枝豆に青春の憶ひ湯気と立ち     田村 豊生

枝豆に青春の憶ひ湯気と立ち     田村 豊生 『季のことば』  枝豆は今では一年中ある。冷凍技術が進んだおかげで、四、五月に、採ったばかりのようなみずみずしいのが出て来たりする。それもごく普通の呑み屋でだから驚く。中国産の青く染めた冷凍モノなら真冬のチェーン酒場にもある。一方、品種改良によって枝豆用に作られた極早稲品種があり、ハウス栽培なのか、これまた五、六月に食べられる。もっともこういうのは「走り」と呼ばれて枝豆とも言えない値段になる。  とにかくそんなわけで枝豆に季節感が薄れ、俳句をひねる人間にはとてもやりにくくなったのだが、やはり枝豆は仲秋に食べる露地物が一番旨い。  この句の枝豆は、いつどこで食べているのだろう。句意からすれば、昔の仲間達と久しぶりに会って一杯やりながらの場面が浮かぶ。茹で立ての枝豆から湯気が立っているというから、多分、夕風に涼しさを感じる頃合いであろう。  話の合間につまんだ枝豆を口に持って行ってぷちゅっと押すと、二粒三粒飛び込んで来る。噛むと甘塩っぱい汁が出て、ちょっと青臭い枝豆特有の香りが口中に広がる。確かに青春の思い出話には枝豆がよく似合う。(水)

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輝きは生きた証ぞ流れ星     岡田 臣弘

輝きは生きた証ぞ流れ星     岡田 臣弘 『季のことば』  流星は一年中発生するものなのだが、八月半ば頃に一番多く見られ、殊に秋の澄んだ夜空に鮮やかに見えるので秋の季語になった。彗星や小惑星から出た小さな石が猛烈な速度で地球の大気圏に突入した際に摩擦熱で発生するガスが光を発する現象なのだという。大概は一秒ほどで燃え尽きてしまうが、時には燃え残ったものが地上に落下する(隕石)。  流れ星が消えないうちに願い事を三度唱えると叶えられるという言い伝えがある。しかし、「あ、流れ星」と気が付いた途端に消えてしまうから、三度も唱えるのは至難の業であろう。それに近ごろの大都会の夜空は濁っている上に人工光で明るいから、流れ星そのものを見ることが稀になってしまった。  三国志の諸葛孔明の死を流星で知る「星落秋風五丈原」をはじめ、流れ星は大昔から「死」と結び付けて語られてきた。俳句にも「星一つ命燃えつつ流れけり 虚子」「死がちかし星をくぐりて星流る 誓子」などがある。掲出句もやはり命と関連づけている。「生きた証ぞ」が賛美であると同時に、哀しみも誘う。(水)

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水底に揺れる藻の見ゆけさの秋    大倉悌志郎

水底に揺れる藻の見ゆけさの秋    大倉悌志郎 『おかめはちもく』  この句を見た瞬間、「いいな」と思った。朝の散歩中だろうか。水の澄んだ小川や清水の湧く池の底などを考えればよさそうだ。ふと足を止めて見つめると、緑色の藻がゆらゆらと揺れていたのだ。暑い日々が続いていたが、早朝は空気が冷ややかだ。もう秋なんだ、と思う朝である。  俳句作りでは、季語に配するさまざまな状況を考える。付きすぎはいけない、離れすぎも良くない、理屈絡みも嫌だ。いい取り合わせはなかなか思いつかないものだが、この「水底に揺れる藻」は私の心にぴったりと適合した。「立秋の朝」にこれ以上に相応しい対象はざらにないと思った。   句会ではもちろん選んだ。ところがしばらくして、小さなことが気になってきた。「見ゆ」がどうだろうか。見えるのは当然のことだから、「あり」で、いいのではないか。「見ゆ」が悪いというわけではないが、思い切って手を入れることにした。“趣味の添削”なのかも知れないが。 添削例  水底に揺れる藻のありけさの秋    (恂)

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