孫帰るばあば一人の処暑の風 高井 百子
孫帰るばあば一人の処暑の風 高井 百子
『合評会から』(番町喜楽会)
水牛 この句、まったく同感。「処暑の風」がいい。大騒ぎしていた孫が帰ってほっとしている感じがよく出ています。“孫俳句”についてはいろいろ言われるが、この句は秀逸でしょう。
斗詩子 遊びに来ていたお孫さんも夏休みも終わり帰ってしまい、また一人の生活に。ちょっと寂しくなった気持ちが「処暑の風」に表れています。
誰か 「一人の」は「一人に」とか「一人や」にした方がいいのでは。
水牛 いや「処暑の風」を独り占めしているという意味で「一人の」でいいと思います。
百子(作者) 助詞の使い方が難しいですね。勉強します。
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「処暑」は「暑さが収まる」いう意味を持ち、八月の二十三日頃にあたる。立秋の頃は、温暖化時代と季語にずれがある、などと感じていたが、処暑ともなるとふと涼しさを感じ「さすがに秋だなぁ」などと呟いてしまう。孫たちが帰った後の祖母は、忍び寄る秋の気配を静かに感じ取っているのだろう。(恂)