温暖化ひたすら長き夏に倦む     齊山 満智

温暖化ひたすら長き夏に倦む     齊山 満智 『季のことば』  このところ非常に暑く、初夏の、かつては快よかった時期が真夏の様相を呈している。句を見て本当にそうだなぁ、と思う。原因は何か。間違いなく地球温暖化だと言い切れる。九州北部などに甚大な被害をもたらした集中豪雨も、猛毒のヒアリの侵入も、気温や海水温の上昇による当然の現象なのだ。  十年も前、大気温の上昇は一時的なものという見方が一部にあった。温暖化よりむしろその先の氷河期を恐れよ、とする主張もあった。米国のトランプ大統領は、すでに古びたこれらの温暖化心配無用論を信じ、政策に盛り込もうとする。恐るべきはヒアリではなく、人間の愚かさなのだ――  と、ここまで書いて掲句をもう一度、見直す。「温暖化」でこの句は一度、切れているようだ。人間はすでに温暖化という逃れられない運命を背負い込んでいる、という前提がこの句から見えてくるのは、私(筆者)だけだろうか。とまれ我々は暑さにひたすら倦み、耐えるほかはないのだ。(恂)

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白熊の大飛び込みや夏真昼     星川 佳子

白熊の大飛び込みや夏真昼     星川 佳子 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 白熊はやはり夏のものですね。暑い中で白熊が飛び込む情景がうまく詠まれています。 而云 「大飛び込み」が大いに気に入ってとりました。本当にすごい迫力で、大量の水が飛び散って・・・。白熊が水に飛び込む勢いを、実感そのままに詠んでいます。 水牛 いいですねえ。もう半ばヤケクソの白熊です(笑)。          *           *  近年、動物園や水族館では動物の展示にさまざまな工夫が見られるようになった。私がテレビで見た例では、ペンギンがあたかも空中を飛ぶように見えたり、アザラシがアクリルの大きな円筒を上下して泳いだり、という中で、最も気に入ったのがシロクマ(ホッキョクグマ)のダイビングである。  飛び込む水槽はたぶんアクリル製で、白熊は水槽を真横から見ている人を脅かすほどの勢いで飛び込む。バッシャーンという大きな水音が聞こえるかのようだ。シロクマはアクリルの境すれすれまで顔を近づけ、人間をじっと見つめたりするが、暑さを吹き飛ばすものは「大飛込み」を置いて他にない。(恂)

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炎帝と現場検査や足場揺らぐ     高瀬 大虫

炎帝と現場検査や足場揺らぐ     高瀬 大虫 『季のことば』  歳時記によると「炎帝」は「夏」の傍題で、つまり夏の季節そのものを表す。ところがそう決めているのは歳時記だけのようだ。辞書類では「夏を司る神」となっており、実作を見ても「炎帝」を神格化、擬人化した例が少なくない。「冬将軍」に対する「炎帝」のイメージが出来ているのだ。  この句はその一例である。ビルの建設現場のようで、まだ鉄骨がむき出しというような状況なのだろう。一歩一歩慎重に足を運んで行くと、真夏の日差しが照りつけ、足場が揺らぐかのようである。炎帝が現場全体を支配している、というのが、建築家である作者の偽らざる感触なのだろう。  テレビの気象予報では鎧兜に身を固めたイラストの「冬将軍」が登場し、すでにお馴染みである。そしてこの頃、冬将軍と同じような格好の「夏将軍」というキャラクターが出現してきた。この調子で行くと、「夏将軍」という季語が生まれないとも限らない。炎帝の将来や如何に。(恂)

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熊蜂ぶんぶんと翔ぶ梅雨合間     堤 てる夫

熊蜂ぶんぶんと翔ぶ梅雨合間     堤 てる夫 『おかめはちもく』  長梅雨には誰しもうんざりする。稲をはじめ作物に無くてはならない梅雨とは言え、何日も降り続くと「なんとかしてくれ」とぼやく。  それが或る日忽然と晴れ渡り、真っ青な空が広がり、お日様が眩しく照らす。つゆの晴れ間であり、昔風に言えば「五月晴れ」である。お母さんたちはそれっとばかりに洗濯を始め、子どもたちは一斉に外に飛び出す。お年寄りは久しぶりの散歩だ。動物や昆虫だって嬉しそうにしている。  この句は「熊蜂ぶんぶん」と言って、その雰囲気を遺憾なく表した。余計なことをくだくだしく言わずに、蜂がしきりに飛ぶ様子だけを伝えて、久しぶりの晴天を印象づけたのが功を奏した。爽やかで気持の良い句だ。  ただ、どうしても「梅雨合間」という言葉に引っ掛かる。もちろん梅雨合間でも十分成立するのだが、「合間」というのが中途半端な感じを与える。ここはやはり長年言われてきた五月晴れの言い換え季語でもある「梅雨晴間」の方が落ち着くのではなかろうか。 (添削例) 熊ん蜂ぶんぶんと翔ぶ梅雨晴間             (水)

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便箋の白さ眩しき夏に入る     玉田 春陽子

便箋の白さ眩しき夏に入る     玉田 春陽子 『合評会から』(日経俳句会上期合同句会) 昌魚 「夏に入る」を便箋の白さで表し、それが眩しいと言う詠み方には恐れ入りました。 悌志郎 便箋の白さに目を付けたのがいい。 涸魚 夏の感じを鮮やかに捉えている。 正 久しぶりの便り、便箋の白さが眩しい。夏の到来を実感する。 実千代 白という色を夏に乗せて、夏の初めの様子がよく分かります。 弥生 表現自体はシンプル、それゆえに強い俳句になっています。 二堂 白さに驚いたというのは非常に面白い。 而云 初夏の机上を描いて巧みだ。 阿猿 たしかに紙は明るい夏に際立つ。青いインキの字まで見えてくるようだ。 ヲブラダ この季節の光の輝きを美しく詠んでいる。 正市 立夏の本意をうまく押え表現している。           *       *       *  「夏」と「白」の取り合わせは平凡で、何と言うことも無い句に思えるのだが、句会では断トツ人気。誰もが感じることをすっと述べたところがいい。(水)

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朝顔市手持ち無沙汰の法被かな     谷口 命水

朝顔市手持ち無沙汰の法被かな     谷口 命水 『この一句』  朝顔市(夏の季語)を詠んだ句だが、朝顔の鉢や咲き方、入谷鬼子母神周辺の情景などではなく、「手持ちぶさた」の売り子に焦点を絞っているのが面白い。  朝顔市は日本各地の盛り場や大規模な団地のイベントとして開かれている。しかし、朝顔市と聞いてすぐに思い浮かべるのは東京・入谷鬼子母神である。江戸時代、入谷、下谷あたりは低湿地で田圃や蓮沼が広がり、野菜や草花・植木を栽培する農家が集まっていた。それらが毎年七月六、七、八日(旧暦)に鬼子母神境内に自慢の鉢を並べたのが朝顔市の始まり。江戸後期には大変な賑わいを見せた。明治大正と盛衰を繰り返しながら続いていたが、付近一帯が都市化で栽培農家が千葉や埼玉に移ってしまったことと、戦争によってあえなく終結。昭和30年代にようやく復活した。  朝顔は早朝の花。朝顔市も早朝こそ見栄えがあり、客も賑わう。昼頃になると朝顔はしぼんでしまい、蒸し暑く、人出はばったり途絶える。この句の売り子は、真新しい紺のハッピにねじ鉢巻きの男勝りで元気のいい娘さんではなかろうか。葦簀の蔭で欠伸を噛み殺している。(水)

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朝顔の鉢抱いて来る下校の子     池内 健治

朝顔の鉢抱いて来る下校の子     池内 健治 『合評会から』(番町喜楽会) 大虫 夏休みを前に学校から朝顔の鉢を持って帰る子たちの光景ですね。 水馬 理科の観察で育てた朝顔を、嬉しそうに持って帰る。 斗詩子 ベランダで育てるのかな、うまく行くかなとか、どんどん連想が膨れていきます。 啓一 兼題は朝顔市でしたが、これは学校で育てた朝顔なんですね。 而云 「朝顔」だと秋になってしまうよね。やはり、そこに少々引っかかるなあ。 光迷 でも、なぜ「朝顔市」は夏で、「朝顔」は秋なんだろうなあ?           *       *       *  〈答え〉江戸時代、入谷の朝顔市は七月六日から八日と決まっていた。旧暦七月(現在の八月)は秋なので、朝顔も朝顔市も秋の季語。ところが明治5年新暦が採用され、七月は夏になった。朝顔市はそのまま新暦七月に行われることになったから、「朝顔市」は夏、「朝顔」は秋と歳時記では泣き別れになってしまった。  この句は「朝顔市」が兼題の句会に「朝顔」という違う季節の句を出したことになり、「雑詠」の部類になる。しかし、朝顔の句としてはとても佳い。(水)

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亡き母と同じ仕草や梅仕事     中村 哲

亡き母と同じ仕草や梅仕事     中村  哲 『合評会から』(番町喜楽会) 而云 ふと気が付けばお母さんと似たようなことをしているなあという感じ。とてもいい句ですね。 春陽子 手順ややり方が同じなのを、仕草という言葉で表したんでしょう。 白山 気がつけば嫁(作者の妻か)は亡くなった姑と同じようなことをしている、という句ではないかな。 正裕 私は母娘、やはり親子は似てくるんだなあ、という感じがよく出ている句だと思います。           *       *       *  合評会で「梅仕事というのは新しい季語なのか」と問われ、「むしろ古い季語」と答えた。そう思い込んでいたのだが、後で昔の「季寄せ」などをいくつか当たって見ると出て来ない。ただし、この言葉は青梅を収穫し、塩漬けにし、炎天下に干して梅干を作り上げる一連の仕事を指すもので、古くから言われてきたことは間違いない。「大切な黄ばんだレシピ梅仕事 実千代」(2015年6月、日経俳句会)という句もあったように、梅干づくりは女系相伝のものなのだ。(水)

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ひげ生えて少年の夏始まりぬ     徳永 正裕

ひげ生えて少年の夏始まりぬ     徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 啓一 自分の子供を見て、成長したなあと詠んだ句でしょうか。親の心情がよく表れています。 百子 今年の夏はどんな夏だろう。部活で頑張るのか、恋をするのか。少年を見守る温かさを感じる句です。 可升 自分の少年時代を回想した句じゃないかと思いました。少年と夏の相性が良く、うまく詠まれたなあと思います。 斗詩子 夏の青々と茂っていく様が、少年のひげに置き換えられたように思いました。 而云 なつかしい雰囲気の句。ひげの手入れをせず、むさくるしいけど、それがまた夏休みの多少ゆるんだ雰囲気を醸し出しています。           *       *       *  この時期の少年は背丈が急に伸び、急に快活になったと思えば、むっつりと口数少なくなったり、精神状態も非常に不安定。そういう微妙な感じを「ひげ生えて」の一言で喝破した。(水)

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泰山木咲くや御苑の主となり    野田 冷峰

泰山木咲くや御苑の主となり    野田 冷峰 「おかめはちもく」  泰山木は新宿御苑を代表する樹木の一つと言えるだろう。桜ほどの豪華さはないし、紅葉ほども色彩もない。樹高最大で三十メートル、横に大きく広がる豪快な樹形ではあるが、秋、冬、春は単なる大きな常緑樹である。ところが夏を迎える頃から直径二十センチもの純白の花が開き出すのだ。  この時期、御苑のネット情報に「泰山木が咲き始めました」「泰山木が見頃です」と言ったお知らせが相次ぐようになる。この句は目立たなかった大木の変身ぶりを詠んでいる。今までは人々に見過ごされていたが、現在は御苑の主(ぬし)となり、園内を睥睨する貫禄を見せ始めた、というのだ。  ただこの句、「御苑の主となって花を咲かせた」とも解釈できるのが惜しいところ。「泰山木咲くや」という、切れ字を用いた言い回しに問題があるのではないだろうか。泰山木の花が咲いた、それによって御苑の代表的な樹木としての存在感を表すようになった、という流れで言い表したい。 (添削例) 泰山木咲いて御苑の主(あるじ)たり   (恂)

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