目鼻口あけて酒屋の赤南瓜     須藤 光迷

目鼻口あけて酒屋の赤南瓜     須藤 光迷 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 酒屋と南瓜の意外な取り合わせがいいなぁ。 てる夫 ハロウインの赤南瓜はアメリカにいたときには何度も見たことがあるけど、日本の酒屋では見たことがない。しかし、ずうっとこの句を眺めていたらいい句だなぁと思い始めました(笑)。南瓜の句として面白い。 水馬 僕もなんで酒屋なんだろうと思いました。ワインやシャンパンなど若い人が立ち寄りそうな酒屋さんなのかな。目の付け所がいいですね。 涸魚 昔はハロウインなんていう行事はなかったけど、あっという間に日本に入ってきて、どこでも大騒ぎだなぁ・・・。ちょっと気に入らないよ(笑)。 百子 ハロウインの南瓜。子供のお祭りと思っていたら、今の日本では、若者のお祭りなんでしょうね。だから酒屋かな?意外性がある句だと思います。           *       *       *  母の日のカーネーションに始まって、バレンタインデーのチョコ、そして今やハロウインと、何でも雑多に取り込んでしまう日本人。それがいいか悪いかは別として、町を賑やかにしていることは確かだ。(水)

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身に沁むやあっという間と言う百歳    高瀬 大虫

身に沁むやあっという間と言う百歳    高瀬 大虫   『おかめはちもく』  まず「身に沁む」について。俳句では普通、「身に入む」で、皆様ご存知のように「みにしむ」と読む。これが俳句の常識であり、一般社会の非常識となる。作者はそこで「沁む」を採用し、「あっという間」には小さい「っ」を用いた。常識優先の作者のセンスには全面的な賛意を表したい。  ただし句の出来、あるいは完成度という面からは、残念ながら賞賛の声を送ることは出来ない。最大にして唯一の問題点は、「あっという間と言う~」である。「いう」と「言う」の重なりに軽快さが感じられず、もし意識してこのような言い回しにしたとすれば、成功作とは言い難い。。  秋は、森羅万象、ことごとく身に沁みる時節である。ことに超高齢者の「百歳なんて、あっと言う間」という言葉を聞けば、人生の儚さを思わずにいられない。しかし傘寿にしてなお青年の雰囲気を残す作者なら、少々の間合いをはかって、百歳の弁を受け止めるべきではないだろうか。  添削例  身に沁むや百歳あっという間とは   (恂)

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妻の指す花の名知らず赤蜻蛉     徳永 正博

妻の指す花の名知らず赤蜻蛉     徳永 正博 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 この句、状況が読めない面がありますが、ともかく「赤とんぼ」が非常に効果的ですね。 健治 夫婦の散歩の情景がよく伝わってきます。女性は花の名をよく知っていて、わざと「あなた知ってる?」なんて聞いてきますから。こんな経験、私にもあったような・・・。 命水 私のことかと思いました。花はチューリップしか知らなかった頃のことですが。 春陽子 僕も俳句を始めた頃、カミさんによく意地悪されましてね。この句、よく詠んでくれました。 光迷 いかにも秋らしい句ですね。いたるところに秋の花が咲き始めて。「赤蜻蛉」がいいですね。 正裕(作者) 「これ、おしろい花」と女房に教えられた場面です。私は花の名を知らない頃でした。        *         *  花の名をよく知っている男もいるし、知らない女性もいる。ただ、質問に答えられない時、「沽券に関る」と思うのは男だけらしい。ある女性曰く。(相手はもちろん男性の場合)、「知っていても“知らない、教えて”って答えるの」だそうである。男性が女性に勝てるはずはないのだ。(恂)

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場所入りの風呂敷ひとつ夢一つ    田中 白山

場所入りの風呂敷ひとつ夢一つ    田中 白山  『合評会から』(番町喜楽会) 哲 新弟子が風呂敷一つで場所に向かう。出世の思いを胸に抱いて。初々しくていいですねぇ。 水馬 「末は見ておれ」、という気概が伝わってきます。ゴロのいい句です。 冷峰 確かに口調がいい。同系の句もあったが、これはよく詠んでいると思います。 春陽子 「風呂敷一つ夢一つ」。力士はみな出世を夢見ている。土俵にはお金が埋まっているんだ。 啓一 新米力士の場所入りの様子がよく表れている。気概を感じますね。 水牛 弟子入りの時なら風呂敷一つでよさそうだが、「場所入り」だと、どうかな。 白山(作者) これは本場所の土俵に向かう若い力士です。午前中に土俵に上がる下っ端は、まわしを包んだ風呂敷を担ぎ、両国駅から国技館に向かう。長髪の相撲取りのそんな様子を実際に見ました。        *      *  「相撲」は秋の季語。宮中の節会が起源だというが、両国で秋場所が始まると、相撲の季節だ、と感じるから不思議。一握りの著名力士より、その他大勢の若手に相撲の風情を感じるのも不思議だ。(恂)

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孫帰るばあば一人の処暑の風     高井 百子

孫帰るばあば一人の処暑の風     高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 この句、まったく同感。「処暑の風」がいい。大騒ぎしていた孫が帰ってほっとしている感じがよく出ています。“孫俳句”についてはいろいろ言われるが、この句は秀逸でしょう。 斗詩子 遊びに来ていたお孫さんも夏休みも終わり帰ってしまい、また一人の生活に。ちょっと寂しくなった気持ちが「処暑の風」に表れています。 誰か 「一人の」は「一人に」とか「一人や」にした方がいいのでは。 水牛 いや「処暑の風」を独り占めしているという意味で「一人の」でいいと思います。 百子(作者) 助詞の使い方が難しいですね。勉強します。            *         *  「処暑」は「暑さが収まる」いう意味を持ち、八月の二十三日頃にあたる。立秋の頃は、温暖化時代と季語にずれがある、などと感じていたが、処暑ともなるとふと涼しさを感じ「さすがに秋だなぁ」などと呟いてしまう。孫たちが帰った後の祖母は、忍び寄る秋の気配を静かに感じ取っているのだろう。(恂)

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終戦日疎開の寺に孫連れて    井上 啓一

終戦日疎開の寺に孫連れて    井上 啓一 『この一句』  句の作者は何回も、何十回も“疎開の地”を訪れていたに違いない。大学生の頃、社会人になってから、結婚した後も。やがて子供を連れて行った。そして今年の終戦日には孫といっしょに彼の地を訪れた。何のために? さまざまな意味を込めて「そこが疎開の地」であるからだろう。  第二次大戦の末期、米軍の激しい空襲に国民が逃げ惑っていた頃、「疎開」という語が広く一般化していた。大切な家財を安全な場所に移すのが「荷物疎開」。戦災の拡大を防ぐための家屋の撤去が「強制疎開」。小学校(国民学校)の生徒をまとめて農村に移すのが「学童疎開」であった。  作者の心にある「疎開」の語には、言い尽くせぬ戦争の悲惨さの中に、都会の学童を受け入れた地方の人々への感謝の気持ちも当然、含まれている。生き延びた少年の一人である作者は、この八月も疎開で過ごした寺を訪ねた。なぜ、孫を連れて行ったのか。理由を記す必要はないと思う(恂)

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漁り火の身に入む旅や北の宿     前島 幻水

漁り火の身に入む旅や北の宿     前島 幻水 『おかめはちもく』  漁り火は旅愁をかき立て、物思いを誘う。万葉の時代から歌に詠まれてきた伝統的な歌材(句材)だ。この句は漁り火の点々と光る海岸線を走りながらの旅であろうか、まさに身に入む。  しかし、「北の宿」が問題だ。どうしたってあの都はるみの絶唱『北の宿から』(1975年、阿久悠作詩・小林亜星作曲)が浮かんで来て、甘ったるい感じになってしまうのだ。これがたとえば、「ああ、あの艶歌が流行ったのはもう40年も前なんだなあ」といった感慨を打ち出して身に入む様を詠むのならば、「北の宿」を置く必然性が生まれるし、また変わった味わいの句にもなろう。  「漁り火の身に入む旅や」というフレーズは、これまた少々甘酸っぱい感じがするものの、哀愁を帯びて、とてもいい。これを生かすには、作者が今いる場所(固有名詞)を大胆に置いた方がいい。函館、森、八雲、長万部、室蘭へと弧を描く、烏賊漁船の集魚灯が光る噴火湾(内浦湾)もいいだろう。北陸から東北海岸をひた走る夜汽車の窓からの日本海も素晴らしい。  (添削例)  漁り火の身に入む旅や日本海          (水)

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独り居の病の床の身にしみて     山口 斗詩子

独り居の病の床の身にしみて     山口 斗詩子 『この一句』  「この句を読んでいて、私が一人になったらどうなるのかななんて考えたら、ほんとに心細くなってしまった。これは身にしみます」と心情を吐露した人がいた。まさにその通り、七十歳を過ぎた人がこの句を見れば、誰しも胸を衝かれるだろう。  「お前百までわしゃ九十九まで共に白髪の生えるまで」という俚謡がある。どっちが先に逝くか分からないけれど、出来ることなら二人揃って同じ齢頃まで生きていたいものだというのだ。しかし現実はなかなかうまく行かなくて、どちらかがかなり先まで独り居を続けざるを得ないようになることが多い。  元気なうちはまだいい。世話を焼かせてばかりのお山の大将が居なくなって、しばらくは開放感を味わうことも無いことはなかった。しかし、病気で寝込んだりするといっぺんに心細くなる。「あんな宿六でも居てくれるだけで心丈夫だったんだなあ」などと、一人には広すぎる感じの寝室の天井を見つめながら、来し方をあれこれ思い出している。季語が「付過ぎ」という評が出るかも知れないが、一人臥せっている身の実感をそのまま述べて、読者の胸を締め付ける。(水)

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手の皺の目立つ齢や鰯雲     谷口 命水

手の皺の目立つ齢や鰯雲     谷口 命水 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 実は最近、放射線治療にかかっており、自分の身体のあちこちを注意して見るようになりました。この句なんか自分のこと言われているような気がしまして・・。「手の皺の目立つ齢や」とは、まさにそういう気持ですねえ・・。 而云 人の手でもいいし、自分の手でもいいが、手の皺はよく目につきます。それにこの句は鰯雲を持って来たところがいい。句の雰囲気に合っています。 百子 鰯雲の季節になると空気が乾燥するせいでしょうか、手がかさかさして皺が目立って来るんです。それにしても「手の皺の目立つ」というのを俳句にするなんて、面白いなあと思いました。 可升 近景の手の皺と遠景の鰯雲の取り合わせが上手いなあ。なんで鰯雲、なんて言いっこ無し。噛んでるとだんだん味が沁みて来るような句です。           *       *       *  普段は手の甲をしげしげ見たりしないのだが、ふと皺がひどくなったことに気づき、ぎょっとする。この句は加齢への思いを詠んでいても、妙に深刻ぶったりせず、淡淡と言葉を紡いでいるところが実にいい。(水)

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宮相撲四股踏む少年白き尻     中村 哲

宮相撲四股踏む少年白き尻     中村 哲 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 「白き尻」に惹かれました(大笑い)。景色が見えます。 正裕 宮相撲の少年相撲大会、まさにこういう風景でしょう。 白山 もうその通りで、うまく詠んだものよと感心しました。 命水 細っこい少年なんでしょうね、「白き尻」で情景がよく伝わってきます。 幻水 両親や周りから「出ろっ」なんて言われてね、渋々・・。 可升 この句は何と言っても白き尻ですね。「一体どこ見てんねん」なんて言われそうですが、これで新鮮味が出た。           *       *       *  今では草相撲はおろか、子供神輿すら担ぎ手が集まらない状態の町が多い。これは地方の町なのか、伝統を守り秋祭の奉納相撲をやっている。しかし都会化あるいは過疎化が進み子供が減っているのだろう、相撲など普段取ったことのない子供までかり出される。人前で裸になるのを嫌がってパンツの上から褌締めた子までいる。四股踏めばひょろひょろ・・ユーモラスな場面が浮かんで来て、思わず笑みがこぼれる。(水)

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