春深しスマホの少女わき見せず     井上 庄一郎

春深しスマホの少女わき見せず     井上 庄一郎 『おかめはちもく』  駅のホームでも電車内でも、スマホに取り憑かれたようになっている人たちが目につく。歩きながらもやっているから危険この上ない。これは「歩きスマホ」とか「ながらスマホ」と言われ、今や若者を中心に常態化してをり、日本ばかりでなく全世界的な現象だという。  人にぶつかる、自転車に接触する、そこまで行かなくても、歩みが遅くなったり蛇行したりするから、繁華街では人の流れがおかしくなり混雑に輪を掛ける。駅ホームのスマホ歩きは本当に危険で、しばしば転落事故を起こしている。死んでしまう本人は自業自得だが、それによって電車が長時間不通になってしまい、周囲に及ぼす影響は甚大だ。  この句はスマホ少女を前に半ば呆れているのである。ただ、「わき見せず」だと「一生懸命」といった言葉が続き、感心々々といったニュアンスになる。ここはよくもまあこれほど傍若無人にといった感じを匂わせた方が句として幅が出るのではないか。「わき見せず」を「わきも見ず」としてはいかがであろう。   春深しスマホの少女わきも見ず              (水)

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春眠の目覚めやいのち恙なし     河村 有弘

春眠の目覚めやいのち恙なし    河村 有弘 『この一句』  七十歳を過ぎると否応なしに衰えが目立って来る。個人差があるが、動脈硬化、高血圧、神経痛、癌や前立腺肥大、腎臓病といった病気が出て来る。ただ、医学・薬学の進歩は目覚ましく、10年前だったら無理だっただろうなという難病を克服してしまうことも珍しく無くなった。  そうは言ってもやはり、70年以上も酷使してきた身体だから、あちこちが老朽化し、ガタが来ている。それを進んだ医療と医薬品の助けを借りてなんとか永持させようとしているわけだ。100年もたったヴィンテージカーを、部品を補修しながら記念パレードなんかに走らせているのを見る事がある。いつストンと止まってしまうか分からない。  この句の作者ももう立派な後期高齢者。大病も切り抜けてきている。若い頃はそれこそハーレーダヴィッドソンかマスタングかというような勢いで突っ走り、トヨタパブリカ級の私なぞ呆気にとられるばかりであった。  それが、朝、眠りから覚めて、「ああ今日も生きていたか」と思うと言うのである。己の齢を十分知り、生かされている有り難さを噛みしめている。(水)

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遅れたる時計そのまま春深し     大熊 万歩

遅れたる時計そのまま春深し     大熊 万歩 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 これはまさしく春らしいのんびりした感じです。我が家にも遅れた時計があって、忙しいとなかなか調節というわけにはいかない。 哲 「遅日」という季語があり、時計が多少遅れてもいいじゃないかという感じで、のんびり過ぎていく春の雰囲気が出ている。 阿猿 あくせくしない感じが出ているなと。 昌魚 「遅れた時計」と「春深し」がピッタリ合っていい句。 好夫 気怠い雰囲気がいいのかな。遅れた時計と春ということで採りました。でも、今は電波時計になってこういうことはないのじゃないか(笑い) ヲブラダ 気怠い春の日の感じを道具立てで示していて見事です。           *       *       *  「古時計」「柱時計」「振子時計」そして「遅れた時計」。俳句の格好の材料としてこれまで嫌と言うほど詠まれてきている。しかし、こうして出て来ると、またまた大いに人気を呼ぶ。みんなの心の裡にある図像が呼び覚まされるからなのだろう。(水)

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しゃがみこむ子を待つ母の四月かな     星川 佳子

しゃがみこむ子を待つ母の四月かな     星川 佳子 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 子供がしゃがみこんでたんぽぽをさわったり、おたまじゃくし見つめたり。それを母親がそっと見守っている。温かさを感じます。 てる夫 はい、百子氏の言う通り。付け加えることはありません(笑)。 光迷 三十年ぐらい前、子供が幼稚園に通いはじめたころこんな道草にずいぶん付き合ったものです。興味あるものを見つけると、すぐしゃがみこんじゃう。 可升 百子さんの句評を聞いてなるほどと思いましたねえ…。 而云 この句は頭が重たいですねぇ。「しゃがみこむ子を待つ母」というのが…。「母四月しゃがみこむ子を待ってをり」ぐらいがいいのかなぁ。           *       *       *  この句を見てどきっとした。学校に行きたくないと道端にしゃがみこんじゃう子供を母親がじっと待っている、そんな情景が浮かんだのだ。実際は百子さんの言うような楽しい道草風景なのだろうが、新学期に時々見られる自閉症的な子どもとそれを辛抱強く見守る母親という深刻な場面。それを鋭く切り取った句ではないかと思ったのだが、それは深読みのし過ぎだったようだ。(水)

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城址に春の気満載バスツアー     杉山 智宥

城址に春の気満載バスツアー     杉山 智宥 『この一句』  俳句仲間連れ立って四月上旬に八王子城址を訪ねた折の句である。東京都の内とは言え、かなり山深いこの辺は平均気温が都心より二、三度は低いのだろう、ソメイヨシノがまだ七分咲きで、梅が散り残り、しきりに鳴き交わす鶯もまだ十分に修練を積んだとは言えない囀りであった。城址散策にもコートやジャンパーが必要なくらいのひんやりとした気温だったが、大阪のオバチャン連中の一団がバスからぞろぞろ降り立って、あたりはいっぺんに熱気を帯びた。  「近頃の城址探訪ブームにはビックリ。大阪からわざわざバスツアーで関東まで来るとは。『春の気満載』が、春の盛りとウキウキ気分を表現して不足がありません」(正裕)、「春を楽しもうとの遊び心一杯の女子軍団がバスを連ねて来襲。彼女らが春を運んで来たんですね。女性上位を語る面白い句です」(臣弘)。  作者も城巡りなどには一家言ある人なのだが、オバチャンたちの勢いに呆気にとられたようで、その気分をそのまま詠んだところが面白い。ただ、「春の気満載」よりは「春気満載」の方が勢いが感じられるように思うが。(水)

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