六月の白杖の立つ日陰かな    鈴木 好夫

六月の白杖の立つ日陰かな    鈴木 好夫  『この一句』  非常に省略の多い句である。白杖の人がなぜ日陰にいるのかが分からない。一人で外出中なのだろう。日ざしが強いので日陰にいるのだ、と気付き、少しずつ状況が分かって来た。この人は何かを待ちながら、日陰に立っているのだ。そうか、信号が変わるのを待っているのだ、と了解する。  作者が立っているのは、横断歩道を渡る辺りの、日の当たる鋪道なのだろう。やや離れたところから白杖を見ているのだ。句から「見守っている」雰囲気も感じられよう。車が通過していく道路の信号が黄に変わる。横断歩道の信号が青になり、人々が動き出し、その人も歩き始めた。  青信号の時の音が聞こえている。彼は音に促されて横断を始めたようだ。作者は白杖を突いて進む人の後を追い、ゆっくりと歩いて行く。青信号はまだ点滅を始めない。白杖の人の歩みを見て「大丈夫だ」と判断し、歩を早めた。作者は向う側に渡ってから一度、振り返った、と思われる。(恂)

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六月の湖を鏡に山の色     大沢 反平

六月の湖を鏡に山の色     大沢 反平 『季のことば』  好きな月、嫌いな月のランキングをネットでざっと調べて見たところ、六月は予想に違わず嫌われ月の上位に座っていた。晴れの多い五月が終わればすぐに梅雨の季節である。暑くて、じめじめしていて・・・。今年も忍の一カ月か、と覚悟していたが、終わって見たらそうでもない。  気象庁の予測通り、月初めに梅雨入りしていた。ところが東京地方の降雨はさほどではなく、どちらかと言えば曇り日が多かった。晴天にも恵まれ、しかもからっとしていて、爽秋を思わせる心地よさに出会う日もあった。作者はそんな日に旅に出て、鏡のような湖面を眺めたのだろう。  波一つない湖面に映る山と空を、私は漫然思い描いたのだが・・・。二つのコメントを紹介する。「湖に映る六月の山の新緑が目に染みる」(庄一郎)。「“山の色”だけで、緑色を言わず、きれいな緑を表した」(昌魚)。お一人は九十歳。もうお一方もほどなく九十歳。ご高齢の瑞瑞しい感覚に感嘆した。(恂)

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ひきがえる半眼で見る憂き世かな  水口 弥生

ひきがえる半眼で見る憂き世かな  水口 弥生 『日経俳句会・酔吟会合同句会』のコメントから 二堂 蟇蛙のどこを見ているのか分からないような目をこう詠んだ。「半眼で」「憂き世」を見ているとは、巧みな表現です。 庄一郎 蟇蛙が半開きの眼でこの世を見ている・・・。感じが実によく出ている。 大虫 蟇蛙の目を半眼とは確かにその通り。うまく詠んだものです。 涸魚 擬人法は難しいが、これは巧みな擬人法だと思う。 正裕 蟇蛙の眠たげな眼。漫然と見ているようで、実はしっかり世の中を見ているぞ、という意ではないだろうか。時事句としても通用する。 てる夫 永田町の蟇蛙は定めし両眼を見開いていることでしょう。             *        *  好評だったこの句、作者は「誰もが思い付きそうなことを詠んだだけなのに」と話していた。そうかも知れないが、知っていても、俳句のいい題材だとはなかなか気付かない。それが一番の問題なのだ。(恂)

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ひきがえる親の代から顔見知り   大下 綾子

ひきがえる親の代から顔見知り   大下 綾子  『この一句』  ひきがえるは不気味で怖い。睨まれたら立ちすくむかも知れない。しかし何とはなしの愛嬌もあり、庭の隅などに見掛けると「おお、また来たか」と声を掛けたくなることもある。この大型蛙は十年も生きるそうで、年ごとに顔馴染となり、少しサイズが小さいのが現れると、去年のひきがえるの子供かな、と思ったりする。  句の作者はそんな一匹を見て「親の代から顔見知り」と詠んだ。「ウソかホントはどーでもよいこと。顔見知りとの一方的な断定が心地よい」(青水)、「戸建の古い家なら在り得る状況」(定利)などのコメントがあった。人間とひきがえるとの、おそらく何千年にも及ぶ付き合いを微笑ましく表現した一句、と言えよう。  実はここで、蟇、蟇蛙、蝦蟇、蟾蜍などの読みをクイズに出すつもりだったが、辞書・歳時記によって「蟇」も「蟇蛙」にも「ひきがえる・ひき」両用の読みがあるなど、非常にややこしい。「蟆」(ひき)の字もあり、お手上げとなった。表記は「ひきがえる」が正解、と思われる。(恂)

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