莢あけて豆摘む子らに米をとぐ 向井 ゆり
莢あけて豆摘む子らに米をとぐ 向井 ゆり
『おかめはちもく』
「こういう日常の一コマを切り取った句が好きです。お子さんを見る温かい目を感じます。今夜は豆ごはんかな」(百子)、「夕餉支度する家族の幸せが伝わってきます。豆摘むの表現で正しいのかなとは思いましたが」(三代)と、女性会員から賛辞が集まった。ほのぼのとした味の伝わってくる佳句である。「豆」だけでは季語にならないが、この句は百子さんの指摘のように季語の「豆御飯」(夏)を潜ませた詠み方だ。
しかし、やはり言葉遣いに問題がある。「莢あけて豆摘む」という言い方は、間違いとは言えないが丁寧過ぎてくどい感じがする。それに莢は「開ける」のか「剥く」のか、豆は「摘む」のか「摘まむ」のかと、あれこれ疑念を抱かれる。母親と子どもたち皆で晩御飯の支度という、とても良い雰囲気をうたっているのに、こうした表現問題で足を掬われてしまうのはつまらない。
「子ら」とあるから子は二人以上だろう。こういう時、子どもたちは競争で剥いたりするものだ。莢を開けて豆を取り出すなどと説明せずに、子供のそうした動きを取り入れると一層生き生きとするのではないか。
(添削例) 競争で豆剥く子らに米をとぐ (水)