多摩川の古墳のまもり濃山吹 池村 実千代
多摩川の古墳のまもり濃山吹 池村 実千代
『季のことば』
東京近辺では四月、ソメイヨシノが散る頃に山吹が咲き始める。山裾や池の端、庭園の片隅などにこんもりと浅緑の茂みを作り、鮮やかな黄色の花を次々に咲かせる。
渋谷から東横線電車で横浜方面に向かうと、多摩川駅の左右はこんもりした山になっており、その南側は多摩川に面して切り立つような崖になる。この山は武蔵野台地の西南端に当たり、河岸段丘を利用した古墳である。線路際の前方後円墳「浅間神社古墳」「亀甲山古墳」から、多摩川の上流へ向かって第三京浜玉川インターチェンジ近くまで、古墳が十数個連なっている。
この辺一帯は四世紀から六世紀にかけて、大和政権と拮抗する勢力が存在したらしい。上野下野(かみつけしもつけ=現在の群馬栃木)に王国があり、この多摩川が西への最前線だったという説もある。多摩川は今でこそ治水設備が行き届いたせいで、川幅は極端に狭く、水流も実に情けなくなっているが、大昔は大河だった。古代人はこの川を船で上下し、時にはここから船出して海に出て遠洋航海したのだ。その勇者達の眠る墳墓を山吹が健気に守っている。(水)