蓼科の草原下る初夏の風     後藤 尚弘

蓼科の草原下る初夏の風     後藤 尚弘 『季のことば』  初夏の風が一番似合う場所は? もちろん人によって答えはさまざまだろう。日本に限っても北海道から沖縄まで数限りなくあるはずだが、ベスト百を選ぶなら「蓼科」は必ずその中に入って来ると思われる。雄大な八ヶ岳の裾野と言える辺り。梅雨が始まる前のあの高原を渡る風が忘れ難い、とする人は結構いるはずだ。  ニッコウキスゲの花はまだだろう。しかし湿原には水芭蕉、森の近くならカタクリが咲いているかも知れない。それより何より、緩やかな起伏を描く緑一面の高原自体が素晴らしい。涼やかな風が吹いていれば、いくら歩いても疲れを感じることは無い。作者はその一日、風に包まれながら草原を上り下りしていたのだろう。  この句、特別な工夫を凝らさず、まことに素直にあっさりと詠んでいるだけなのに、私の脳裏に赤岳、横岳、蓼科山、さらに霧ヶ峰、車山などが浮かんでくる。若い頃よく歩いた場所だけに、近隣の山容がしっかりと胸に刻まれているのだろう。相手に「いい句だ」と思わせるには、その人の記憶のアシストが欠かせない。(恂)

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