夏きざす裏山肥り野鳥燥ぐ    印南 進

夏きざす裏山肥り野鳥燥ぐ    印南 進 『季のことば』  句の「裏山肥(ふと)り」という語を見て、緑の少ない土地に住む者は、このように表現できない、と感じた。緑は日々増殖を続け、作者が自宅の裏窓から眺める山全体があたかも生き物のように肥っていくのだ。たまにこの地を訪れる者が見るのはあくまでも静止画であり、土地の人は言わば動画を眺めているのである。  ただし俳句のベテランには、この句に以下のような文句をつける人がいるかも知れない。歳時記を開けば緑、新樹、若葉、青葉、茂り、夏木立、万緑、そして緑陰、木下闇など、樹々に関する夏の季語が並んでいる。「裏山肥り」はこれらの季語と同義であり、「夏きざす」との季重なり的な表現と言えないこともない、と。  「野鳥燥ぐ」にも問題はありそうだ。野鳥を「トリ」と読ませ、「騒ぐ」ではなく「燥ぐ」と書くのは確かに煩わしい。しかしこれが地元の人の季節感なのだろう。句は鎌倉に住む作者の、仲間に向けた挨拶なのかもしれない。似た雰囲気の句を思い出した。「目には青葉山郭公(ほととぎす)はつ鰹」(素堂)である。(恂)

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