメンバーの中に自分で靴を磨く人がいるんだろうか(大笑)? 双歩 最近は磨くような靴を履きませんが、靴を磨くと気分がいいですね。磨いた靴を手にとって「ああ、いいな」とかざした先に青い天が・・という光景。           *       *       *  作り過ぎと言われれば多少そんな気もするが、さあ出掛けるぞという気分と「天高し」がピタッとはまっている。秋の晴れ晴れ気分を詠うにはこのくらい張り切った方がいいだろうと思う。作者は「有楽町の靴磨きの光景です。磨き終わった人がみんな嬉しそうにしていました」と光迷さんに正直に答えていたが、自分で磨かなかったからとて秋天の気持良さが減じることもあるまい。(水)

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