一粒の枝豆ミサイル宙を飛ぶ     渡辺 信

一粒の枝豆ミサイル宙を飛ぶ     渡辺 信 『合評会から』(三四郎句会)   進 兼題(枝豆)に時事問題を見事にからめている、と私は思いました。 賢一 ぴょんと飛んで行く枝豆が、ミサイルと…。 久敬 私も初めは北朝鮮のミサイルかな、と思ったが、よく読んでみると、そうではないかもしれない。どちらにしても面白いが。 正義 私は夏の季節の楽しい情景と見ました。 信(作者) 子規の句に「枝豆ヤ三寸飛ンデ口に入ル」がありますが、あれをヒントに現代風に詠んでみました。        *         *  子規の句をヒントに…。結構ではないか。何しろ子規本人が「古句を半分窃(ぬす)み用いるとも、半分だけ新しくば苦しからず」(俳諧大要)と述べているのだ。現代なら「えーっ」と驚く人がいそうだが、先人の作に倣うのは伝統的な文芸などの常道だった。ヒントにするだけなら現今でも問題はない。(恂)

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木漏れ日を両手に掬ふ岩清水    岡本 崇

木漏れ日を両手に掬ふ岩清水    岡本 崇 『合評会から』(三四郎句会)      雅博 木漏れ日を手に掬う、という表現の素晴らしさに感心しました。 諭 私も昔、このような経験をしたように思います。両手で掬う、がいいですね。 信 木漏れ日がちらつく清水。水と木漏れ日のコントラストを感じます。 尚弘 表現が巧みです。木漏れ日が句を引き立てている。 有弘 木漏れ日という“光”を掬う、達者な句だと思いました。 照芳 そうですね。おっしゃるような情景がぱっと浮かびました。 而云 水を掬えば木漏れ日がちらちらと揺れる。そんな動きを感じました。 進 誰もがこういう情景を見たことがあるはず。共感を呼ぶ句ですね。      *          *  二か月に一回の開催で次回が五十回目となるこの句会。掲句はこれまでの最高点句となった。「木漏れ日という光を掬う」(有弘)」という着想と技巧によるのだろう。作者を除く十三人の選者中、八人の支持を得た。(恂)

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夕立よこのむしゃくしゃも流したい     大平 睦子

夕立よこのむしゃくしゃも流したい     大平 睦子 『おかめはちもく』  路上で突然夕立に遭ったら慌てふためき、情緒もなにもありはしないが、屋内に居て驟雨を眺めるのは悪くない。ただ、その人のその時の心理状態によって、夕立に対する気分は様々に変わる。体調良く精神高揚している時なら、耳を聾するような豪快な降り方に快哉を叫びたくなるだろう。逆に気が萎えている時だったら、打ちのめされる気分に落ち込むに違いない。  この作者は、何かに怒っており、むしゃくしゃしている。その怒りを夕立とともに洗い流してしまいたい、という気持はよく分かる。それをそのまま吐いた句であり、夕立の感じと合っていて、とてもいい。  ただ、せっかく「夕立よ」と強く呼びかけているのだから、最後までその調子を通した方がいいのではないか。また、「も」では弱い。他のものはどうでもいい、私の、この「むしゃくしゃ」を流しておくれというくらいに強く言った方がいい。「流したい」などと消極的に言い止めるのではなく、「よ」という願望の助詞で上五に合わせたらどうであろうか。  (添削例)  夕立よこのむしゃくしゃを流してよ       (水)

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冷房車本読み耽る眼鏡の子     高石 昌魚

冷房車本読み耽る眼鏡の子      髙石 昌魚 『合評会から』(日経俳句会) 反平 今の子供たちはスマホばかりいじっていますね。子供は本を読まなくてはいけません。本を読んでいる子供を見ると嬉しくなります。 博明 こういう姿も子供らしくて、良いと思うのですが。 ヲブラダ 最近見かけることがないので、実景かどうかわかりませんが、冷房と読書の至福にふける子供がいい。           *       *       *  企業が採用内定した学生に、入社前教育として書かせた作文を吟味し指導助言する仕事を20年近く続けてきた。手間がかかるが、若い人たちの思考・行動傾向が垣間見えて、なかなか面白い。しかし、先日遂に引退宣言した。体力知力の衰えもあるが、最大の理由は作文の品質劣化が激しすぎ、読むのが苦痛になってしまったためである。若者の文章作成力は年々低下、今では一流企業に合格した者ですら、読んでいて寒気がするような文章しか書けない。たまに「これは素晴らしい」という作文があり、驚喜して、しかし念のためにと冒頭の1行をグーグルに打ち込んだら、即座に某新聞の記事が現れたのであった。  電車内で本を読み耽る子は、今やまさに珠玉と言うべきであろう。(水)

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向うから同じユニクロ夏真昼     廣田 可升

向うから同じユニクロ夏真昼     廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 夏の暑苦しい中で、「あれ、同じTシャツだ!」という感じですかねぇ。 百子 この通りだなと思いました。 光迷 こういう光景よくありますね。「ユニクロ」が現代的で効いています。 春陽子 私は「ユニクロ」で採れなかった。企業名を使うのはダメじゃないかな。 水馬 悪いことは無いと思うんですが、「ユニクロ」の句は結構あって、手垢がついてる気がします。 てる夫 ユニクロ文化みたいなものがあって、一般的になっているんじゃないかな。           *      *       *  てる夫氏の言うように、今や「ユニクロ文化」とでも言うべき、薄っぺらだが肩肘張らない、あっけらかんとした空気が充満している。でも自分がこういうことになったら、恥ずかしいなあとも思う。しかし、全く同じ型の高級ブランドバッグを提げて鼻高々としてるのよりはずっとマシだとも言えるし・・。(水)

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凌霄花スナック街の眠る午後     中嶋 阿猿

凌霄花スナック街の眠る午後     中嶋 阿猿 『この一句』  昨日に続いて凌霄花の句をもう一つ。  カウンターと二つ三つのテーブル席があって簡単な食事ができ、夜は酒場になるというのがスナックバー。そういう店が軒を並べている飲食店街をいつの間にかスナック街と言うようになった。英語を半分に切って、それに日本語をくっつける、日本人お得意の造語法である。大都市の繁華街の裏通りや、温泉町の一角などによくある。  もっとも日本のスナックバーは本家アメリカの軽食堂と違って、客の相手をする女性を置いたりして、もっぱら夜の歓楽酒場となっていることが多い。従って昼間はこの句のように通り全体が眠ってしまい、酒場のモルタル白壁を這い上る凌霄花の、濃厚な朱色だけが夏空をバックに息づいている。  暑苦しい真夏の昼下がり、凌霄花の濃厚妖艶な花びらが路上にもたくさん散っている。ほとんど人の通らない、日中の歓楽街は気だるさが漂う。そういう感じが良く出ている。(水)

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凌霄花喜寿にも赤い血は上る     大沢 反平

凌霄花喜寿にも赤い血は上る     大沢 反平 『季のことば』  凌霄花と書いて「のうぜんかずら」あるいは「のうぜんか」、略して「のうぜん」と読んだりする。「霄(しょう=空)を凌ぐ(しのぐ)花」という字の通り、木や壁を伝わってぐんぐん伸び、真夏の青空に真っ赤な花を咲かす強い花木である。  中国原産だが今では全世界に広まっている。日本にも古く渡来し、江戸期の古俳諧にも登場している。元々は暑い海岸地帯が好きな植物のようだが、佐渡島でも盛んに咲いているというから、かなりの耐寒性もあるようだ。特にアメリカ人や南欧の人たちが好み、アメリカで改良された大輪で派手な花色の凌霄花が人気を呼んでいる。照り輝く太陽、真っ青な空、真っ白な漆喰壁を高く這い上って、血の色のような、あるいはオレンジ色の鮮やかな花を咲かせる様子は、見るからに活力を感じさせる。  この句も凌霄花を引き合いに超元気な後期高齢者をうたっている。フラメンコ踊りましょうか、フラダンスもいいわね、阿波踊りだってOKよという感じ。素晴らしい。(水)

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荒川にカーテンを引く驟雨かな     向井 ゆり

荒川にカーテンを引く驟雨かな     向井 ゆり 「この一句」  夏の真っ盛り、気温の上昇に伴って積乱雲が発達し、空が真っ暗になったかと思うと雷鳴と共にざっと降って来る。これが「夕立」で「驟雨」とも云う。  あまり激しくない夕立はさっと降ってさっと上がり、暑熱を消し去ってくれるから、むしろ歓迎される。しかし、「集中豪雨」という別名で呼ばれるようなひどい降り方になると、電車を止めてしまったり、道路が冠水して車が通れなくなったりして、処々方々に迷惑を及ぼす。近ごろはそうした乱暴な夕立が多くなってきたようだ。  この句は荒川の夕立の様子を詠んだ。作者によると、住まいの在る川口市の側から見た光景がそうで、物凄い土砂降りで対岸の東京方面が全く見えなくなってしまったという。それを「カーテンを引く」とは、実にうまいことを言ったものだ。  こういう激しい降り方を眺めていると、なんだか魅入られてしまい、巨大な滝の中に閉じ込められたような気分になって、茫然としてしまう。(水)

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枝豆と提灯の灯ビルの上      後藤 尚弘

枝豆と提灯の灯ビルの上      後藤 尚弘 『おかめはちもく』  ビルの屋上のビアホール。提灯が並び、卓上に枝豆を盛った皿が、という状況である。「灯」の「ひ」と読むとすると「中六」になってしまうのがまずい。こういう場合の常道として切字の「や」を入れてみれば、「提灯の灯や」となる。これで五七五にはなったが、まだ気に入らない。 漫然と言葉を並べたような感じなので、直すべき焦点が定まらないのだ。「提灯」の語があるだけで灯っていることは分かるから、「灯」は不要か。提灯だけでビルの屋上であることが分かるのではないか。いろいろ直してみたが、大手術になりすぎて、添削の限度を超えそうである。 枝豆が句会の兼題だった、と思い出した。そうか、句の中心は枝豆にしなければならなかった。上空が暗いビルの屋上の一角である。さほど明るくない提灯の灯が枝豆に当たり、緑色が浮かび上がっていることを示せばいい。「枝豆」と「提灯の灯」の並列状態を解消すべきであった。 添削例  枝豆に提灯の灯やビルの上      (恂)

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水打てば隣人もまたさそはれて    井上 啓一

水打てば隣人もまたさそはれて    井上 啓一 『季のことば』  夕方、門の外へ出て柄杓で水を打つ。初めは、もわっとした生暖かい空気が立ちのぼるが、やがて辺りに涼しさが漂ってくる。すると隣家の小母さんなどが出てきて、負けじと水を撒く。たちまち近所のあの家も、この家も。この句は昔の思い出を詠んだのだろう、と思ったが――。  待てよ、どこかでやっていたぞ、とネットで検索してみて思い出した。東京都などが音頭を取る「打ち水大作戦」というものが、二〇〇三年から始まっていたのだ。ヒートアイランド現象に対する打ち水の効果を調べるためだったが、この運動に参加する人々が毎年推計六百万人にもなるという。  その効果がバカにならない。東京二十三区の散水可能な場所に散水すれば、2度~2・5度の気温低下が可能だそうだ。これは凄い、江戸時代からの日本人の知恵だ、などと思っていたら、さらなる個人的なビックリが。今年の「打ち水大作戦」は何と当コラム掲載予定の二十日であった。(恂)

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