やり残し何かあるはず処暑となる     髙橋ヲブラダ

やり残し何かあるはず処暑となる     髙橋ヲブラダ   季節の変わり目を最もはっきりと悟るのは、秋到来の時期かも知れない。子供の頃は何より夏休みがあった。天国のような序盤、やっぱり楽しい中頃を過ぎて、溜まっている宿題を必死にやらねばならぬ終盤。何かやり残しがあるはず、と思うのは遥か昔の夏休みのせいではないだろうか。  社会人になり、一週間ほどの休暇であっても、やはり昔の夏休みの気分がある。夏休みが終わる頃になると、家族が「来年は」と言い出す。家庭には正月をはじめ、さまざまな行事があるが、特に子供たちの思いはやはり夏休み。家族の一年は夏休みを中心に動いているかのようだ。  そのためだろうか、処暑を迎える頃、やり残したことがあるような、何とはなしの不安を覚える。会社の仕事、家族や友人との約束、夏休み前に立てた計画。漠然としているが、ひょっとすると何かが・・・。この句はそんな夏の終わりの取りとめのない心理を的確に表現している。(恂)

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残る日々如何に過ごさむ蝉時雨    高石 昌魚

残る日々如何に過ごさむ蝉時雨    高石 昌魚 『合評会から』 庄一郎 「蝉時雨」で蝉と自分を重ねて、この先の人生をどう過ごそうかという心境を詠んでいる。 哲 残された人生をしみじみ思う。藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」と重なっているな、と。 智宥 「蝉時雨」と「残る日々」がぴったりし過ぎの感じだ。高齢者の句の一パターンかな。 水牛 私なら、心ゆくまで酒を飲んでいればいいのですが。(大笑い) 昌魚(作者) 終活と言うほどではないが、家の散らかったものを片付けた後、如何にこの先を過ごそうかと。 てる夫 憂鬱になりそうな句ですが、先生の人柄で救われた。(笑い) 十三妹 言い得て妙。老いの実感がひたひたと迫ってきます。                  *         *  「残る日々、如何に過ごさむ」。けっこう深刻だが、作者がご高齢と知ると、言葉に余裕が感じられてくるのが不思議。散らかっていた家の中を整理整頓し、ふと浮かんできた思いを句にされたようだ。「この句を見て、皆さん、どんな反応を示すかな」。そんないたずら心も感じられよう。(恂)

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新盆や朝まで皆で失敗譚   金田 青水

新盆や朝まで皆で失敗譚   金田 青水    「この一句」  ある人が亡くなり、新盆を迎えた。故人は愉快な、人々に好かれる人だったに違いない。新盆には親族を初め、友人や近所の人まで家に集まって大宴会となった。家族も「新仏(にいぼとけ)様のために大いに飲んでください」と一升瓶をテーブルの上にどんどん並べる、という有様である。  ひとりが故人の失敗談を話し出した。「近所で見かけた美人を知人と勘違いして大変なことに」。こんな話が出たら、今度はオレが、私が、と彼の失敗を紹介し始め、抱腹絶倒のエピソードが披露されて尽きることがない。気が付くと外が明るくなっていた――というようなことだろう。  一読、へぇ、こんな盆があるのか、と思った。しかしやがて、新盆の愉快な様子がありありと浮かんできた。昔のことなのか。地方なら現在でもありそうな感じもする。盆の句の珍種と言うべきだろう。「珍」には「非常に貴重」という意味もある。その通りの句であるかも知れない。(恂)

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うぶすなに帰る伝手なし盆果つる     広上 正一

うぶすなに帰る伝手なし盆果つる     広上 正一 『合評会から』(日経俳句会) 阿猿 一つひとつの言葉が綺麗ですね。声に出して読みたい。 庄一郎 表現が実にいい。中七、下五が上手い。「盆果つる」という言い方にも感心しました。 哲 郷愁を感じました。「帰る伝手(つて)なし」とは親兄弟がいなくなったのか、勘当されて帰れないのか。「盆果つる」という表現はいいのか。でもそれがいいのかも。 青水 中七の工夫が切ない。季語が哀しい。地方出身で都市に根付いたサラリーマンの一つの現実か。 双歩 故郷に帰っていないということを上手に言っている。言葉の選び方が上手い。 てる夫 しかし「伝手」とは何か。単に切符が取れなかったのか、よく分からない。 誰か これは北方領土のことかな? 反平 一読して分かる句じゃない。 水牛 「うぶすなに寄る辺のなくて盆果つる」なら分かり易いか。            *        *  分かる人と分からない人がいる。さまざまな解釈を生む句は悪い句なのか、という問題もある。(恂)

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水の音処暑の平たき石に座し     横井 定利

水の音処暑の平たき石に座し     横井 定利 『おかめはちもく』  「『水の音』をどう解釈するか。水の音が聞こえてきて平たい石に座っているという解釈でいいのか」(悌志郎)。「『処暑の平たき石』が全く分からない」(智宥)、「平たき石が眼目だ。これで、頭で作った句じゃないと思った」(反平)、「尻に伝わる石の冷たさが処暑をリアルに実感させる」(万歩)、「しかし、処暑はまだ結構暑いよ」(誰か)等々、句会でとても評判が良かった句なのだが、毀誉褒貶様々。しかし作者は夏風邪とやらで欠席、疑問は解けぬままに終わった。  まあ素直に受け取って、池の端か川べりの平らな石に坐って水音を聞きながら、秋の気配を感じているところであろう。未だ石が熱気を帯びる前の、朝か午前中の散歩で句想を得たのかも知れない。  処暑の雰囲気を伝えるいい句なのだが、やはり「水の音」が素っ気なさ過ぎる。「水の音」という体言(名詞)でも切れは生じるのだが、それほどの余韻は感じられない。ここは、きっぱりとした「や」という切れ字の力を借りて、大きな余韻を生んだ方がいいだろう。  (添削例) 水音や処暑の平たき石に座し       (水)

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疲れたる物干し竿や処暑の庭     大熊 万歩

疲れたる物干し竿や処暑の庭     大熊 万歩 『季のことば』  「処暑」というのは二十四節気の一つで、旧暦七月の半ば、太陽暦では八月二十三日頃に当たる。「処」は「止まる、落ち着く」という意味。立秋を過ぎて早くも半月たち、暑熱ようやく納まり、ほっと一息つく頃合いである。  この句はそんな処暑の季感を、庭の物干し竿という突拍子も無い物を持って来て表した。  夏の間は毎日々々汗や泥まみれのシャツやパンツが洗濯されては吊り下げられ、満艦飾になった物干し竿。それもどうやら一呼吸。今日は何も干されていない竿が手持ち無沙汰のように掛かっている。竿の中央部分が少し撓んでいるのが歴戦の跡をしのばせる。塩ビの被覆も少々色褪せている。そんな様子を「疲れたる物干し竿」と言った。  それを何となく眺めている当方もかなり疲れている。夏バテか寄る年波か。物干し竿に仮託して自らを詠んだ。単なる滑稽句ではない、なかなか深味のある句ではないか。(水)

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お盆明けカレーが誘う神保町     杉山 智宥

お盆明けカレーが誘う神保町     杉山 智宥 『この一句』  お盆の帰省ラッシュとか故郷のローカル線とかはありふれた句材で新鮮味が無いが、これはお盆明けのカレーである。「突拍子も無い」とか「奇を衒っている」という評があるかも知れないが、意表を突いてとても面白い。そして、さもありなんと頷くのである。  久しぶりに故郷へ帰って、地元料理に攻められ、いささかげんなりしているのだろうか。あるいは、帰る里の無くてがらんとした東京沙漠で一週間を過ごしたのか。とにかく、大手町の職場に戻って来た。そうしたら途端に神保町のカレーが食べたくなったというのだ。  大手町から北側へ日本橋川を渡ると神田、神保町。昔からの学生街とあって安くて旨い飯屋、蕎麦屋、洋食屋が多い。ことにこの十数年はカレー屋が続々と誕生している。こういう場所だから不味けりゃそっぽを向かれ、すぐに潰れる。そうやって生き残った新興カレー屋が、何軒かの老舗に混じって気を吐く。そういう店を一軒一軒こまめに廻っては「神田界隈カレー地図」を作っているマニアもいる。作者もそういう一人であるようだ。(水)

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弟来る盆棚に盛る田舎膳     大平 睦子

弟来る盆棚に盛る田舎膳     大平 睦子 『この一句』  毎年お盆が来ると、若くして亡くなった弟を偲び、子供の頃に故郷の家で膝を並べて食べた「田舎膳」を供える。「田舎膳」という言葉に初めてお目に掛かったが、これは作者の造語だろうか。恐らくふる里の名物の山幸海幸を料理した御膳だろう。この言葉が特殊効果を発揮し、しかも、姉の慈愛がしみじみと伝わって来る。  こういう句はともすればじめついた感じになるのだが、この句には暗さが無いのがいい。亡くなってからかなりの時間が経ち、詠み手も平静な気持ちで盆を迎えられるようになったのだろう。「さあ、あんたの好きな炊き込み御飯ができたわよ」なんて言っている情景が浮かぶ。  とてもいい句なのだが、「来る」と「盛る」と動詞が二つ詰め込まれているのが少々うるさくて感興を削ぐようだ。弟さんが天国からやって来るというのが眼目だから、「来る」は外せない。しかし、「盛る」は無くてもよさそうだ。そうと決めれば、「弟の来る盆棚に田舎膳」となる。口調も整うのではないだろうか。(水)

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盂蘭盆会花なき墓の増えてゆき     岩田 三代

盂蘭盆会花なき墓の増えてゆき     岩田 三代 『合評会から』(日経俳句会) 悌志郎 昔に比べ、花のお供えも少なくなっている墓が多い。草ぼうぼうの墓もある。そういう実景を詠んだ。 正裕 時事句ですね。お墓を掃除して花を供える、そういうことをやる人ももういなくなった、そんな墓が増えています。 十三妹 実感した。墓地それぞれの栄枯盛衰が哀しい。           *       *       *  これは近ごろよく目にする情景なのだが、60代から80代の、「むかし」と「これから先」の橋渡しをする世代としては、ぜひ詠み止めて置かねばならぬ現実だと思う。「我が家もそうならざるを得ない」と覚悟を決めている向きはもちろん、子や孫がいる家だって、昔ながらの仰々しい葬式、その後の仏事に疑問を抱く若い人たちが多くなっている。歴史をひもとけば、庶民がちゃんとした墓に葬られるようになったのは江戸も半ばを過ぎてからのことだという。それまでは山際や海岸に掘った穴に無造作に投げ込まれていた。アパート式のお墓が増えているのも大昔に還ったということかもしれない。(水)

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小一が俺と言ひ出す夏休み     堤 てる夫

小一が俺と言ひ出す夏休み     堤 てる夫 『合評会から』(番町喜楽会) 命水 自分の経験を思い出しました。子供が成長している様子がよくわかります。やんちゃな男の子なんでしょうね。 春陽子 僕は、「おふくろ」って言い始めたのはいつだったかなぁと思いました。 百子 大人がびっくりするようなませたことを言う。一年生になると急に語彙が豊富になるんですね。 正裕 今日一番の句。私の孫も急に「おれ」と言ったので「僕」と言いなさいと注意したら、「やだ」って言う・・。 水馬 よく観察していますね。可愛らしい感じがよく出ています。           *       *       *  「俺と言ひ出す」とは実に上手いなあと感心した。初めての夏休みを迎えた小一男児のきかん気な顔が浮かんで来る。もう、オジイチャンとしては何でもしてやりたくなってしまう。そんな作者の顔も浮かんで来て、思わず笑ってしまう。その機微をさらりと詠んでいる。孫俳句の傑作と言えよう。(水)

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