初夏の朝眩しささらにたまご焼き   深瀬 久敬

初夏の朝眩しささらにたまご焼き   深瀬 久敬   『この一句』  関東地方は梅雨入りしてもう二週間も経つのに、ばかに心地よい陽気が続いている。雨が降ってもすぐ晴れて、初夏というようより、秋がやって来たのか、と疑いたくなるような日もある。この句を句会で見たのは梅雨入り以前だったが、このところ朝食の卵焼きを見るたびに、「眩しささらに」が浮かんできてしまう。  作者はこんな思い出を語っている。「子どもの頃、玉子焼きはいつも焦茶色のお皿に載せられて食卓に出てきた。その皿と黄色に光り輝いている玉子焼きとのコントラストが妙に記憶に残っています」。目玉焼きなら真っ白な皿がよさそうだが、白いご飯と出し巻き卵の場合を考えると、こげ茶色の皿はなかなか渋い。  さて、この句、南東の側に広い窓のあるDKを想像させる。テーブルの上には奥様の作った卵焼きが、いつものように置かれているのだろう。朝日が差し込めば、その黄色は昨日にも増して輝くばかり。朝食のおかずと言えば、先ず卵焼き。そしてまた好天気。いい一日が約束されたようなものである。(恂)

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山薄暑どっしり夕日うけとめり     池村 実千代

山薄暑どっしり夕日うけとめり     池村 実千代 『おかめはちもく』  新緑の山が夕日を受けてどっしりと、少し涼しい風も吹いて、なんとも言えない心地良さが伝わって来る。やさしい言葉遣いで詠んだ感じの良い句である。ただ、言葉の組み合わせに問題があるようで、何となく落ち着かない。  「山薄暑」と一繋がりの言葉にして上五に据えたのは悪くないのだが、そのすぐ下にまた「どっしり」という山の様子を言う言葉を添えたために、「薄暑」が挟み撃ちになってしまった感じである。さらに「うけとめり」という言い方も、間違ってはいないようだが、少々不安定な止め方だ。  作者は東側に山が連なる平野の真ん中に居て、夕日に照らされている山を仰いでいるのだろう。昼間はかなり暑くなったが、今はそれもおさまってきた。山の襞になった所は夕暮れの色合いを増してきたが、尾根や稜線はまだ明るく輝いて実に印象的だ。そういう山の様子を「どっしり」と讃えたのだから、それを生かしたい。   (添削例) どっしりと夕日受け止め山薄暑         (水)

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栓抜きで栓たたく癖暑気払     廣田 可升

栓抜きで栓たたく癖暑気払     廣田 可升 『この一句』  「そうそう、こういうことよくやったなあ」「近ごろあまりやらなくなりましたね」。句会合評会はこの句を肴にひとしきり盛り上がった。  ビール瓶の王冠をはずす前に栓抜きでコツコツと叩く。こうすると泡がきれいに盛り上がるのだというのだが、ビール工場の見学に行った時、試飲会で専門家に聞いたら、「なんの根拠もありません」と笑っていた。  「暑気払」という言葉も近ごろあまり聞かなくなった。今は熱中症という言葉が使われるが、昔は「暑気中り(しょきあたり)」とか「日射病」と言った。暑さでぼーっとなり、ひどくなれば気を失ったり、発熱したりする。生水を飲み過ぎて下痢になる「水中り(みずあたり)」もあった。そういうことにならぬよう、ゲンノショウコを煎じて飲んだり、梅酒や焼酎を飲んだ。これが本来の暑気払なのだが、高度成長期以降のは単なる夏場の飲み会である。  一座の世話好きが皆のコップに手際良くビールを注ぐ。栓を叩いたせいか泡の出方が綺麗だ。「カンパーイ」。あとはいつもの賑やかさ。さんざん飲んで翌日は暑さに二日酔いが重なり、何のための暑気払だったのかというオチになる。(水)

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石垣の目地に野芥子や夏の雲     谷口 命水

石垣の目地に野芥子や夏の雲     谷口 命水 『この一句』  芭蕉の生まれ育った伊賀上野で仰ぎ見た、築城名人藤堂高虎の築いた日本一と言われる大石垣を思い出した。惚れ惚れする曲線の石垣だが、長年手入れしていないせいであろう、目地(石と石の継ぎ目)には草や灌木が生え出していた。  野芥子(ノゲシ)はキク科の雑草。中空の茎を直立し、脇から枝を生やし、それぞれの先っぽに春から秋口にかけて黄色い菊のような花を次々に咲かせる。花が終わるとタンポポのような綿毛を出し、タネを風に乗せて方々に飛ばし、それこそ石垣のわずかな隙間にも生える。ぎざぎざの葉っぱがケシに似ており、茎を切るとケシと同じように乳汁を出すので野芥子という名前がついた。  石垣の途中に野芥子が一本突き出て花咲かせている。ぎらぎら照り返す乾ききった石垣にしがみついている。健気だなあと感心する一方、図太さに呆れかえる。石垣の曲線をたどりながら視線を上げていくと、真っ青な空に真っ白な夏雲。素晴らしい構図の取り方によって、広大な情景を描き出した。句作を始めて半年という、番町喜楽会デビュー早々の人の句とはとても思えない作品だ。(水)

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渡る風青田に描く幾何模様     野田 冷峰

渡る風青田に描く幾何模様     野田 冷峰 『季のことば』  「青田」は早苗がしっかり根付いて勢い良く伸び始め、一面青々と生い茂った田圃を言う。七月の風景である。  青田に風が吹き渡ると、風の通り道の若い稲はそよぎ、白っぽい葉裏を見せる。帯のように細長く、時にはもっと幅広の長方形に、あるいは微妙な地形に従って三角形にと、いろいろな模様を田面に描き出す。風に連れてその幾何模様が動いてゆく様が、寄せ来る波のようにも見えるので、「青田波」という季語が生まれた。それをもたらす風が「青田風」というわけである。この句は、「青田風」と「青田波」を、そのプロセスを解き明かしつつ詠んでおり、とても面白い。  実際には七月の田圃は暑い。田圃の水まで熱くなり、これも「田水沸く」という季語になっている。日が照りつける田圃に入って、這いつくばるようにして雑草を抜く。この田草取りが米作りの中で最も苦痛を伴う重労働だ。今では除草剤を撒くからかなり楽になったようだが、それでも何やかや稲作は苦労が多い。  辛い草取りが一段落しての昼休みか、ちょっと小高い山裾の木蔭に一休み。涼しい風がさっと吹き過ぎ、青田はまた美しくそよぐ。(水)

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葉桜の坂下りてゆく闇夜かな     今泉 而云

葉桜の坂下りてゆく闇夜かな     今泉 而云 『季のことば』  華やかな花見の時期を越すと、桜樹は一斉に葉を茂らせ始める。ゴールデンウイークを越した初夏の頃には、花のことなど一切忘れたように樹全体が緑に覆われる。これが「葉桜」で、生命力を感じさせる季語である。  旺盛に茂った葉桜は、外見は生き生きとして明るく、輝いている。しかし、その木蔭は暗い。満開の桜の花の下も薄暗く、死体が埋まっているのではないかと古人は言ったが、葉桜の下はそれ以上に秘密めいている。周囲が初夏の陽光に照らされているだけに、殊の外暗く感じる。まるでいきなり目隠しされたような気分になる。  そういった葉桜のトンネルを月の無い闇の中、下って行く。黃泉平坂(よもつひらさか)もかくや、これ以上の暗さは無いといった感じである。  この句は、闇夜の葉桜の坂を下って行くという、ただそれだけを述べたに過ぎない。せわしない句会ではこういう句は「それが何なのさ」と見過ごされてしまうのだろう、あまり点が入らなかった。しかし何度かゆっくり読んでいると、さりげない叙述に深い味わいがあることがしみじみと分かってくる。(水)

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若竹や十四歳の攻めの棋譜     谷川 水馬

若竹や十四歳の攻めの棋譜     谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 いやー若い人がすくすく育っていますね。若竹は一日で十センチも伸びるんだそうだが、藤井君は三十連勝ぐらいやってほしいね。いや彼の精神力はすごい。いい取り合わせです。 冷峰 「若竹」という季語に彼の風情がよく合っている。にらむんですよ、彼。すごいです。今彼の立ち居振る舞いに注目しています。 二堂 すごい天才が現れたものです。若竹が効いています。 斗詩子 藤井聡太君のあどけない笑顔としっかりした受け答えが印象的でした。若竹のように伸びていく若き棋士の様子が詠み込まれました。           *       *       *  なんと言っても「若竹」という季語がいい。まさに季節と言い、藤井四段の破竹の快進撃と言い、ぴたりとはまった時事句である。我が家の裏庭にも筍が次々に生え、物凄い勢いで伸びて若竹になる。所嫌わず伸び出す竹の子は迷惑だが、天才少年棋士の伸びゆく様は実に気持がいい。この句はそうしたタイミングを素早く捉え、絶妙の季語を配して大勢を唸らせた。(水)

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空写し琵琶湖周遊夏初め     吉田 正義

空写し琵琶湖周遊夏初め     吉田 正義 「おかめはちもく」  梅雨の始まる前、初夏の晴れ渡った日であった。琵琶湖周遊となると、出発点はかつての近江の国・志賀の都の大津港だろう。日本一の湖・琵琶湖がくびれて細くなった西南端のあたり。港のあちこちには大小さまざまな観光船が並んでいる。すでに「琵琶湖周航の歌」が流れていたに違いない。  ところでこの歌は何時生まれたのだろうか。調べて見て驚いた。何と一九一七年六月二十八日、今からちょうど百年前であった。旧制三高(現京都大学)のボート部員・小口太郎が琵琶湖周航中に詩を作り、「ひつじぐさ」(吉田千秋作曲)という曲に載せて、今津の宿で発表したのだという。  句の作者は「志賀の都よいざさらば」などと口ずさみながら、船に乗り込んで行く。デッキから眺めると湖面に青空が映っていた。しかし彼の視線はやがて空や広々とした周囲の風景に向いていったはずだ。「空写し」は「空広し」としたい。初夏の琵琶湖に乗り出していく時の心のときめきが感じられるのではないだろうか。  添削例 空広し琵琶湖周遊夏初め   (恂)

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蓼科の草原下る初夏の風     後藤 尚弘

蓼科の草原下る初夏の風     後藤 尚弘 『季のことば』  初夏の風が一番似合う場所は? もちろん人によって答えはさまざまだろう。日本に限っても北海道から沖縄まで数限りなくあるはずだが、ベスト百を選ぶなら「蓼科」は必ずその中に入って来ると思われる。雄大な八ヶ岳の裾野と言える辺り。梅雨が始まる前のあの高原を渡る風が忘れ難い、とする人は結構いるはずだ。  ニッコウキスゲの花はまだだろう。しかし湿原には水芭蕉、森の近くならカタクリが咲いているかも知れない。それより何より、緩やかな起伏を描く緑一面の高原自体が素晴らしい。涼やかな風が吹いていれば、いくら歩いても疲れを感じることは無い。作者はその一日、風に包まれながら草原を上り下りしていたのだろう。  この句、特別な工夫を凝らさず、まことに素直にあっさりと詠んでいるだけなのに、私の脳裏に赤岳、横岳、蓼科山、さらに霧ヶ峰、車山などが浮かんでくる。若い頃よく歩いた場所だけに、近隣の山容がしっかりと胸に刻まれているのだろう。相手に「いい句だ」と思わせるには、その人の記憶のアシストが欠かせない。(恂)

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青田風帰農の友は村長に     徳永 正裕

青田風帰農の友は村長に     徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 水馬 都会で仕事をしながら、ずっと農業をしたかった。ようやく夢が叶ったら村長に。それもまた人生でしょうか。 春陽子 帰農したら思い掛けぬコースが待っていた。ニヤッとするような人生行路だ。 冷峰 かつての仲間の“彼”のことですね。故郷に帰ったら、若い人たちに担がれて村長になっちゃった。一度なると、なかなか辞められない。今では「三期くらいは」なんて言っています。 而云 青田風がいいと思う。都会に住む作者が郊外などの青田を見て、彼のことを思っているのだろう。 双歩 しかしどうなんだろう。せっかくの帰農なのに地方政治に携わるとは。苦労を背負ってしまうのではないか。 水牛 村長になるとやはり現実に流されるようなこともある。昔はいい句を作っていたが、忙しいのだろう。 正裕(作者) 青田風が吹いていて、さまざまなことを思う、というところかなぁ。 *           *  選句する側の何割かは“彼”のことを知っていた。句会でこのような状況はよくあるが、句の出来よりもその人の生きざまなどが話題になりがちで、当句会でも例外ではなかった。これぞ座の文芸、とも言っていられない。(恂)

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